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ドニー・イェンとアンディ・ラウのあまりに純粋なラブロマンス映画-香港ノワール『追龍』感想

香港ノワールと聞いて何を想像するだろうか。雑多な街並み、ドライな暴力、冷酷な香港マフィア、清濁併せ持つ香港警察、白熱電灯、中華包丁、飯、そしてブロマンス。それらが全て詰め込まれた正統派香港ノワールが新たに爆誕した。それがドニー・イェン主演『追龍』である。

正直な話をしよう。ドニーさんがの実在の人物を題材にした香港ノワール『追龍』を主演すると発表されたとき、ぶっちゃけ全く期待していなかった。
ドニーさんと言えば「アクションは凄いけど話は…」の代名詞。イップ・マンシリーズでの大ヒットを経てもそのイメージは完全に払拭されたとは言い難い。イップ・マン以降も『カンフージャングル』や『捜査官X』などの大傑作を生みだす一方、『アイスマン 宇宙最速の戦士』や『モンキー・マジック 孫悟空誕生』などの珍作にも堂々と出演するので、いくら大好きなドニーさんの映画でも新作が発表されるたびにちょっと身構えてしまうことがある。
そんなさなかに発表された『追龍』のファーストルックにはどう見ても足の悪い老人が写っていた。やたら派手なスーツとサングラスを身に着けており、明らかに格闘アクションをするようなキャラには見えない。この時点で期待値はグンと下がったのを憶えている。
ストーリーが面白くなくてもアクションが凄いならまあ許せるけど、ストーリーが面白くなくてアクションも無いとなったらそりゃもうえらいことである。たこ焼きのタコが入ってなくても、皮がカリカリならまあ許せるが、なんと生地が生焼けである!そんなことがあったら、誰だってしょんぼりする。つまりはそういうことなのだ。
ただ一つ、ドニー・イェンとアンディ・ラウ初共演というニュースだけがこの冷え切った俺の心に明かりを灯してくれた。
アンディ・ラウと言えばあのアンディ・ラウである。香港四天王に数えられる俳優で、顔よし演技よし色気よしに歌もよし。さらには達筆で仏教徒で徳の高い人物と来た。誰だってアンディ・ラウが大好きだ。
そんなアンディ・ラウとドニーさんが初共演。このニュースにとても心を躍らせたのは言うまでもない。
だがそんな期待も、雨の中の涙のように、本国公開から3年という時を経て消えていった。一体なぜ公開されないのだろうか。もしかして、評判が芳しくないのだろうか。やはり、アクションが無いのがまずかったか?
そんな不安を抱えながらついに追龍が本邦公開を迎えた。全然期待してないけど。でも、まあ観に行かなきゃな。ドニーさんとアンディ・ラウだし。ついでに『WAR』も観なきゃだし。そんな消極的な想いを抱えながら劇場へと赴いた。
そんで見んですが追龍、いやメチャクチャおもしろかったです。そんでもってメチャクチャ好きな映画だった。
最初、実録ノワールと聞いて『ブラック・スキャンダル』のような地味な社会の映画かと思っていたが、これが蓋を開けてみると脂汗滴る男と男の友情と野望を描いた激熱の香港ノワールで、もうメチャクチャ好きなやつだった。心配していた格闘アクションの無いドニーさんだが、これもまた問題にならないほどいい。ドニーさんが本作で演じるのは実在の麻薬王にして九龍城砦の首領、ン・シックホー。家族を大事にする反面、ドラッグを民衆に売り捌き、敵対する者や家族に手を出した者には容赦しない殺意をギラつかせた正真正銘に悪党である。これがまた新鮮で、ドニーさんが演じるキャラクターは、刑事であってもカンフーマスターであっても基本的に正義感の強いキャラクターばかり。正義感の暴走や結果的に人を拳で殺めることはあってもここまで純粋な殺意を持ったキャラクターはドニー史上(多分)はじめてである。
カンフーを封印した結果、質量保存の法則で殺意が増大したドニー・イェンがスクリーンに降誕した瞬間は暴力の神として拝み倒しそうになった。
その存在感は詠春拳の達人でショウ・ブラザーズの代表的なカンフースターでありながらカンフーを封印して『男たちの挽歌』に挑んだティ・ロンに近いものがある。
恐らく、素手で実際に人を殺せる人が敢えて銃という合理的な手段を選択すると、より殺意が際立つのではないかと思う。とにかくメチャクチャよかった。
そして一方のアンディ・ラウだが、本作に登場する実在の汚職警官ロックを演じるのはこれで5度目らしい。アンディ・ラウにとってももはやライフワークと化した汚職警官演技。やはりアンディ・ラウらしい、安定した良さが出ている。
だが一つ違うのは、ロックと組んだ麻薬王ン・シックホーを演じるのがドニー・イェンだということだ。
結果スクリーンに映し出されたのは、ドニー・イェンとアンディ・ラウのあまりにも純粋なラブロマンス。
ン・シックホーはかつて命を救ってくれたロックにどこまでを筋を通すし、ロックはロックで脚を捧げてまで命を救ってくれたン・シックホーに絶大な敬愛を寄せている。二人は香港の裏社会を支配し、コントロールするという暗黒の野望を抱き、共に香港の闇を駆け抜ける。そして幾度となく命を救い合う二人はやがて血よりも濃い"侠"という絆で結ばれることとなる。しかし、物語の舞台は九龍城砦。香港の黒社会。どこまでも欲と悪意が複雑に絡み合い、どこに落とし穴があるかも知れぬ闇の舞踏会。ともすれば背中を預けた相手が明日には銃を向け合うこともあり得る。そんな場所だ。
利益のために手を組むン・シックホーとロックだが、黒社会で暗躍する限り、他人を心から信用することはあり得ない。ン・シックホーもロックも、表では笑顔で手を握りながらも、明日には相手に出し抜かれぬよう網を張り巡らしている。
しかし、そんな二人が互いを見つめ合う視線はどこまでも熱く、背中を向ける姿は敬意を雄弁に語っている。
確かに、心の底では信用していないかもしれない。だが同時に「お前になら殺されてもいいかもしれない」という想いも見て取れる。
激動の香港を共に駆け抜けたからこそ、二人の間には筋や侠とも違う、あまりに純粋な愛のようなものが芽生えていくのだ。
まさにアンディ・ラウとドニー・イェンのラブストーリー。「あのころ君を追いかけた」ならぬ「あのころ龍を追いかけた」である。
どう考えても悪事しか働いてない二人だが、そこには善悪を吐き捨て夢に向かって駆け抜ける青春映画のような清々しさがあった。
追龍とは、ヘロインを吸う行為に対するスラングなのだが、同時に本作は「龍を追い求めた二人」という意味にもなっている。
そう、この熱き香港ノワールは、青春ラブストーリーでもあるのだ。

