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立憲民主党には何が欠如していたのか ―民主主義のためのデザイン原論①―

立憲民主党の終焉

立憲民主党と国民民主党の合併交渉が進んでいます。

結党して約3年。私(馬の眼)は、立憲民主党設立前から #枝野立て  と何度もツイートしました。その後も、選挙運動そのほか、目に見える形でも見えない形でも、一定の距離を取りながらも支援をしてきました。

でも残念ながら、安倍政権があれだけの不祥事を抱えていたにも関わらず、野党が政権を取る勢いを見せることは一度もありませんでした。

野党第一党が広く国民の支持を得られていたら、現在のような愚劣な政権が続くこともなかったでしょうし、新型コロナの健康上・経済上の被害も、はるかに小さく済んだはずです。

設立当初は多大な期待を集めていた立憲民主党ですが、尻すぼみに支持を落とし、存在感が薄れていった、その事実をまず私たちは認め、その原因を探る必要があると思います。そうしなければ、政党が合併しても、あるいは野党共闘が進んでいっても、同じ失敗を繰り返すことになりかねないからです。

デザインと政治の関係

さて、今回の記事は、選挙のデザインシリーズ2回目です。立憲民主党がなぜ失敗したのかを、「デザイン」という観点から浮き彫りにしたいと思います。

おそらく日本のこれまでの政党の中で、立憲民主党はおそらく最もデザインにこだわった政党でした。元SEALDsのメンバーが、マーケティングに深く関わっているという話もあります。

それにも関わらず、若い世代への支持の拡大には失敗しています。前回2019年参院選の、無党派層の比例投票先です。10代・20代で支持が伸び悩んでいることがわかります。

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これは、選挙や政治において、デザインには大きな効果がない、ということを意味しているのでしょうか?

私の考えでは、そうではありません。そもそもデザインそのものが完全に失敗した結果なのです。

デザインは、見た目のオシャレさや雰囲気の問題ではありません。政治とデザインの関係は、一般に思われているよりも、はるかに深いものがあります。選挙におけるデザインについて突き詰めて考えれば、政治とは何か、民主主義における政党の役割はどのようなものか、そこまで見えてきます。

結論を先取りするならば、今の野党が伸び悩んでいるのは、デザイン哲学が完全に欠落しているからとさえ言えます。

デザインと政治不信

投票率低下の原因は、政治不信だと言われます。でも、そもそもなぜ人は、政治不信に陥っているのでしょうか。

政治不信について、以前に私は、ある発見を書いたことがあります。

ごくたまに、私は「ぼっちスタンディング」ってのをやるのです。自分で作ったプラカードを持って、町中で一人で持って立つのです。そのときに、声を出して呼びかけると、行きかう人ほぼ全員からスルーされます。それに対し、黙って立っていると、3人に1人ぐらいが凝視したり慌ててスマホで検索したり、リアクションをしてくれることに気がつきました。その衝撃的な経験から、私は次のように結論づけました。

多くの人は決して政治的に無関心なワケではなくて、押しつけられる感じに対して心理的バリアーを張っているだけだ

これを「社会運動のデザイン」という視点から考えれば、「声を出して訴える」というスタイルをやめて、静かに自発性を促すというスタイルに変えることで、逆にアピールとして大成功を収めたと言えます。

逆に言えば、声を張り上げて主張するという社会運動の押しつけがましさが、逆に人を政治から遠ざけているのです。選挙カーなどによる名前の連呼などにも、同じことが言えるでしょう。

人は、選挙の多くの場面で、このような政治不信を知らず知らずのうちに創り出しています。

そもそも選挙のポスターやチラシを、作る側は何のために作っているのでしょう?

