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東京という街での3年間

2020年2月、OCHILL(オチル)という会社を設立した。

会社をつくるのはこれで2社目。この会社について語るには、まずNorthcamp(ノースキャンプ)という、3年まえにつくった1社目の会社について語ることになる。この3年間はある種の禊のような辛い時期だった。

だから未来の自分のために忘備録として書いてみようとおもう。辛く、苦しかったこの3年間のことを。

大切な人を守るために

2012年4月、いわしくらぶというカフェを北海道北見市につくった。きっかけは東日本大震災後、日本のメディアの姿勢に怪しさを感じたことだった。

テレビから流れる原発関連の情報と、ネットで流れる情報が違う。その双方を眺めて、「どれが本当の情報なんだろう?」「誤った情報ではなく正しい情報を知りたい」「正しい情報で大切な人を守りたい」と思った。

ぼくのまわりの人たち、とりわけインターネットに触れることのない人たちの多くはテレビで流れる情報が正しいと思っていた。

だけど、もしその情報が誤っていたら、その人たちの命が(大袈裟に言えば)侵されてしまうかもしれない。そう考えたら、とても怖くなった。だからテレビに勝てるメディアをつくろうと考えた。その結果、ぼくが出した答えはカフェをつくることだった。

カフェという「弱い」メディア

テレビの影響力は強い。そんなメディアにどうしたら勝てるだろうか?と考えた末に、ぼくの出した答えはカフェをつくることだった。そんな答えをだしたきっかけは、当時ぼくが足繁く通っていたカフェにあった。

「テレビで見聞きした話と、行きつけのカフェのマスターに言われた話。自分ならどちらを信じるだろう?」

そう自分に問うてみたとき、僕は断然カフェのマスターを信じる派だった。

自分のまわりの大切な人を守りたいんだったら、この街のカフェの人気マスターになればいい。テレビよりも弱いかもしれないけれど、弱いことが強さになったりもするんだ。なんとも安直な考えだけれど、ぼくは真剣だった。

東京への進出

いわしくらぶは地元の人たちの助けを得て順調に成長した。

街のあらゆる世代の人たちとの繋がりができて、「これなら何かあっても大切な人を守れる」と思った。

経営的にも、大儲けではないけれど、ささやかに暮らすには十分な生活費を得ることができるようになって、5年が経とうとしていた。そんなころ高校時代の友人から、ある誘いを受けた。

「いわしくらぶ、東京にださない?」

幸いなことに北見の店には僕以外にもスタッフがいて任せられた。「おまえは東京にでたほうが才能を発揮できる」と言われ、ぼくはその気になった。「よし、やってみよう」

20代最後の大勝負にでた。

そして、法人化

2017年4月、東京出店と同時にいわしくらぶの運営会社をつくった。「北海道北見市出身で野山遊びが好きだから」と単純な理由で、社名をNorthcamp(ノースキャンプ)とした。

当然、会社経営についてはまったくの素人で、右も左もわからなかった。そしてそんな状態のまま、いまもつづく北海道と東京を往復する生活がはじまった。ひと月のうち半分は北海道、もう半分は東京。

今になってやっと、この二拠点生活を俯瞰してみられるけれど、当時は2つの店を成り立たせること、さらに北海道と東京を往復することにただ必死だった。

北海道に帰省すれば、都会での生活から逃れるように山に足をはこび、できるかぎりインターネットから自分を遠ざけた。湖畔にたたずんで身体を休めた。心身ともに癒されて、自然の偉大さをあらためて知った。

ひるがえって東京での生活は5倍速。ひたすらスマホとパソコンをにらみ、来る日もくる日も人に会い、コンビニ弁当を飲みもののように胃に流し込んだ。それはまるでリアルとインターネットの行き来のようだった。

「やり方」の変化

そんな生活のなかで僕は個人事業主としての「やり方」を捨てること、そして、会社経営者として、さらには二拠点生活者としての「やり方」を身につけることを余儀なくされた。

