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第7号:「大木武監督が教えてくれた、逆転の発想と挑戦する勇気」


 どうも、いしかわごうです。でんでーん!

あのー、日頃サッカーの取材をしていると、選手だけではなく監督からも、仕事に対する姿勢や考え方にいろんな刺激や影響を受けるんですよ。

今回はそんな話をしたいと思います。


僕はサッカー専門新聞エルゴラッソで2007年から2009年の3年間、ヴァンフォーレ甲府担当をしていたのですが、その2007年シーズンにチームを率いていたのが大木武監督という人物でした

番記者として取材したのはわずか1シーズンだったものの、大木監督はとても魅力的な人で、毎週甲府の練習場に通って接しているうちに、そのキャラクターとサッカー観にすっかり魅了されてしまったんですわ。

口癖は「俺は基本的に、アイ・ラブ・フットボールだからよ」。
甲府では全体練習が終わると、選手に交じって居残りの鳥かごをして、それが終わって選手全員が帰るまでいつもグラウンドでリフティングしてました。 

 静岡のサッカーどころ清水出身だけあって、とにかくサッカーが大好き。
川崎フロンターレの風間八宏監督とは同郷で、中学の同級生だったそうです(高校は風間さんが清水商業で、大木さんが清水東だったので別々)。川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部出身で、フロンターレのユースの指導をしていた時代もありました。


小柄な風貌は、なんだか農家にいそうなおじさんといった感じで(大木さん、すみません。ちなみに東京農業大学出身)、愛車のベンツを運転する姿を見た選手たちからは「大木さんはベンチよりトラクターのほうが似合うよね」なんて言われるほどでした。


そして性格は裏表がないんですよ。

というか、曲がったことや筋の通らないことが大嫌い。
そのポリシーはチームの指導や采配にも反映されていて、たとえ学生との練習試合であっても選手には全力を尽くさせる(練習着ではなく公式戦さながらのユニフォームで試合をさせていた)、時間稼ぎの交代や守備固め交代はしないという徹底ぶり。そこに関しては、ものすごく頑固です。頑固一徹です。


当然、選手にもプレー中の抗議や遅延行為をさせないし、なによりサッカーをプレーすることを選手に求める指導者でした。

昔、甲府がJ2で下位を彷徨っていた時代、痛がる演技をして試合中に時計の針を進めようとする選手に、こう怒鳴ったこともあるそうです。


「お前らは何て呼ばれてるんだ?『プレイヤー』だろ?これはただの仕事か?夢のある仕事なのに、お前らは『ワーカー』か?『プレー』の語源は、『遊ぶ』ということだ。楽しまなきゃいけない。純粋にプレーしろ。ウチに演技するアクター(俳優)はいらない!」

・・・いやぁ、熱いですよね。そして言葉に力を持ってる人で「サッカーはエンターティメントだ」、「迷ったら前だ」などの「大木語録」も多数です。

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