ヒトに "寄り添う" ことは難しいけれど。
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ヒトに "寄り添う" ことは難しいけれど。

仕事柄、だれかの死に立ち会うことが多い。
病院で患者さんが亡くなれば、すぐに家族や身近な人が駆けつける(まれに例外もあるけれど) 。
当然、患者本人だけでなく、家族との関わりの必要性が生じる。もっと言ってしまえば、患者さんが亡くなればもう本人は口を聞けないのだから、その時点から相互コミュニケーションが必要なのは、患者さんでなく家族だ。



看護師のコミュニケーション技術のひとつとして、「傾聴」「共感」というものがある。
学生時代から嫌と言うほど叩き込まれる言葉だ。


傾聴とは、読んで字の如く、傾けて聴く。
目も、耳も、心も、すべて傾ける。


( アメリカの心理学者であるロジャーズが提唱した、傾聴において聴く側の3原則というのがあるので、参考までに最後に紹介します。)


傾聴と共感。
それは、"寄り添う"ということだと思う。
単に身体と身体を近づけるのとは違う。
"心に寄り添う"のだ。でもそれはとても難しい。
なぜなら、心というのは見えないからだ。


****


看護師5年目の頃、夜勤帯である患者さんが亡くなった。仮にAさんとする。90歳手前で小柄な女性だった。

たしか深夜0時前後だったと思う。
病棟に慌てて息子さんが駆け付けた。


通常、患者さんが亡くなると、エンゼルケア→霊安室へ移動→葬儀社のお迎え、という流れで退院となる。

エンゼルケアは簡単に言うと、患者さんの死後、その遺体を保清しきれいに整えることだ。


私が勤めていた病院では、エンゼルケアを行う前に、ご家族を病室に案内して患者さんとしばらく過ごしてもらい、これを「お別れの時間」としていた。
これが、だいたい15分くらい。

そのくらいで切り上げなければ、死後硬直といって患者さんの体がどんどん固まってしまうからだ。その前にエンゼルケアに入り、身体に留置している点滴の針や管を抜いて、全身を綺麗に拭いて、オムツや着物を整えて、顔にお化粧をして、その人がなるべくきれいな姿で退院できるようにしなければならない。


息子さんがAさんとお別れの時間を過ごして、15分くらいが経った。ベッドの横でパイプ椅子に座り、両手の指を組んで床をジッと見たまま動く様子はない。


心の中で、私は焦っていた。
これからAさんの退院までの対応もしなければならない、他にも10人以上の受け待ち患者がいる、その中には全身状態が極めて悪い患者さんだっている、点滴やオムツ交換に回る時間も迫っている。
やらなければならないことは多かった。


「失礼します」と、そっと病室に入る。
そばに近付き、息子さんより少し低いくらいの目線まで腰を落として静かに声を掛けた。

「さいご、お顔見てあげられましたか?
 ......。名残り惜しいと思いますが、そろそろ、これからの流れについて少し説明させていただきます。」

と言ったところで、怒鳴られた。


「ちょっと待ってくださいよ!お願いだからそんなに急かさないでくださいよ!!」


ビックリしたのと同時に、
正直、少しムッとしてしまった。

決して急かしたつもりはない。しっかり時間をとり、タイミングを見計らったつもりだった。息子さんを気遣い、哀しみに共感した上で言葉を選んで、声を掛けたつもりだった。


でも、全部、"つもり" だったのだと思う。


私は家族と同じように悲しそうな顔をして、そういう "カタチ" をとっただけ、"ポーズ" をしただけ。なんなら、このデリケートな状況に対して避けたい気持ちさえどこかにあったと思う。


「すみません。では、また、伺いますね。」
と、おずおずと部屋を出た。



息子さんの心を、見ようとしなかった。


あの「お別れの時間」に、息子さんはどんなことを思っていたのだろう。悲しかったのか、悔しかったのか、泣きたかったのか、怒りたかったのか。


どんな気持ちで私に怒鳴ったのだろう。
私はどんな姿勢で向き合えば良かったのだろう。


****


それからいつしか、出来るだけ私もご家族と一緒に「お別れの時間」を共有させてもらうようになった。

15分足らずのわずかな時間を、亡くなった患者さんとそのご家族とともに過ごし、お話をする。


「患者さんがこちらを気遣っていつも優しいことばを掛けてくれて、とても嬉しかったこと。」

「部屋に検温に行くと、よく冗談を言ってスタッフみんなを笑わせてくれていたこと。」

「早く元気にならなくちゃと、味の薄い病院食を一生懸命食べていたこと。」

「身体の痛みを我慢して、リハビリに励んでいたこと。」

「先週は、ベッドから起きて車椅子に乗れたこと。」

「点滴や採血、痛い処置でもグッと耐えていたこと。」

「意識朦朧のなか、最後まで、一生懸命に酸素を吸い込んで呼吸をしていたこと。」



これまで、私の目に映ってきた患者さんご本人について、お話する。すると、

「でしょう?本当に昔からみんなに優しいだったのよ。」とか、「え!?父がそんな冗談言える人だったなんて!」とか、「昔から我慢強い人だったから、最後まで頑張ってたんですね。」とか、そんな言葉が返ってきたりする。

そうやって、私の知らない「患者ではないBさん」と、ご家族の知らない「患者であるBさん」について、ああだったよね、こうだったよね、と話し合う時間は、"死"という悲しくて暗いイメージとは裏腹に、時にはフフッと笑みが溢れることもある。


ほんの少しだけど、患者さんとそのご家族と
心と心で繋がれたような気がする。


人が亡くなったという時に対してこんな言葉を使うのは不適切かもしれないけれど、私はこの時間が「温かくて」「好き」だ。




患者の枕元に顔を埋めてわんわん泣いている人。
ハンカチで目を押さえて静かに涙を流す人。
微笑んだ顔で患者の手を握り、語りかける人。
ベッドの横で動かず、ただジッと見つめる人。

患者の死後、その家族はさまざまだ。


だからもちろんその状況によっては、私のこのような関わりが適さない場合もある。
そこも、しっかりと見極めなければならない。



看護は、人と人の交流で成り立つ仕事。

看護師9年目となった今も、未だ難しい。
たぶん、これからもずっと難しい。
でも、だからといって、それを諦めたくない。
いつでも誰かに寄り添える人間になりたいと思う。



【ロジャーズの三原則】

1.共感的理解
相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。


2.無条件の肯定的関心
相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。其のことによって、話し手は安心して話ができる。

3.自己一致
聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。


厚生労働省 :
https://kokoro.mhlw.go.jp/listen_001/より抜粋

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1990年生。関東在住。看護師。日々ふと思ったことのメモと、文章を書く練習。noteでの新たな出会いも大切にしたい。