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ボトムアップ政党の創りかた ―民主主義のためのデザイン原論③

より進んだ民主主義のために

お待たせしました。大好評の「民主主義のためのデザイン原論」、とうとう最終回です。

前回、「選挙そのものをデザインする」という話について書きました。

ある政党・政治家の選挙をデザインするということは、「あなたが私たちに投票すれば、あなたや周りの人の生活がこのように良くなります」という明確なメッセージを発し、そしてその通りに実行することです。

この観点から、前回参院選において立憲民主党が選挙戦略が失敗した原因を、明確に説明できたと思います。

ですが選挙はあくまで、民主主義の初歩の段階でしかありません。

とりわけ小選挙区制では、「候補者AとBどっちも酷いけど、それでも鼻をつまんでどちらかに投票しないといけない」ということがあります。政治に関わりたくない多くの人は、「どっちに投票しても変わらない」と言い、それに対して野党支持者は、「それでも有権者はマシな方を選ぶべき」と主張する、これもお馴染みの構図です。

しかしより大切なことは、選択肢の中から選べることではなく、自分たちにとって「より良い選択肢を創造すること」です。そのために大切な事は、「良い選択肢の創造に参加できる」ような、より進んだ民主主義です。それを担うのが、本来ならば政党なのです。

政党政治に基づく民主主義がこの社会で実現しているならば、そもそも与党も野党も、どちらも国民の方向を向いていないという現在の惨状はなかったでしょう。

立憲民主党の理念と現実

立憲民主党は当初、市民による主体的な政治参加を党是にしていたはずでした。いま読み返しても、「パートナーズ」参加を呼びかけたメッセージに謳われている理念は良かったと思うのです。

皆さんも、もう一度読み直してみてください。

これまでの日本の政党は、どこか政治家と国民との間に壁を作ってきました。
「立憲パートナーズ」は、
「党員」や「サポーター」といった政党の応援団ではありません。
政治家と国民は、民主主義を前に進める対等なパートナーであるべき。*

「民主主義は市民の主体的な参加によって成り立つ」
という理念を実現していくためのチャレンジこそ、立憲民主党の使命です。

「立憲パートナーズ」とは、
このチャレンジを担う国民と政治家によるプロジェクトです。

国民と政治家がパートナーシップを結び、
共に実現するべき社会に向かって議論し、
行動するネットワークでもあります。

まずは、地域の活動に参加してみませんか。
ボトムアップの政治はあなたから始まります。

しかし実際、この理念はどれほど実現できたでしょうか。

2019年6月に開催された東京都連パートナーズ集会では、8割の人がパートナーズ制度に満足していないとの結果が出たという話があります。

さらに、立憲民主党の代表選の投票権からパートナーズを除外したり、その総意を確認することなく他党との合流交渉を行っています。そこに「市民の主体的な参加」はあると言えるでしょうか。

昨年の参院選で、「ボトムアップ」のモデルとして考えられていた「選挙戦略」は、おそらく「#りっけんSTORY」です。

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候補者一人一人の個人史を「ストーリー」として語り、「自分たちと同じ」であるとパートナーズが共感する。そしてついでに拡散してもらう。という筋書きだったと思われます。

「有権者による候補者への共感」が「ボトムアップ」の実態なら、あまりにもお粗末ではないでしょうか。前回の記事を読んでくださった方なら、候補者の個人史とか共感とか、政治にも選挙にも不必要だということは、改めて解説するまでもないでしょう。実際、「#りっけんSTORY」というハッシュタグがついたツイート群のリツイート数・Fav数を見る限り、このキャンペーンは完全に失敗したと言わざるを得ません。

なぜ、立憲民主党の現実は、理念とここまで乖離したのでしょうか。その組織内の要因は、部外者である私たちにはわかりません。ただ、立憲民主党およびパートナーズ運営外注先(※)は、「民主主義は市民の主体的な参加によって成り立つ」という素晴らしい理念をどのように実装したら良いのか、知見も構想力も持ち合わせていなかったように思われます。