・候補者の顔、名前を一致させる
・候補者の政策を知ってもらう
・街宣の予定を知ってもらう
・より深く繋がりを持ち、できれば支持者になってほしい

大まかに挙げるとこんなところでしょうか。情報の発信者・作り手としてはあくまで【候補者を知ってほしい】というのが主体になるでしょう。

そして、その気持ちのまま、パンフレットを作っている事案が多いように思われます。

それに対して、有権者が何を望んで、何のためにパンフレットを見るのでしょう。情報の受信者である有権者には選択肢が複数あります。彼らのニーズ(求めるもの)としては

・さまざまな候補者と見比べた上で投票先を決めたい
・この候補者が何を政策として掲げているかを知りたい
・それが自分のニーズと合致しているかどうかを確認したい
・さらなる興味が湧いた場合にはWebサイトやSNSでの投稿、実際リアルタイムで行われる詳しい話を聞いてみたい

ざっくりそんなプロセスになるかと思います。

デザインする人も含めた情報の発信者である候補者側は、あくまで候補者の視点からスタートし、候補者のニーズで物事を考えてしまいがち。

ところが、有権者の方は当然に有権者の視点からスタートして、有権者のニーズで複数の候補を見比べているのです。

そこにズレがあれば、大きな政治不信に繋がるのです。

謎のマウンティングが生み出す政治不信

一つだけ例を出します。昨年の参院選で使われた、立憲民主党の「子ども・若者 立憲ビジョン2019」です。

その紹介文には、次のように書かれています。

子ども・若者 のみなさんへ
 18歳選挙権が実現しました。
 悩みや問題の解決に向けて、自分で考え、意見を持ち、話し合い、決定に参加する。そんな「主権者」としての力を皆さんが身に着けられるように、立憲民主党は取り組んでいきます。
 主権者としての皆さんに、立憲民主党がどのような社会を目指し、どのような政策を訴えているか、知ってもらえるように、皆さんにかかわる政策をまとめました
 じっくり読んでいただけると嬉しいです。そして、みなさんのご意見を聞かせてください。(強調は筆者)

まず、自分たちの政策を若者に訴えたいし、知ってもらいたいという押しつけがましい姿勢が前面に出ています。

さらに、主権者として教育するという啓蒙主義的な態度もダメダメですね。もちろん、主権者教育も権利教育も大切です。でも、これを読んだ若い人はどう思うでしょうか?

今の社会制度を作ってきたのが大人であり政治ですよね。そこに若い世代の人間たちは、イヤも応もなく放り出されるわけです。その社会に対して、政党としてどのように責任を取っていくのか、それを示すことなく、「主権者としての力を身につけてください」ってお説教されて納得するでしょうか?

ちょっと話がズレますが、去年、野党支持者や国会議員(!)にまで大絶賛された、上野千鶴子による東大の新入生祝辞にもまったく同じ事が言えます。東大の中の男女差別に対して責任があるのは、新入生ではなく東大の教授陣です。その中でも、フェミニズムを教えてきた上野千鶴子の責任は非常に大きいはずです。だから、上野は新入生に説教する前に、東大に残された男女差別について、彼らに謝罪しなければならない立場なのです。

上野の祝辞が、東大新入生から不評だったのは当然です。彼女は、祝言もそこそこに自分の責任を棚上げにして新入生に対してマウンティングをかますという失礼な振る舞いを行い、その結果として当然、コミュニケーションに失敗しました。

それと全く同じ過ちを、立憲民主党のパンフレットは繰り返しています。自分が若者たちのために何をするのかを伝える前に、「あなたがたを主権者として教育する」と言う啓蒙主義的態度を取る限り、野党が若い世代の支持を得られることはありません。

さて、もう一つ、先の文章で本質的にダメなところがあります。後で解説しますけど、皆さんもちょっと考えてみてください。ヒントは強調部分です。

子ども向けのデザイン?

さて、デザインを見てみましょう。

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見た目はかわいらしく作られています。そして、すべての漢字にフリガナが振られています。しかし、子どもの立場に立って、このデザインは構成されていると言えるでしょうか?

・子どもが読みやすい文字の大きさやレイアウトになっていますか?

・子どもが読める文章の量や内容になっていますか?

・大人でも、「ゾーニング規制」や「AYA世代」など、耳で聞いて理解できない単語なのに、それを子ども向けの文章で使って良いですか?

