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夏の奔走

今月の連勤スケジュールは今日で一息ついた。先月は、あまりにも暇で、焦りがどんどん募っていた。だから、こうしてしっかり働けて、ほっとしている自分がいる。フリーランスって、本当に走り続けないといけないのだと思う。常に現場に出て、人前に顔を出して、忘れられないようにする。それが大事。スケジュールを埋めることが、私たちにとっての生きる証みたいなものだから。だから、走っている時はとにかく必死。でも、走り終わると、突然「え?もう終わり?」っていう虚無感がやってくる。まるで、燃え尽きたみたいに。

最近、お酒を控えるようにしている。今までは、気持ちを落ち着かせるために、無意識に飲んでいたけれど、それが逆に自分を傷つけていたのだと気づいた。何事も、ほどほどが大事だって、今ならわかる。私はいつも、やりすぎてしまう癖がある。飲みすぎるし、ふざけすぎるし、お金も使いすぎるし、人にも尽くしすぎる。そして、薫さんが毎回言う。「何事も『すぎたら』あかんで」と。昨年、私はプライベートで地獄みたいな日々を過ごしていた。その後遺症で、どれだけ『やりすぎ』が自分を追い詰めるか、痛いほど理解した。詳しくは言わないけれど、薫さんの言葉が胸に刺さった。「どうしようもない女だな」って思うくらい、精神はどん底に落ちた。でも、そんな時、私を大事に思ってくれる人たちがいて、奇跡のようにその地獄から抜け出すチャンスを掴めた。本当に、奇跡だと思う。みんな、こんなに面倒くさい私を許してくれてありがとう。救ってくれて、ありがとう。

最近の私のルーティンは、早起きをして朝ごはんを食べ、軽い運動をして、昼ごはんもしっかりと食べて、夜ご飯の時にはお酒を飲まないで、早めに寝ること。これが今までの私からは考えられないくらい、健康的な生活だ。でも、意外と悪くない。疲れにくくなったし、体重も増えないし、気持ちのアップダウンも減った。この新しい生活に少しずつ馴染んできて、これも悪くないな、と思っている。そして、この生活のおかげで、たまに飲むお酒が、驚くほど美味しいことに気づいた。本当に、美味しい。泣いてしまいそうなくらい。嗜好品って、本来こういうためにあるんだと思う。たまに味わうからこそ、その価値がわかるのだと思う。刺激に慣れすぎると、心も体も、鈍感になってしまうんだろうね。私は、子供の頃に感じた色彩や音の刺激を、絶対に忘れたくない。持って生まれた感性を、失いたくない。それによって、時には傷つくこともあるし、ショックを受けることもある。でも、それでいいんだ。根本を変えたくない。色のない世界なんて、想像もつかない。それを実現するためには、まず心身をニュートラルに保つことが必要。日々、自分をしっかりとチューニングしてあげないと、知らないうちに心も体も、どこか遠くへ飛んでいってしまう。そして、そのまま戻ってこれなくなる。たまにズレるからこそ、私は刺激を感じられるんだ。ずっとズレていたら、何も感じなくなってしまう。感度が鈍る。それは、本当にもったいない。

さて、そろそろ品川駅に着く。久しぶりにお家に帰るよ。帰ったら、洗濯をたくさんしよう。なんでもない、ただの独り言でございやした。

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