※そもそもパートナーズ運営という党の中核事業を外注したこと自体が、大きな間違いの元だったかもしれません。

逆に、「ボトムアップ」の実装方法がわからなかったから、次第に有権者の視点を失ってしまったのではないかという見方もできます。

本記事で私は、今後のために、デザイン哲学の観点から「ボトムアップ政党」のモデルを、1つ提示したいと思います。その過程で、「政治家とは何か」「政党の役割とは何か」も示されることになります。

有権者の視点を獲得する、不断の努力について

第1回の記事で、立憲民主党に欠如しているのは「有権者の視点である」ことを示しました。その視点が政策パッケージや選挙関係のデザインに欠けていると、「有権者のことを真面目に考えていない」と有権者は不信感を抱きます。

でも、どうすれば政治家や政党は、「有権者の視点」を獲得できるのでしょうか。

まず重要なことは、国会議員の給与や扱えるお金・人脈・権力は、多くの国民とは完全に桁違いだということを、徹底して自覚することです。サラリーマン出身の議員でも、ひとたび職業政治家になれば、庶民感覚を忘れがちです。

華麗なる一族に産まれた鳩山由紀夫元首相は、その自らの弱点を知っていたのでしょう。2002年に、新橋に激安居酒屋「トモト」を開き、週に一度は大将として顔を出し、客の話に耳を傾けていました。(客単価1500円という低さのために3年で潰れたらしいですが)。

政治家の仕事は、「その地域・国に住まうすべての人々のため」に、社会制度を作ることです。そのための最初の一歩が、「人々のことを知る」ことです。だから、彼らの声と言葉に徹底して耳を傾けることが必要不可欠です。人々の声を聞き、自らの特権を忘れようとする不断の努力がなければ、生活感覚から遊離した政策が生まれるのは当然です。

患者の自覚症状や診察をろくに行わずに、病名を決めつけて手術をするヤブ医者は、患者を殺しかねません。政治家も同じです。この社会に住まう人の声を聴くことなく政策を決められると考える政治家は、人々の生命と社会を破滅へと追い込みかねません。それぐらい、恐ろしい職業であることを、十分に自覚していただきたいのです。

政治家の仕事とは、人々の苦しみに耳を傾け、社会的解決を行うこと

政治家は「聴くこと」が大事だとは言っても、やはりカウンセラーとは異なります。個人の悩みを聞いて、アドバイスをする訳ではありません。人々の生活の苦しみや不安に耳を傾け、その個々人の困難の背景に、社会制度上の構造的問題を発見します。

たとえば、ある30代独身男性の生活が大変だという悩みの背景には、勤め先の給料の安さがあるわけです。そこまでは誰でもわかります。では、なぜ給料が安いのか。たとえば同業他社が平均月100時間にもおよぶサービス残業によって、価格競争をしかけている、そのような違法労働が横行している原因は、労働基準法の罰則の緩さと、労働基準監督署の人員不足です。

その因果関係を見いだせれば、たとえば最低賃金を上げつつ、労働基準法と労働基準監督署を強化することによって、賃金の底上げを図る、という政策が生まれます。

このように、個々人の生活の悩みの背景に、社会制度上の欠陥を見いだし、その解決策を考え実行する。これが政治家の仕事なのです。

だから、医者が人体病理の専門家でなければならないのと同じように、政治家ひとりひとりが社会問題の専門家にならなければいけないのです。それは、別に政治家が社会学専攻しなければならないということではなく(社会学者が社会を理解しているとは限りませんし)、有権者の実体験をベースにして、社会問題についての構造的理解が必要だということです。

話がちょっと逸れますが、社会に対する構造的洞察が欠けていれば、たとえば「お金を配れば全部解決する」という「ソリューション」が出てきます。これは、患者に対して共感的な医者が、患者全員に「モルヒネを打ってあげるね」って言ってるのと変わりありません。

しかし、大事なことなのでもう一度言いますが、政治家の営みや洞察がベースにしているのは、あくまで市民の生活や生命であるべきです。一般市民の日々の生活や労働の営みが、この社会を創っているすべてなのです。

政党は集合知のプラットフォームであるべき

しかし、以上書いたことは、あくまで理想論です。政治家はすべて「社会問題の専門家」にならなければいけないと確かに言いましたが、「すべての社会問題の専門家」になることは、事実上不可能です。国政においては、たとえば法律、漁業・農業や経済、外交、防衛、環境、医療、災害対策など、ありとあらゆる政策立案が必要です。それをすべて1人でカバーできるスーパーマンは、おそらく地球上のどこにも存在しません。

