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ストラングラーズの新曲「If Something Gonna Kill Me (It Might As Well Be Love)」

 ストラングラーズの新シングル曲が8月6日に発表された。この秋にリリースされるニュー・アルバム『Dark Matters』からすでに2曲の新曲が先行リリースされているが、今回シングルとしては2つ目となるこの曲「If Something Gonna Kill Me (It Might As Well Be Love)」はなんとも不穏なタイトルをもつものだ。ファンなら周知のとおり、『Dark Matters』は、バンドのデビュー以来のメンバーであるデイヴ・グリーンフィールドが亡くなってから初めてのアルバムである。デイヴの生前、アルバムがどういったコンセプトで制作されていたのかわからないが、彼の急逝からその方向性はまったく変わってしまったであろうことは容易に想像できる。1枚目のシングル「And If You Should See Dave...」は直接的なデイヴへの鎮魂歌のようなものだったが、これがシングルとして発表されたということはアルバムの内容がデイヴへのさまざまな思いが詰まったものであることを示唆している。そして今回2曲目のシングルとしてリリースされたのがこの「If Something Gonna Kill Me (It Might As Well Be Love)」だ。(この間「The Lines」という曲もビデオとともに発表されているが、これはシングル扱いではなかった) 

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 この曲はまずジャケット画像が公開され、その後、時間をずらして曲とミュージック・ビデオが公開された。ジャケットは、まず大きな古い屋敷がどかんとあり、老夫婦が玄関の前に立ってこちらを見ている。その後方には大きなキノコ雲が空を割ってしまいそうに立ち昇っていくさまが映し出されている。一見して不気味、寒気がする画像だ。これが8月6日にリリースされたことの意味は明白だ。歌詞に直接的な言葉はないが、<戦争>や<地震>といった、それを連想させる言葉はあり、この曲のテーマが<核戦争>にまつわるものであることがしめされている。このジャケットを見ながら曲を聴くと恐怖に胸を締めつけられ、怯えるばかりだ。


 時間をずらして公開されたビデオ映像を見るとさらに恐怖に襲われる。大きな屋敷に暮らす老夫婦。二人の息子であろう若い青年は軍務に就いている。おそらく軍務の合間に帰郷したであろう息子を夫婦は誇らしく思いながら送り出す。テレビは混沌とした世界を映し出し、一触即発の事態にあることを伝えている。そして息子のもとに召集令状が届く。テレビでは戦いのときがきたことを、なにかのイベントが始まるかのように報道する。やがて夫婦に手紙が届く。息子を亡くしたことを知った夫婦は絶望し、二人の関係にも亀裂が入る。そんななか、テレビが映らなくなり、閃光と地鳴りと炎が二人を襲い、エンディングを迎える。エンドクレジットでは地球を飛び交うたくさんの飛翔物が映る。

 非常にわかりやすい内容の映像だ。この映像が訴えているのは戦争が生む悲惨さや恐怖、とりわけ核戦争がもたらす望みのない未来だ。短編映画のような映像はとても緊迫感があり、役者の演技も鬼気迫るものがある。衝撃的な映像に引き付けられ、画面に釘付けになってしまうほどの素晴らしい映像だ。映像を作ったのはダニエル・オラマスなる人物。近年のストラングラーズは新進気鋭の映像作家を起用してバンドの映像を作らせているが、彼もそんな一人だ。ホラー映画のようにもみえるこの映像が訴えているものはとてもシンプルでわかりやすいが、時代考証はすごく曖昧で難解だ。テレビに映る映像はかなり昔のもの(ここに出てくる人物が誰なのか、ご存知の方がおられたらご教示いただきたい)で、それを映すテレビ自体も旧式のアナログテレビだ。しかし、戦死を伝える手紙にあった息子が亡くなった日にちは2021年8月16日である。場所はインドのムンバイ、核爆弾による戦死と書かれているようだ。これはなにを意味しているのか?
(ムンバイというキーワードをもとに現代という時代を考えてみると、コロナウイルスの変異株が頭に浮かぶ。ムンバイはインドで最も多くの感染者が出てしまった都市で、コロナを核爆弾と重ね合わせてみると、息子は仕事で赴任したムンバイでコロナウイルスという爆弾の犠牲になったと読み取れなくもないが、ただこれは説得力に乏しい憶測にすぎない)

 8月6日に発表した、核爆弾を扱ったシングル曲。この曲の意味合いは明快だ。ただし、それはジャケットを見て、さらにビデオを見て生まれる意味合いに過ぎず、曲を聴くだけではそういった意味合いはなかなか見出だせない。
 インタビューでJJは、「自分とは違ってダニエルは彼なりの解釈で映像を作ったけど、それも気に入っている」ということを言っている。ということは、JJはビデオ制作に際し、その全般を、自分たちが選んだ映像作家に一任しているということか。JJの意図、曲の真意とは違う映像であってもその映像を採用するのはバンドの方針だったのだろうか? もしそうだとするならば、そのやり方には疑問を感じる。というのも、今回の映像はあまりにショッキングで、ミュージック・ビデオの範疇に収まらないほどよくできた映像であるため、この内容が曲の真意にとられてしまう怖れがあるからだ。しかもこの曲のリリースが8月6日ということもその怖れを大きくする。曲がどう解釈されるか、それは聴く側に委ねられるべきで、作者とは異なる映像作家のひとつの解釈に引っ張られてしまうことがはたして正しい方法であるのか……。

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