【NovelJam'[dash]2019】全作品感想①|『ふれる』紀野しずく著(あるいは紀野さんに対する遅すぎる私信)
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【NovelJam'[dash]2019】全作品感想①|『ふれる』紀野しずく著(あるいは紀野さんに対する遅すぎる私信)

というわけで、NovelJam2019全作品感想、一冊目の感想は紀野しずくさんの『ふれる』です。

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本作は12月19日に行われた表彰式で、みごと最優秀作品賞に輝きました。

そして、僕が感想を書くにあたって一番悩んだ作品であり、また単なる感想以上に様々なことを考えた作品でもあります。

原稿に向かいながら吐きそうになるほどのプレッシャーを感じましたが、紀野さんご自身が「この作品を書かなければ前に進めなかった」とおっしゃっていたのと同じく、僕自身もこの作品に向きあわねば前には進めません。

膨大な長さの感想となりますが、どうかお付き合い頂ければと思います。

作品の説明とその背景

本作の主人公は、流産を経て三度目の妊娠をした女性です。『今度こそ』という希望、『また上手くいかないかもしれない』という不安、周囲や世間からのプレッシャー、何より、そうした主人公の状況をイマイチ理解してくれない、夫へのもどかしさ……そんな心情を、本作は描いています。

NovelJam当日、紀野さんがパワポで作った企画書を持って相談に来られた時、僕は正直に苦言を呈したことを覚えています。

「三日で仕上げ、かつ売り物として世に出すイベント内で取り扱うには、あまりにセンシティブなテーマではないか。『問題を知ってほしい』『同じ立場の人に希望を届けたい』という動機だけで踏み込むのは危ういと思う。それでも書くというのなら、なぜ自分がそれを小説で書くのか、もっとはっきりさせた方がいい」

と、だいたいそんなことを言いました。

もう少し思いをめぐらすべきでした。
『あえて』この場であのテーマで挑もうとする、意図について。

翌日のプレゼンで。
この作品が紀野さん自身の体験を元に書かれたものだと知りました。

全てに納得すると同時に、ひどい自責の念に襲われました。

何も考えずに行った僕のアドバイスが、ともすれば(というか間違いなく)紀野さんの覚悟を不用意に抉り、また追い詰めてしまったことを思いました。後で参加者の方から『表彰式の時に疲れた顔をしていた』と言われましたが、あれは自己嫌悪でリアルに吐きそうになっていたのです。

投げかけた問いは今や、自分自身に突き付けられていました。

『ふれる』は、僕の不用意な問いに対する、これ以上ないほど明確なアンサーです。だから僕は、それを受けて感想を返す責任がある。

そう思いながらこの二ヶ月、文章をずっと考え続けていました。ですが、今原稿を書いているこの瞬間にも、十分に言葉がまとまったとは言えません。一晩であの作品を書き上げた紀野さんと比べ、なんとも情けない話です。

それでもなお、逃げずにひとつひとつ、言葉を拾っていこうと思います。

リアルで重い『ハッピーエンド』

 刺す場所がない。
 腹に散らばった注射痕を見ながら、私は暫し考える。

『ふれる』で一番秀逸な部分はどこか、と問われれば、僕は迷いなくこの冒頭二文を挙げます。主人公が直面する様々な『痛み』を、これほど端的に、のっぴきならない緊張感をもって予感させる文章はなかなかありません。

同様の切実さで、主人公の状況が次々と描かれていきます。

病院の待合室で、囚人と等しく与えられる患者の番号。公園のベンチに並ぶベビーカーと母親たち。流産を防ぐための注射による、全身の腫れと痒み。「子どもはいいぞ」と無責任に言う親族の声。心配してくれるものの、自分の代わりに注射を打つことに関しては、「それだけはどうしても無理」と応じてくれない夫。

作中で『シーソー』と例えられる出産への期待と不安のはざまで、一つ一つの何気ない出来事が主人公が追い詰めてゆく……その描写は本当に真に迫っており、読んでて胃が痛くなるほどでした。

その主人公が作中でどのような結末を迎えるのかは、ここでは伏せます。気になる方はぜひ本編を手に取って確かめてみてください

この結末も、始め方と同じくらい僕は好きです。

紀野さんは「フィクションの中でくらい、明確なハッピーエンドを描きたい」とおっしゃっていましたが、完成した原稿の結末には、そうした分かりやすい形での""ハッピー""はありません。

