12星座の話-その5:双子座

牡牛座の次の星座は、双子座です。

「時間」のなかに生命が誕生し(牡羊座)、その生命が「身体」を得て、感覚をもとに時間を確かめ始め(牡牛座)、そして、そのつぎにくる世界が、双子座です。

牡牛座のテーマがめいっぱい満タンになったところで
ポン!
と、また次に飛び移るわけです。

双子座は、2人います。
ふたごだから、当然です。
この2人は、片方は死に行く運命のもの、もう片方は、不死の存在とされます。

牡牛座で「自分が自分である」「これが快くてこれは不快だ」「これは自分で、これは自分ではない」という実感を手に入れました。

その「自分の実感」の世界がまっとうされると、自分が自分で充ち満ちてしまい、息が詰まりそうになります。いわば「器」に閉じ込められた状態です。
自分の五感という「器」に収まった「命」は、今度は「外」に出て行きたくなるのです。

牡羊座の段階で「時間」に投げ込まれた「命」は、もともとは「個」ではありませんでした。命は、どういうわけか、「関わり」をもとめるもののようなのです。
いろいろなものとのつながりそのものが「命」である、とも言えるかもしれません。

自他の境界がハッキリしないような世界から、いきなり「個」を手に入れたはいいものの、この「器」の中に閉じこもるのは、「命」の本意ではないようです。

自分がどう感じるか。
自分が痛いか痛くないか。
自分と自分以外のものの境界線はどこか。
ここまでが、牡牛座の管轄です。

でも、この世界を見切ってしまうと、どうしても息苦しくなってくるのです。
そこで、牡牛座から双子座への「ジャンプ」が起こります。

双子座は「外の世界」「自分以外の世界」を旅する星座です。
そこにはかならず、自分以外の「他者」の存在があります。
ここまでで「自分」を作っているものは、命と自分の感覚、五感の感覚だけ、でしたが、ここへ来て、「自分」が自分以外のものを見つめ始めます。

自分のことなら、自分の感覚で判断・理解が可能です。
でも、他者のことはどうでしょうか。
他者の感覚は、外側から見ただけでは、わかりません。
他者も、一つの器の中に入った命、という構造をしています。
感覚は器の中に入っていて、直接的には、外に出ません。

ここで、「思考」「コミュニケーション」というテーマが出てきます。
他者の器の中にあるもの、すなわち他者の感覚を理解するには、他者からなんらかの信号を送ってもらって、それを自分の中で解読して、自分の経験と重ね合わせてイメージを再構築する必要があります。
そうすれば、他者という「器」のなかで何が起こっているか、大まかにでも想像できます。

この段階で知ることができるのは、牡牛座の段階から引き継がれた「自分」の延長線上にあるものです。

他者と初めて出会った時、私たちは、自分との共通点と相違点を見いだそうとします。
たまたま会社で同じ部署になった人が
「偶然同じ中学校の卒業生だった!」
というとき、たいていはどきりとして、親近感を感じます。
その相手がどんな人間かということよりさきに、「共通点」に意識が向かうのです。

自分の中にあるものが、他人の中にもある。
完全に一致はしないけれど、部分的に同じようなものを持っていることがある。

理解し合うというのは、相手の思いや感性を、自分も
「そうだそうだ、なるほど」
と思える、ということです。

双子座が見ているのは、他者の中にいるもう一人の自分です。
双子座は、いろいろな世界を飛び回ります。
好奇心を持って、様々なものを見ます。
そして、そこに自分とつながりのあるものを発見し、よろこんでそれを更に、人に伝えます。人に伝えるということも、新たな「もう一人の自分」を作る作業です。

双子座はそのように、様々な世界を飛翔して、自分と他者のつながりを発見し続けます。

自分の命は自分の命だけれども、それが完全に自分固有のものではないのです。
もっと広い世界で、他者の命と関わり合い、ほとんど無限に「もう一人の自分」を探し続けていけるのです。

双子座の人は、知的で言葉を扱うことが巧みですが、過剰に批判的であったり、頭ごなしに懐疑的であったりすることは、少ないようです。
それはおそらく、批判したり攻撃したりしなければいけないような対象には、本質的には、「興味がない」からだと思います。
あるいは、批判や攻撃を強くすることもありますが、それは、ある怒りがあらかじめ自分の中にあり、その上で他者の中にも同じような怒りを見つけて、そこではじめて強く怒る、ということなのかもしれません。

双子座は、知的で軽やかで、人の考えや感覚を理解し、あるいは、自分の考えや感覚を人に伝えることに長ける、とされています。
見聞きすることに敏感ですが、それは、すべて、自分という身体の中に根を張る「感覚」と、びったりむすびついています。

自分の感覚、実感と繋がらないことを話すとき、双子座の話は、極端に薄っぺらくなります。
つまり、牡牛座の力が、双子座の前提になっているからです。
ゆえに、自分の土台である牡牛座的な「感覚・実感」を育てるのをやめたとき、双子座の語る言葉は、スカスカになってしまうのです。

旅することと学ぶこと、そして語ることは、双子座の基本的なテーマです。
理解されたい、理解したい。
もっと広い世界に自分の半身を見いだしたい。
この欲求は、双子座の世界をどんどん広げていきます。

双子座の世界は、風の世界です。
風は、自分と他者を切り分けて、そこに橋を架ける力です。

双子座の世界ではいつも、自分と他者は離れた場所に位置しています。
コミュニケーションが上手なのは、自分と他者が本来、きちんと切り離されたものだということを認識しているからです。
人の気持ちと自分の気持ちをごっちゃにしたら、コミュニケーションはうまくいかないでしょう。

牡牛座で「自分」と「自分の感性」がすべてだった世界とは全く違う、この「他者」であふれる世界。

この双子座の世界を歩いていくと、いったい、どんな問題が起こってくるのでしょうか。

風の星座は、「切り離す」星座です。
切り離した上で、橋を架けます。
自分と相手は、異なった存在で、あくまで、相手と自分が融合しない状態で関わります。

この世界を進んでいくうち、「命」はある不満を感じるようになるようなのです。

それは、最初の方に少しだけ述べた、牡羊座の前に「命」がいた場所に、ヒントがあります。

これが、次回の蟹座のテーマになります。


(「筋トレ」メールマガジン(2006/5/31号)より、改稿)