思いつくままに、夢中で駆けぬけた北海道での日々。それなりにうまくやれていたつもりだったけれど、それはあくまでも1軒のカフェの店主としての話。

「このやり方ではもう通用しない」

山のように積み上がるタスク。それと反比例するように落ちゆく体力。北海道と東京との往復を何度もくり返してやっと気がついた、いまの生活に対する考えを根本から変えることの必要性。30代という10年間をまえに進めるための新しい「やり方」が必要になっていた。

差しのべられた手

なんとか迎えた2018年。1年目は乗り切ったものの、まだまだ勉強が足りていなかった僕は会社がどのように運営され、成り立っているのかをわかっていなかったがゆえに、当然苦しい局面を迎える。

毎月末の資金づまり、人手不足、そして共同創業者の離脱。

今だから言えるけど、駅のホームに立ったまま「このまま線路に飛び込んでしまおうか」と思うことがあった。それくらいに当時のぼくは追い込まれていた。だけど、そんなときに救いの手を差しのべてくれた人たちがいた。その中のひとりが、のちにOCHILLを共同創業することになる井上拓美だった。


生きのびること

「磯川さん、PLみせて」

「PLってなに?」

PLとは損益計算書のことで、経営に携わるものなら誰しもが知っている言葉だけれど、恥ずかしながらぼくはそれすらも知らなかった。しかし、井上くんは知らないことを責めることなく、一緒になってPLをつくり、経営の立て直しについて考えてくれた。

「磯川さんって、なんでいわしくらぶをつくったんだっけ?」

「どうあるべきか」「どうありたいか」ではなく、磯川が「どうあるか」ということを深掘りして傾聴する井上くんに、創業したころに考えていたことを話していくなかで、ぼくはいつのまにか僕自身を見つけていた。

「そういえば、おれってこんな人だったよな」

まずは売上をのばすこと。削れる支出は削って、収支をトントンにすること。そして、少しずつでも利益をだせるようにして、なんとしてでも生きのびること。死なないこと。

彼と考えた細かい取り組みを地道に重ねるなかで、経営は少しずつよくなっていき、精神的にも健康な状態を取り戻すことができるようになっていった。「お金がある」ということ以上に、「伴走してくれる人がいる」ということが何より嬉しかった。それはとても大きな助け舟だった。

新しい「やり方」

そうして2019年の終わりごろ。ぼくはやっと北海道と東京の二拠点生活のリズムをつかみ始めた。会社経営という仕事の輪郭もなんとなく捉えることができ、東京でこなせる仕事の量、ともに働く仲間とのコミュニケーションを増やすことができた。

そして、北見での生活・仕事のスタイルも決まってきた。いわしくらぶ北見本店はその居場所を新たにし、商店街の一角に入居。古いビルを利用して地元にいる弟たちとの新しい活動もスタートさせた。

年があけ、2019年からふつふつと温めてきた新会社OCHILLの構想も本格的に始動。「店舗を増やすのではない方法で、いわしくらぶ的空間を全国に広めよう」と考えた『吸うお茶』をつくる事業だ。やっと包まれていたもやから抜け出した気分だった。

殻をやぶってくれた街、東京

これまでを振り返ると、まず「本当にバカなやつだなあ」と思う。なにも知らない。なんなら今だって知らないことばかりだ。不勉強なまま、感情の赴くままにやりたいことをやってきた。

だけど、だからこそここまでこれたし、出会えた人がいた。だから今は素直に「東京にでてきてよかった」と思う。

ここまでこれたのは北見からエールを送り続けてくれた人たちがいたからだし、東京にでてきてから手を差しのべてくれた人たちがいたからだ。その人たちにはいまでも心から感謝している。

ここからはじまる10年。やっと掴みはじめた新しいリズムとスタイルで、もっともっと「大切な人」と出会いたい。

つぎはぼくが誰かの助け舟になる。




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本当にそれでいいの?

ぼくもスキ
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いわしくらぶ店主 / Northcamp Inc. / OCHILL Inc.

コメント2件

とてもぐっとくる文章でした。生き延びること、新しい事業を模索すること、共感しかないです!
最後の写真のあさぬーじゃないほうです!私もがんばろう、と思える素敵な記事でした。ありがとうございます☺️
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