要するにこのパンフは、自分たちの政策の見た目をちょっと子どもっぽくして、単にフリガナを振っただけなのです。それで、「子ども・若者向け政策」と言ってしまう。これで、本当に子どもに読んでもらうつもりだったのでしょうか。

今言ったようなことは、別にこのパンフレットに特有のことではありません。

・有権者の多くが高齢者なのに、小さな文字でぎっしり並べたパンフレットを作成する。

・ただひたすら思いつきの政策を何十個も主張する。

・ぱっと見オシャレだけど、非常に視認性の悪いロゴを採用する。

・見た目がかっこよいが、色使いが淡く文字が背景に完全に埋もれて、いつどこに行ったら良いのかわからないデモの呼びかけパンフレットを作る。

どれほど良いことを言っていたとしても、こうした一つ一つのデザインが、政治不信を創り上げていってるのです。有権者は、これらのデザインに、「政治は私たちのことを真摯に考えていない」という暗黙のメッセージを読み取ってしまいます

「若者のための政策」と「若者についての政策」は違う

立憲民主党の対若者向けパンフレットの、もっと致命的な問題は、実は政策の中身に関わることです。7の「やりたい仕事ができる社会を作ります」から引用します。

◎自分で会社をつくったり、農家、木を切ったり育てたりする仕事、漁師やものづくりなどの専門的な仕事への道を希望する若者が、希望通りの仕事につけるようにサポートします。
◎高校、大学等で職業教育・訓練やキャリア教育をしっかり行います。
◎会社に協力してもらい、職場実習を重視するようにします。さらに訓練期間を長くして、いろいろな資格の取得を支援できるようにし、確実に就職できるようにします。
◎これから社会に出る若者が、自らの権利等を守る力を養えるよう、 ワークルール教育を推進します。

若者に対して職業訓練を行い、ワークルール教育を推進する。要するに、若者を教育することが、「若者向け」の労働政策だというのです。

でもそれ、本気で言っているのでしょうか?

まず第一に、職業訓練を望んでいるのは、若者自身というよりも企業・経営者層です。逆に、職業訓練を労働政策の筆頭として掲げることで、「あなたが好きな仕事に就けないのは、スキルが足りないからだ」という自己責任論的なメッセージを、立憲民主党は若者に対して言外に送っています。少なくとも、読んだ方はそう受け取ります。

若者が労働政策として求めているのは、本当にそこでしょうか?むしろ、ブラック企業や官製ワーキングプアの問題、非正規雇用や最低賃金の問題こそ、若者の関心ではないでしょうか。たとえば、何十個も面接を受けてやっと入社した企業がブラック企業で、毎月100時間を超えるサービス残業を強制される恐怖や苦痛は、多くの若者にとって現実のものです。

若者が、その絶望的な状況に対して立憲民主党は何をしてくれるのだろう、と思って読み進めて言ったら、こう書いてある訳ですよ。

これから社会に出る若者が、自らの権利等を守る力を養えるよう、ワークルール教育を推進します

。。。。あなたがブラック企業で働く新入社員だとしたら、これを読んでどう思いますか?

もちろん、権利教育や労働基準法についての教育は大切です。でも、それ、まず勉強しないといけないのは、労働者自身よりも経営者です。そもそも、労働基準法違反を繰り返し、何万人もの労働者を死に追いやってきた企業を放置してきたのが、日本の政治ですよね。

そのブラック企業規制や、経営者に対する教育、最低賃金アップなどを差し置いて、「あなたがたに権利を守る教育を教えます」って言われたら、そりゃ「え、立憲民主党は私たち若者を守る気がないから、自分たちでなんとかしろってこと?」って受け取るでしょう。

つまり、この「若者向け」の政策パンフレットは、表面的なデザインによってはいかんともしがたいレベルで政治不信を創り出しています。というよりむしろ、政策そのもののデザインが、根本的に失敗していると言えます。