本作はところどころ演出面に安っぽさがあるなど、完璧な映画とは言えない。だが、九龍城砦の如くどこまでも雑多な雰囲気はまさに香港映画らしく、悪役をイギリス人にスケープゴートすることで発揮された伸び伸びとしたバイオレンスは竹を割った気持ちよさがある。本当にドニーさんがここまでバイオレンスが似合うとは思わなかった。
本人は役が抜けきらず困ることがあるようで「もう殺意漲るキャラは演じたくない」と述べているが、正直なところ殺意漲らせたドニー・イェンはドニー・イェンにあまりにもマッチしていた。
よく考えれば当然の話だ。”宇宙最強”の称号を得る男が悪に染まれば、強烈な”暴”を持ったキャラクターが出来上がる。全く特別なことではない。しかし、やはりスクリーンに映し出された純粋な殺意を持ったドニー・イェンの姿は、新鮮な驚きと共にこちらに強烈な存在感を植え付けた。
ドニーさんはいまだなおキレキレの身体能力をしているが、もう御年57。いつまでもキレキレでいれるわけではない。ハリウッドの資本でメキシコの麻薬王を演じる『Golden Empire』が控える今、これからは殺意のドニー・イェンの時代なのかもしれない。

ちなみに本作は上記に挙げた要素以外に、徹底的に再現された九龍城砦のセットやソウルミュージックやR&Bを意識した劇半など見どころがたくさんある。ドニー・イェンとアンディ・ラウの暗黒青春ラブストーリーを、是非その目で確かめてほしい。
あと評判悪いかと思ったら本国でめっちゃ売れたみたいです。


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