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銭湯のおかげです 壱湯目 「銀座金春湯〜息子へ教える銭湯入浴方」

「壱湯目 銀座金春湯〜息子へ教える銭湯入浴方」

 夏真っ只中の八月某日。旅行から帰ってきてしばらく経ったころに、俺と息子の二人でマウンテンバイクに乗り、汗だくになりながら銀座に向かっている。

「暑いよ父ちゃん。こんなとこに銭湯なんかあるの?」

「ちょっと待ってろ。今調べながら行くから、ここからは後ろについてこい」

 スマホのGoogleマップを開いたまま、ハンドルのスマホスタンドにつけていた俺が先頭になり、銭湯を探す。

「ねぇまだー」

「あった、ここだ!」

 そこは銀座八丁目の裏通り、かの有名なミシュランガイドの星付き寿司屋「久兵衛」の目の前に、銭湯が鎮座している。

「全然わかんなかった」

「こんなとこに銭湯あるんだなぁ。目の前のこの寿司屋はすんげぇ有名で美味いらしいぞ!」

「え?じゃあここでご飯食べるの?

「そんなの無理に決まってんだろっ!すんげぇ高いんだぞ!」

「なーんだ」

「いいからとっとと入るぞ」

「うん!」

 店の入り口前には何台かの自転車が停まっている。空いてる隙間を見つけ、二人の自転車を停め、季節ごとに変わるのであろうか、金魚の提灯が飾られた入り口を入ると自動販売機がある。

「父ちゃんがガキの頃はな、銭湯の脱衣所に冷蔵庫みたいなのがあって、そこに牛乳とかの飲み物があって、風呂上がりに飲めたんだよ。これがまた最高なんだぞ」

「え!ホントに?ここもあるかな?」

「わかんないな。ここに自販があるってことはないんじゃないかなぁ」

「ええ〜、あればいいのになぁ」

「まぁとりあえず入ってからだな」

 通路の先には「わ」の文字の看板が掲げられている。「わ」は湯が沸いているという意味で、頭の文字をとって「わ」と書くことで開店を示し、反対に閉店のときは、お湯を抜いたという意味の頭文字をとって「ぬ」の文字が掲げられる。江戸の銭湯に多いと聞くが、やはり流石銀座の老舗銭湯である。
 通路を抜けると昔ながらの木札の下駄箱があり、濃厚な茶褐色の木造を基調とした作りの廊下が湯浴み客を出迎える。

「下駄箱に靴を入れて、この木札を持って中に入るんだぞ」

「わかった。僕がやる!」

 二人分のサンダルを下駄箱にしまい、手前にある男湯の引き戸を開けると、そこには懐かしい番台が目に入った。

「いらっしゃいませ」

「大人ひとりと小学生ひとりです」

「660円です」

 今の東京の銭湯では、大人ひとり480円なのか。俺が風呂なしアパートに住んでいた20代前半は、300円そこそこだったような気がするが、今の時代ワンコインでお釣りがくるのは良いかもしれない。
 湯銭を払い中を見渡すと、ロッカーは新しく最近のものになっていて、かなり清掃も行き届き清潔感が溢れている。

「父ちゃん。すげぇ天井高いよ」

 見上げると木造の格子柄の天井に、大きな羽のシーリングファンが回っている。

「おお、ビル銭湯なのにここまで天井高いのか。さすが銀座の老舗銭湯だな。よし、服を脱いだらロッカーに入れるんだぞ」

 左右の壁際と、真ん中の島にあるロッカーの中から、島のロッカーを選び、脱いだ服を次々と放り込む。俺がタオルより手拭い好きのため、風呂に入るときにも手拭いだ。

「ほら、これ手拭いな」

「父ちゃん。下駄箱の鍵はどうするの?」

「それもこのロッカーに入れときな」

「わかった」

 夏の薄着でも隠れる場所に入っているタトゥーなのだが、裸になれば当然見えてしまう。しかし番台にいるお母さんは、そんなことに文句を言うような野暮ではない。

「そんな心意気で江戸のど真ん中、銀座で銭湯ができるかってぇんだべらんめぇ!」

 とは言っていないが、俺の頭の中では鳴り響く。

「父ちゃん。飲みものは売ってないみたい」

「ああ、残念だなぁ。あれが美味いんだけどな。まぁしょうがない。出たら外の自販で飲もう」

 ロッカーに鍵をかけ、ゴムがあまりゆるくないので、手首に巻きつけ入湯準備完了。リンスインシャンプーとボディソープが備え付けなのは、事前に調べてあるので、手拭い一本で事足りる。
 浴場のサッシの引き戸を開けると、正面に壁画はこれぞ銭湯という富士山のペンキ絵。洗い場は両端と真ん中に島になった三列全てにシャワー付きで、白いタイルの壁と、薄いグレー床のタイルに、ピンク色のシャワーとカランの取手が明るい雰囲気と清潔感を醸し出している。

