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上越立ち止まりスポット14(下池部〜前島密記念館)

「郵便の父」として知られる前島密は、下池部村(上越市池部)の地主、上野助右衛門の次男として生まれた。32歳のときに幕府役人前島錠次郎の養子になり前島性になった。

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現在、下池部の交差点をはさんで生家跡に池部神社、前島記念館、前島密像、前島密記念郵便局がある。

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前島密は十代の頃より日本各地を旅し、幕末動乱期に医学、英語、航海学などを学んだ。明治二年民部省改正局に入り、翌年から郵便事業に乗り出した。アメリカ経由でイギリスに渡航し、郵便制度を研究してきた。

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明治四年、駅逓頭(大臣相当)になり、飛脚制度を廃止、全国に郵便制度を確立した。外国郵便や郵便為替、郵便貯金の制度、電話制度もつくった。前島密記念館には、郵便事業に関する貴重な資料が展示されている。

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郵便事業以外にも、鉄道事業、海運事業などの基礎を築いた。大隈重信の懐刀として活躍、大久保利通の大阪遷都論に対抗し東京遷都を建言した。首都東京の礎を築いたのも前島密ということだ。

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東京専門学校(早稲田大学)創立に尽力し、初代総長の大隈重信が退いた後、2代目総長になった。その後、貴族院議員をつとめ、明治35年に男爵を授けられる。大正8年、85歳で生涯を閉じた。

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