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「僕が僕であるということ」 (リーグ第10節・浦和レッズ戦:2-1)

 川崎フロンターレでも指揮をしたこともある風間八宏氏が、桐蔭横浜大学サッカー部で監督をしていた時代のこと。

 ある試合中、中盤の真ん中が主戦場だった選手に右サイドバックでプレーすることを命じたのだが、その選手は「監督、僕は右サイドをやったことがないんです」と訴えてきたそうである。

 すると風間監督は「お前は、試合中に一回も右サイドに移動したことないのか?」と問いかけ、「いや、あります」と答えるその選手に、「じゃあ、その時間が長いだけだ」と一蹴したとのことだった。

 実際、時間の経過とともに右サイドバックのプレーが板につき始めたというのだから面白い。ポジションをコンバートさせることで、選手の頭の中にある固定観念を変えていく、風間監督らしい指導エピソードである。


 寒夜の等々力陸上競技場。
登里享平のアクシデントにより、急遽、左サイドバックに入ってプレーしている塚川孝輝の姿を見ながら、自分はこのときの話を思い出していた。

 前半の塚川孝輝は、自陣でボールを持っても谷口彰悟に戻すバックパスを優先して選択しているように見えた。要はプレーの選択がどこか後ろ向きで、乱暴に言えば、弱気だった。

 不慣れなポジションでの緊急出場。そして失点につながるフリーキックを与えたファール。普段から悩むことが多いと話す塚川孝輝のことだ。もしかしたら、頭も気持ちもうまく整理できずにピッチに立っているのかもしれないという心配を記者席からしてしまった。

 試合後、本人はこう振り返る。

「左サイドバックは練習でもやったことがなかったので、戸惑いがすごくありました。前半は自分のファールで失点したので、メンタル的にも難しかったです。そこは自分が反省すべきところです」

 ただ後半になると見違えた。
左サイドでボールを持った時の選択が、縦方向や斜め方向など前向きなパスを繰り出そうとしている。塚川曰く、「吹っ切れた」そうである。

「後半はメンタル的にもやるしかないという気持ちになったし、ハーフタイムに自分に問いかけながら出来ていたので。そこでうまく吹っ切れたことが、ああいう後半になったので、そこは良かったかなと思います」

 メンタル的に吹っ切れたことで、サイドバックのポジションでやるべきことも整理されていた。正確にいうと、整理したというよりも、やるべきことや、やらなくてはいけないことに囚われることを辞めた、という表現の方が適切かもしれない。サイドバックとしてどうあるべきではなく、自分がやるべきことに切り替えた感覚だ。

「普段はアンカーなので。後半は自分がやれるプレーをやろうと思って、サイドバックという感覚をなくして、普段やっている感じで臨みました」

 試合後の塚川はそう語っていた。
冒頭で紹介した、風間八宏氏の「サイドにいる時間が長いだけだ」という感覚に近いものだったかもしれない。

 ただ自分ができることに集中すれば、次第に持ち味は出る。

 この日の決勝弾は、塚川が起点になったものだ。

 同点に追いついた直後の64分。

ボールを拾った塚川にプレッシャーに来ていたのは、屈強なフィジカルを誇る日本代表・右サイドバックである酒井宏樹だ。ただ塚川も当たりの強さには自信がある。酒井からの激しいコンタクトにもしっかりとボールをキープ。反転しながら、中央でボールを受けようとする選手に向けて、絶妙な斜めのクサビを配給した。

 塚川の出したボールの先にいたのは、脇坂泰斗だった。

■(※追記:3月4日)同点時に、ピッチではなく戦術ボードをじっと見つめていた指揮官。2分後の逆転劇までに「どんな思考を巡らせていたのか」を聞いてみた。

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