マガジンのカバー画像

杉田庄一に関するノート

119
教員採用試験の面接で志望動機を聞かれ、「紫電改のタカ」の最後のシーンを引きずって教員になろうと思いましたと、答えた。40年以上前のことである。その後、自分自身が試験官も経験し、教… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

上越note#2「杉田庄一顕彰碑」<浦川原区>

浦川原には観光名所はない!と浦川原在住者からキッパリ言われたが、そんなことはない。時には…

Stonefield
1年前
2

杉田庄一ノート106 掩体壕(松山市)

年末、弾丸ツアーで今治に住む息子のところにでかけた。上越から片道780Kmだ。息子の生存確認…

Stonefield
3か月前
3

杉田庄一ノート104 「ラバウルの真実」(吉田一彦)

 吉田氏は神戸大学名誉教授で「情報論」が専門。情報と戦争に関する著書も多い。2022年に亡く…

Stonefield
4か月前
2

杉田庄一ノート105 「秘めたる空戦」(松本良男/幾瀬勝琳)

 かなり前の話になるが、この「秘めたる空戦」がリアリティのある空戦記として話題になったこ…

Stonefield
4か月前

杉田庄一ノート103 「蒼空の航跡」(久山忍)

 副題は「元ゼロ戦パイロットが語る空戦と特攻の記録」である。ここでいう元ゼロ戦パイロット…

Stonefield
4か月前
3

杉田庄一の生涯を語る講演会

上越市の浦川原地区公民館で実施しました。 かなり市街地から遠いのですが、タクシーで中心市…

Stonefield
10か月前
5

杉田庄一ノート102 「海軍少年飛行兵」(朝日新聞社)…その3 入隊するまで

「海軍少年飛行兵」は朝日新聞社が作成した、少年飛行兵になるための手引書(参考書)である。最初の章は「入隊するまで」となっていて、「一 志願するにはどうしたらよいか」「二 採用試験はどんなものか」という二項目で構成されている。乙種予科連を志望する者を基本として書かれていて、甲種希望者はそのほかにプラスアルファがあるという付け足しで補っている。丙種については、とくに触れていないが、試験内容は乙種と同じと考えれば良いだろう。 以下の文章は、旧仮名遣いを私なりに直したものであるが、

杉田庄一ノート101 「海軍少年飛行兵」(朝日新聞社)…その2  序文

以下、序文である。旧仮名遣いを直してみた。苦しい戦況の中であるが、戦意を高揚しつつ海軍…

Stonefield
1年前
4

杉田庄一ノート100 「海軍少年飛行兵」(朝日新聞社)…その1 グラビア写真

ヤフーオークションで見つけて、すぐ落札。昭和19年の発行である。「愛知県塩津海洋道場之印」…

Stonefield
1年前
2

杉田庄一ノート99 「私は山本長官機の直掩だった」(柳谷謙治)…杉田も第一小隊三番…

山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜されたときの直掩機(護衛機)は二小隊六機で行った。六機の…

Stonefield
1年前
2

杉田庄一ノート98 「戦艦大和ノ最期」(吉田満)大和に攻撃された杉田区隊?

『戦艦大和ノ最期』は、戦争文学の至宝ともいうべき名著である。詳細は別のnoteに書いている。…

Stonefield
1年前
3

杉田庄一ノート97 「最後の紫電改パイロット 不屈の空の男の空戦記録」(笠井智一)…

 杉田の編隊に組み入れられた笠井らは猛烈な訓練を受けた。初対面のときに恐ろしい顔で現れた…

Stonefield
1年前
2

杉田庄一ノート96 「最後の紫電改パイロット 不屈の空の男の空戦記録」(笠井智一)…

笠井智一氏は大正十五年(1926)の三月八日、兵庫県多紀郡福住村藤ノ木(元丹波篠山市)に…

Stonefield
1年前
2

杉田庄一ノート95 「最後の撃墜王 紫電改戦闘機隊長 菅野直の生涯」(碇義朗)に書かれた杉田庄一

碇義朗氏の「最後の撃墜王」は菅野直の生涯を幼少期から追った渾身の書である。特に中学校時代、文学少年だった菅野の一面をその日記から掘り起こしているのは一読の価値がある。ナイーブでロマンチックで全く別の菅野を知ることができる。 菅野と杉田は、昭和19年の二六三空で出会ってから昭和20年三四三空で戦死するまで上司と部下の関係で過ごす。「最後の撃墜王」には、二人のエピソードがたくさん出てくる。 以下は、菅野が二〇一空に配属になり杉田を部下にもつ経緯。 「搭乗員の選択にあたっては先