ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#20 DEATH SIDE最後の作品「ALL IS HERE NOW」

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。


「#20 DEATH SIDE最後の作品 ALL IS HERE NOW」

 DEATH SIDE最後の作品となる3rd 7インチシングル「ALL IS HERE NOW」は、平成5年の1994年に発売されたが、この頃以前からCHELSEAは家でもハードコアを全く聴かなくなっていると言っていた。当時同棲していた彼女も嫌がるからとは言っていたのだが、本人的にもハードコアという音楽から離れていたのだと思われる。CHAOS U.Kとのスプリットアルバムでは、2ndアルバム「BET ON THE POSSIBILITY」とは違ったハードコアへの原点回帰も含まれた曲作りになっていたが、やはり本人は自分の好きな音楽、やりたい音楽を素直にやりたいと思っていたのだろう。打ち上げや様々な場所での俺も含めた友人たちとの会話でも、いわゆる一般的なロックへの擁護というと語弊があるかもしれないが、そういった発言も多かった。
 それは全く悪いことではないが、2ndアルバムレコーディングにおいて、俺は一般的ロックや、それを取り入れた音楽には完全に嫌気が差していたので、そういった俺の気持ちを汲んだものも曲作りにも反映されていたと思う。
 そしてCHELSEAはある日「俺ソロ活動もやろうと思ってるんだけどいいか?」と俺に言ってきたのが「ALL IS HERE NOW」発売後あたりだったと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!