だから、それをカバーするのが政党です。目指す社会についてのヴィジョンを共有しながらも、異なる専門家が集まり、人々の声をもとに全体としての政策パッケージを創っていく。政党とは、集合知のプラットフォーム、言い換えればシンクタンクなのです。

支持者と「有権者の視点」のズレ

さて、政党との関係において、市民の主体的参加ができるように、どのような仕組みが考えられるでしょうか。

まず第一に、市民の悩みや相談に耳を傾けられるインターフェイスは必要です。それは政党支部の事務所でも良いでしょうし、SNSやLINEという手段もありえます。よりフランクに素の声を拾っていくことを考えれば、鳩山元首相を見習って、カフェや居酒屋を常設するというのも1つの方法でしょう。

ただ、1つ考えないといけないのは、有権者自身が「有権者の視点」を言語化できているとは限らないという問題があります。たとえば、経済や財政や外交・国防などについて居丈高なことを言う人は、与野党どちらの支持にかかわらず存在します。しかし彼らは、それらの「政策」によって自分たちの生活がどのように変わるのか、考えた上で政治について語っている訳ではないことは、小泉政権時代に「構造改革」を支持していた人のことを思い返せばわかると思います。

残念ながら、政治に関心が高い有権者ほど、生活のレイヤーとは切り離された「政治的な正しさ」を主張する傾向が強いように思われます。その状況で、コアな支持者が求める政策を実行すると、かえって「有権者のための政治」が行われにくいことさえあり得るのです。

サポーターの役割は、一般有権者の声を拾うこと

なので、自党支持者の声を拾う仕組みとは別に、一般有権者の声を拾う仕組みが必要です。そして、政策レベルやイデオロギーレベルの意見とは別に、生活のレイヤーでの困りごとを拾い上げていく仕組みを、意識的に創りあげていく必要があるのです。

ここでちょっと発想を転換しましょう。私の理解が正しければ、「りっけんパートナーズ」は、選挙の時の広報部隊のような役割を担っていました。その役割を完全に逆転させるのです。

つまり、政党サポーターの声を拾うだけではなくて、サポーターに「身近な声を集める」役割を担ってもらうのです。たとえば、労働実態や生活実態に関するアンケート調査を、自身だけではなくて、その家族や友達に頼んで書いてもらうのです。

こうして党は、全国津々浦々、あらゆる職業や性別や年齢の人から、人々の生活やその苦しみの声を集めるのです。そこから、この日本社会の現状が浮かび上がります。

政策デザインは、オープン議論で

そして、それを解決する政策をデザインしていく。この段階で、特定の領域の専門家が必要になるかもしれません。しかし、一般の支持者には頼らず、専門家を呼んで政策を教えてもらうのは、やはりどこか選民主義的な思い込みにとらわれているように思われます。むしろ、一般市民の一人一人がなんらかの意味において当事者であり、専門家なのだと考えるべきです。

政策をデザイン過程において大切な事は、

①結論ありきではなく、ゼロベースの議論によって決定されること。

②議論の前提として、「国民の生活のため」という理念が共有されていること。

③議論は、国民の声も含めた事実と、できる限り正確なデータに基づいて判断されるべきだということ。

④議論の参加者は、党派や派閥ではなく、徹底して個人としての資格で参加すること。

政策に関する議論と決定過程を、動画配信などで完全にオープンにすること。そして、サポーターが意見を述べたり投票できたりする仕組みを作ること。

このオープンな議論こそが重要なのです。たとえば、どれほど立憲民主党内で消費税減税に関する議論が行われていたとしても、それが公開されていないということ自体が、有権者・支持者の不信感に繋がります。

選挙の前に、一般有権者の意見を聞こう

しかし、こうやって出来た政策は、本当に「国民のため」になるのでしょうか?最終的には、選挙という審判が下るわけですが、それだと一発勝負に過ぎます。

選挙の前に、出来上がった政策について、サポーターに頼んで、家族や友達・同僚などにレビューしてもらいましょう。その声をもとに、さらにより良い政策を練り上げていくのです。