「椅子と桶を持って洗う場所に行って、まず体を全部洗ってから湯船に入るんだぞ」

「わかった。あ!父ちゃん見てこれ!モモテツって書いてあるよ」

 銭湯といえば定番のケロリンの黄色い桶だが、ここ金春湯さんは、あの桶の底に書かれてある「ケロリン」の文字が「モモテツ」になっていて、どうやらゲームの桃太郎電鉄を発売しているメーカーのハドソンさんとコラボしていて、あの字体と色で「モモテツ」と書いてあるということを、あとで知った。

「ホントだ。これあのモモテツなのかな?」

「絶対そうだよ!何これ面白い」

 ケラケラ笑う息子は、完全に金春湯さんというお釈迦様の掌の中を飛び回る孫悟空と化している。細かいところも気が利いているところなどは、さすが東京の銀座で江戸時代から続く老舗銭湯だと感嘆する。

 カランの前に腰掛け、上部だけが半楕円形の洒落れた鏡を見ながら体を洗っていると、息子が突然こちらを向いた。

「父ちゃんあっち向いて。背中洗ってあげる」

 おお!なんということだろう。家の風呂ではこんなことをしない息子が、銭湯では俺の背中を流してくれるではないか。旅行で入った大浴場以来の心地よさに「銭湯の素晴らしさはこんなところにもあるんだな。俺も銭湯で親父の背中を流したっけなぁ」と、感慨もひとしお。

「よーし、全部綺麗に流したな?湯船に入るぞ。その前に、今使った椅子と桶をお湯で流して、元の場所に戻すこと」

「なんで?また使うでしょ?」

「みんなが入るお風呂だろ?誰か入って来たときに、使ってないのに椅子とか桶とか置いてあったら、誰かが使ってると思うだろ?それで混んでたら、洗えなくなる人が出て来ちゃうじゃん。だから誰でも使えるようにしておくんだよ」

「これはどうするの?」

 手拭いを持って訊ねてくる。

「父ちゃんたちは今日手拭いしか持ってないだろ?だから手ぬぐいは持っていくんだよ」

 湯船に向かうと2つの浴槽が並んでいる。一方はジェットバス、もうひとつは普通の湯船だ。

「なんかブクブクしてるね、このお風呂」

「これが気持ちいいんだよ」

「手ぬぐいはお湯につけるなよ!」

「じゃあどこに置くの?」

「ここだよ」

 手拭いを畳んで頭に乗せてやる。

「旅行の温泉とかでも一緒だぞ。覚えとけよ」

「わかった」

 湯船に足を入れると、家で入っている温度よりは高い。これじゃあ、いつも熱いと文句を言う息子は入れるだろうか?

「ほら入ってみな」

 恐る恐る足をつける息子。

「あちっっっ!」

 隣の湯船の中にいた常連さんが、思わず「プッ」と吹き出し笑っている。

「大丈夫。すぐ慣れるから、我慢して入ってみな!」

「いや、こっちは熱すぎるから、こっちに入る」

 と言って、もうひとつの浴槽に入ろうとするが、そちらもジェットバスではないだけで、充分熱さはある。

「ここに蛇口あるじゃん!水出しちゃいけないの?」

「いや、みんなで入るお風呂だろ?ここの銭湯はこの温度でやってるんだから、水は出さないで入った方がいいよ。すぐ慣れるから我慢して入りな」

「うう〜」

 無言のまま、地獄の釜にでも茹でられているような形相で、ゆっくりと湯船に沈んでいく息子。

「頑張れ!我慢しな。すぐ気持ちよくなるから」

「うう〜」

数秒かけて肩まで湯船に浸かると、息子の表情がとろけたようになっていく。

「どうだ?気持ちいいだろ?」

「うん!もう大丈夫!最初は熱すぎて死ぬかと思った」

「これがいいんだよ。銭湯ってのは、だいたい家の風呂より熱いもんだぞ。あとほら、壁見てみな」

 熱い湯に浸かりながら、日本文化銭湯の象徴とも言える富士山が描かれた壁のペンキ絵を眺めていると、瞬く間に心も身体もほぐれていく。

「あ、ここに鯉もいるよ」

 ペンキ絵と湯船の間にあるタイルには、池を泳ぐような錦鯉が描かれている。ゆっくりと湯船に浸かりながら、至福の時が流れていく。久々の銭湯に日常を忘れ、癒され緩んでいく心と身体。う〜ん、銭湯はいい!最高!