編集のつきぬけさんからも、「終わり方を当初の予定と大きく変えた」というお話をうかがった気がします。

でも僕は、あの終わりこそが本当の意味での「ハッピーエンド」なのではないか、と思います。

完全に救われたわけではない。希望がハッキリと見えたわけでもない。それでも、自分をなんとか納得させながら生きていく。

しんどいし、大変だし、もう無理だと思うこともたくさんあるけれど、その中で小さな幸せを見出し、大切にして、育てていこうとする。

幸せで『ある』のではなく、少しでも幸せで『いよう』ともがく。

その姿こそがきっと、希望です。わかりやすい救済よりもずっとずっと強い、希望の形なのだと思います。

だからあれは、自分の中ではハッピーエンドでした。リアルで重たい、だけど紛うことなきハッピーエンド。

『ふれる』の始め方が一番秀逸な部分だとしたら、
『ふれる』の終わり方は僕が一番好きな表現です。

あの一文に至るまでに、どれほど苦労されたのだろう、と思います。


そんなわけで、僕の中で『ふれる』はとびっきりに素晴らしい作品でした。最優秀作品となったのも当然だと思います。

ですがその一方で、おそらく紀野さんは僕のこの感想に対し、決して納得しないだろうとも考えています。というより、上記のような評価を求めてすらいないのではないかとも。

この部分こそ、僕がどう感想を書くべきか、とても悩んだ原因です。

作品が「作者と近すぎる」危うさ

まえがきで僕は、著者が感想に期待することについて下記の3項目を挙げました。

①作品の質や表現に対する評価
②著者自身への共感・理解
③商品の販促

この三要素はそのまま、創作のスタンスとして下記のように置き換えることができます。

つまり、

①小説という『表現をしたい』のか
②小説を通じて『著者自身に共感してほしい』のか
③小説を『売ってお金を得たい』のか

ということです。

そして紀野さんの場合、①と②がほぼ同義といっていいくらい、密接に絡み合っている印象を受けました。作品の肯定と、紀野さん自身への共感・承認とが、不可分につながっている感じ。

「作者との距離が近すぎる小説」
「エッセイに近い小説」

などと言い換えてもよいかもしれません。

(※私小説ってジャンルもありますが、あれは「小説」の素材に「私」を使ったものであり、著者個人を前面に出すエッセイとは大きく異なります)

だから僕は、①と②を接続できる言葉をずーっと考えていました。でも、どうしても無理でした。僕はあくまで①の立場、つまり「作品としてどう思うか」という立場でしか、この小説に対する感想を書くことができません。

「なぜ書くのか」と聞いておきながら、本当に無責任ですよね……。ごめんなさい。

でも僕はどうしても、あれほどの高いクオリティを持つ小説が、著者の個人的な文脈とセットとなって語られてしまうことをもったいないと感じてしまうのです。

優れた小説は、そんなもの(あえて「そんなもの」と書きます)に頼らなくたって、素晴らしいはずです。

それだけの力が、あの作品にはあります。

紀野さん自身の過去と、まったく関係がなく。

このように言い切る覚悟を持つのに、ものすごく時間がかかってしまいました……。すみません。

「次」を読みたい。

だから僕は、紀野さんの次の作品が読みたいです。

紀野さん自身を色濃く投影したものではなく、紀野さんの伝えたいテーマを、紀野さんだからこそできる方法で表現した、そんな小説を。

……なんのことはない、長々と書いたこの感想は、単なる紀野さんへのファンレターでした。素晴らしい小説を読ませていただいた紀野さんに対する、まわりくどくも面倒くさい、精一杯の応援です。

小説は自分の奥底にある言葉にならない感情や考えを自分から切り離し、理屈で表現できる以上の何かを落とし込むことのできるフォーマットだと、僕は考えています。だからこそ、小説は素晴らしいし面白い。

だからぜひこれからも、紀野さんの小説を読ませてください。一ファンとして、ものすごーく、楽しみにしています。

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いしま

ぼんやり生きているのでほっておくとそのまま死にゆく自信があります。みなさんのサポートで私の寿命を延ばすことで、人生をちょっとだけ豊かにする何かが生み出される可能性があります

ライター&SEO&SNSマーケちょびっと。 仕事に関するアレコレを書きます