もちろん、単なる政策だけではなく、あらゆる選挙関連の成果物(Webサイトやパンフレットなど)についても、一般有権者のレビューがあることが望ましいです。

たとえば、第1回で取り上げた立憲民主党の「子ども・若者向けのパンフレット」。事前にパートナーズが子どもたちに見せて、「読みやすかったか?」「意味がわかったか?」などきちんと意見を聞いていたら、あのようなものをリリースすることなどありえません。

選挙アピールを混ぜるな危険

「サポーターを一般有権者の声を拾い上げる媒体にする」というこの方法論が、選挙戦を戦うベースになりうることは、勘の良い人なら気がつくでしょう。たとえ親しい友人に対してでも、選挙の時になって投票をお願いするのは、非常にハードルが高いものです。下手をしたら、人間関係が壊れる可能性があるからです。

しかし、前にも書いたのですが、多くの人は「政治離れ」しているのではなく、政治について「押しつけ」られるのが苦手なだけなのです。

だから友人に政策についての意見を聞くことは、それに比べたら遙かにハードルが低いと思われます。そのようにして、普段から政治についての意見を聞く関係性を創っておくことが大切なのです。その日々の営みが、結果的に、政党の認知度と支持の裾野を広げることに繋がります。

ただし、ここで絶対に気をつけないといけないのは、意見を聞くことにかこつけて「政党をアピールする」という姿勢を見せないことです。これを見せると、一気に逆効果になります。

その悪い例が、ごく最近、FAXで送りつけられた、このアンケートです。

このFAXには色んな問題がありますが、1つだけ言うならば、「立憲民主党は政府に様々な施策を要求し、補正予算にも盛り込んでまいりました」の一文です。これは完全に逆効果です。このアンケートの構成からは、「立憲民主党は正しい政策を提案しているが、政府の運用は間違っている」という暗黙のメッセージが伝わってきます。

政党や政治家に、そのような自意識は不要です。それはアベノマスクや10万円給付金がどれほど有り難くても、「安倍さんにありがとう」と言う必要がないのと同じです。政治は、仮に国民のために良いことをしたとしても、それは当たり前の仕事なのです。

そこは勘違いしないでください。

ボトムアップは聴くこと・学ぶことから始まる

ちなみに昨年参院選の、立憲民主党のトップページを見ていたら、かなり上の方にこんなメッセージがありました。

教えてカピバラくん
参院選 当選者はどうやって決まるの?
こんな勘違いしていませんか?~衆院選と参院選の違いがわからない人に~

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衆院選と比較して、参院選の制度の違いを説くことは有意義なことです。しかし、それは淡々と解説すれば済むことのはずです。

「ボトムアップ経済」「令和デモクラシー」を謳う同じ選挙用特設ページにおいて、有権者に対して「あなたは間違っている」という啓蒙主義的態度を立憲民主党は自然に発露してしまっていたのです。

従来通りのトップダウン型の政治をやるつもりなら、何か正しいイデオロギーや政策を一般大衆に教え導くという態度でも構わないでしょう。その結果、支持を失うこともあるでしょうが、それは自業自得というものです。

しかし、ボトムアップ型の政党を作るつもりならば、この関係性を完全に逆にする必要があります。

人々の声に耳を傾け、自分たちの間違いを学ぶこと、それがボトムアップの本質です。ボトムアップ型の政党を創るということは、政党と支持者、そして支持者と一般有権者との関係性において、傾聴と学習のプロセスを制度として組みこんでいくことです。

ボトムアップ型民主主義を創るという立憲民主党のプロジェクトは、残念ながら看板倒れに終わってしまいそうです。でも、まだそうと決まった訳ではありません。

本稿が、野党の政治家や政党にとって、何かの気づきのきっかけになるなら。私としては、この「民主主義のためのデザイン」シリーズを書いた意義も少しはあったかな、と思います。

「民主主義のためのデザイン原論」のさいごに

これで「民主主義のためのデザイン原論」は一応完結とします。

また、今後も、政党のあり方や選挙デザインについては、書くことがあると思います。

特に何もありませんが、もし本稿を気に入ってくださった方は、サポートとしてご購入いただければ嬉しいです。今後の励みになります。

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