「熱いよ。もう出ようよ」

「いいや、ちょっと待て。ここからがまた気持ちよくなるんだよ」

「一回出ようよ?」

「オッケー。じゃあ湯船から出たら、また椅子と桶持って来な」

 もう少し浸かりたいが、子どもにはまだ銭湯の湯は熱いのかもしれない。湯船から上がり、また洗い場へ戻ろうとすると、常連さんと思しきお父さんが話しかけて来た。

「自転車で来てたけど、サイクリングかなんか?」

「いや、この子が銭湯初めて入るんで、飯食いがてらに入ろうと思って来たんですよ」

「へぇ〜、初めてなんだ?どうだい?熱くないかい?」

 知らない人と裸で話す父親を見て、状況が飲み込めずにポカンとする息子。

「ほら、どうだった?」

「あ、熱かったけど大丈夫!」

「そうかそうか」

 にこやかに去っていくお父さん。いやぁやっぱりいいな、銭湯は。ここら辺は刺青にも全然偏見がなくていい。

「よーし、椅子と桶持って、もう一回座って」

「さっき洗ったじゃん」

「いいから」

 青のカランから、桶に水だけを注ぐ。

「熱いだろ?そういうときは水をかぶるんだよ」

「え?冷たいよ」

「こうやってやるんだよ」

 頭からジャバーっと水をかぶる。

「やってやろうか?」

「うん!」

 ジャバー。

「冷た冷たっ!」

「でも気持ちいいだろ?」

「あ、ホントだ!」

「もう一回いくぞ!」

 ジャバー。

 こうなると慣れたもので、自分でも水をかぶり始める。何杯か桶で水をかぶりながらもう一度身体も洗って、火照った体が冷えた頃、再び湯船に入りにいく。

「もう今度はブクブクした方入れるんじゃん?入ってみな」

「あ、全然大丈夫だ!」

「気持ちいいだろ?」

「うん!銭湯気持ちいいね!」

「来てよかったか?」

「うん!また来よう!」

「次は違う所にも行こうぜ」

「うん!」

 浴槽についている温度計を見ると、43℃を少し超えたぐらいだったので、子どもには熱かったかもしれないが、それでも銭湯は熱い方が気持ちいい。
 何度か湯船と水浴びを繰り返し、出ようとなったときに脱衣場に行こうとする息子を呼び止める。

「ちょっと待て。上がる前に、この手拭いを絞って体を吹いてからじゃないとダメだぞ。びしょびしょのままだと脱衣所の床が濡れちゃうだろ?ほら」

 濡れた手拭いではなかなか水分を吸い取らないので、何度も絞って吹いてやり、俺も体を拭き終わって脱衣場に入ると、掃除をしていた若旦那が息子に話しかけて来た。

「熱くなかった?」

「うん。気持ちよかった!」

「そう。ありがとう。また来てね」

「うん!」

 着替えている最中から、息子が激しく訴えてくる。

「父ちゃん、喉乾いたよー!」

「ちょっと待て!まだ服着てないだろ。昔の銭湯だと、ここで飲めたんだよなぁ。今度はあるとこに行こうな」

「いいから早く出よう」

 夏の夕暮れだ、髪は乾かさなくていいだろう。着替えて荷物をまとめ店を出る。

「どうもー、いいお湯でしたー」

「ありがとうございましたー」

 外の自動販売機で牛乳を買うと、金春湯入り口のベンチに腰掛け、一気飲みの息子。

「プハー!美味い!」

「父ちゃんはビールだ!コンビニいくぞ!」

「うん!ビール飲んだら花火ね!」

「オッケー!」

 帰りに花火を買い、湯上りでスッキリした心と体で、夏の夕涼みをしながら公園で息子と花火。
 なんか日本の夏って感じだよなぁ。こんな思い出が、俺のガキの頃にはいつもあった。いつの間にか夏っていうのはこんな感じだと、息子も知らず知らずのうちに覚えていくのだろう。

 俺の銭湯巡りは、こうして始まった。最初に行ったのが銀座の金春湯さんだったので、かなり素晴らしい銭湯体験ができたと思う。息子が今でも、1番好きな銭湯は金春湯さんだと言っている。
 粋な江戸の銭湯は、なんでもない日常が夏の思い出になる時間を作ってくれた。いい夏のひとときだった。銭湯のおかげです。ありがとう。

 さて次はどこの銭湯に行こうかなぁ。

つづく

 子どもも気にいる銀座ど真ん中にある、江戸の粋な銭湯金春湯さんはこちら. (東京銭湯マップさんのリストに飛びます)

 

 


30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!