なぜ、そんなボタンの掛け違いが生まれたのか。もう一度、紹介文を見てみましょう。

主権者としての皆さんに、立憲民主党がどのような社会を目指し、どのような政策を訴えているか、知ってもらえるように、皆さんにかかわる政策をまとめました。

(若い)主権者の皆さんに知ってもらうために、皆さんにかかわる政策をまとめた。これが根本的な間違いです。立憲民主党には、「若者について」の政策と、「若者のため」の政策の区別がついていません。

具体的にいえば、「職業訓練」は、「若者についての政策」ですが、むしろ若者ではなく「企業・経営者のため」の政策です。

逆に、「ブラック企業規制」や「企業経営者に対する労働基準法教育」というのは、「若者について」の政策ではありませんが、「若者のため」の政策です。

「誰かのため」の政策と、「誰かについて」の政策はぜんぜん違うものですし、場合によっては、その2つは矛盾するのです。

政策を実行するのは、あくまで政治の側です。野党といえど、一般有権者とは比較にならない権力を持っています。政治とは、その有権者のために、有権者が直接行使できない力を使い、社会制度を変えることです。

そこを弁えず、「誰かについて」の政策を並べ立てることは、「私たちは権力を行使して、あなた方を変えます」ということになります。それは、民主主義とは言えません。

だから、若者のためのパンフレットを作るときに、若者をどう教育し啓蒙するかという政策を並べることそのものが、政策デザイン・選挙デザインとして致命的な誤謬です。この問題は、レイアウトや色使いなどでは修正が効きません。

そもそも、消費税だって、年金の問題だって、プライマリーバランスの問題だって、あるいは漁獲規制やTPPの話だって、なんだってすべて「若者のための政策」でなければおかしいのです。それが若者向けのパンフレットに書けないのならば、そもそも政策立案の段階で、その政策が若者の生活や将来設計にとってどういう意味があるのかをきちんと考えられてないということを意味しています。

有権者にとっては、自分たちのために政策立案ができない政党は、存在意義がないのです。これで若い世代の支持を得ようとしても無理です。

立憲民主党に欠如していたもの

デザインを分析する中で、立憲民主党になにが欠如していたのかが、透けて見えてきました。

立憲民主党に欠如していたのは、有権者の視点です。

成功するデザインは、常にユーザーの視点から構成されるものです。だから、有権者の視点に立って、選挙パンフレットやWebサイトを構築することは、民主主義政治にとって最も重要なことの1つなのです。

逆に言えば、ある政党がデザインに致命的に失敗するということは、その政党が「有権者の立場に立って」考えることができない、という事を示しています。分析者にとってだけではなく、そのデザインに触れた有権者もそう受け取るということです。だから、優れたデザイナーは、依頼者である政党や政治家の政策にまで、ダメだしをすることになるはずです。

ぜひ皆さん、これまでの立憲民主党の選挙戦略や政策、党首の行動を一つ一つ思い返して、有権者という視点からぜひ検討しなおしてみてください。私が言っていることが、如実に理解できると思います。答え合わせは次回行いましょう。

最後に、もう1つだけ、例を出します。参院選で惨敗したあとの枝野党首のインタビューを見てみます。

前回の衆院選は間違いなく「風」を受けた選挙でしたが、今回は最初から前回と同じ選挙をやろうとは思っていませんでした。風頼みの選挙では政権は取れても維持できないと考えています。今度は政権を取ることが目標ではなく、政権を最低でも2期、4年以上続けることが重要だと思っています。
 衆院選でいただいた風は大変、ありがたかったし、それで我が党は足場を作らせてもらった。けれども、野党第1党である以上、風が吹かなければ勝てないような選挙をしてはいけないんです。(強調は筆者)

彼が「風」と呼んだのは、一人一人が、生きて生活をしている有権者です。それどころか、立憲民主党を応援し、立ち上げたコアな支持者なのです。

上の言葉は、党の立ち上げを支えたコアな支持者には頼らないと、立憲民主党党首が事実上公言していることになります。そして恐ろしいことに、そのことに言った本人は気づいていないのです。

だから、参院選で惨敗しても、「地道に活動してきた結果」だと開き直れるのでしょう。これでは、安倍政権の倒閣は不可能だと言わざるを得ません。

つづき


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