問いを持てないのは、とても不自由な人生だと思いませんか?
問いを持ち続けられること…これこそが自由な人生だと思います。そして、問いを持ち続けることができるからこそ、成長を続けることができるのではないでしょうか?
問いは自由の証、問いは成長の源。
自分自信で問いを持たずに答えを出すこともせずに、他人に答えを求めるようになる…どうして、これほどまでに他人が用意した答えを求める人たちが多いのでしょうか?どうして、他人が作ったシンプルで正しそうな答えが正解だと思い込んでしまうのでしょうか?
世界中で起こっているこの未曾有の事態。このような時ほど、自分自身でショックに耐えうる力が必要になるのではないでしょうか?「自分には関係ない」「誰かが何とかしてくれる」といった考えが問いを生まなくするのではないでしょうか?
3.11の後、とある出来事を体験し読んだ本
「落ちこぼれ防止」という許容・寛容がない社会
許容をせず、寛容もない社会。多様化と言いながら序列化が進む社会、「ゼロ・トレランス社会」。落ちこぼれを生み出してはいけないのか?格差とはなんなのか?ここにも問いを持ち、自分で答えを作り出していけるようになるべきではないかと思っています。
みんなと答えを揃えたいですか?
複雑な問題に対してシンプルな答えが見つかった時、人は飛びつくのかもしれない…ただし思うのです。果たして、そんなにシンプルな答えがあるのだろうか?そもそも、答えをみんなで揃える必要があるのだろうか?物事に真理は存在すると思いますが、唯一の答えは存在しないのではないでしょうか?
問いを持つ喜び
人生において、問いを持てるということが自由の証であると思っています。そして、問いを持ち続けることこそが成長の源になると思います。でも、問いを持ち続けるには勇気がいります。そして、問いを自ら生み出すのはさらに勇気がいるのではないでしょうか?
答えがないと不安になる…
不安になるから、他人に答えを与えてもらって安心する。ただ、そこに自由はないのではないかと思います。ボクは子ども達に自分で答えを作り出す力を身につけてほしい。自分で答えを選択して、選択した答えに責任を持つことを覚えてほしい。
人から与えられた答えに安心して不自由になるのではなく、自分自身で答えを作り出せる力を持ってほしい。そうすれば、自分自身で問いを生み出すことに恐怖を感じなくなると思います。
答えを作れるから、問いも生み出せる!
答えを自分で作り、問いを自分で生み出す習慣を身につけませんか?問いを生み出すことが習慣となれば、自由に成長をしていけるはずです。自由な成長ができると知れば成長を望むようになると考えています。
問いを持ち、自由な人生を生きよう!
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選択と責任はセット
責任なき選択や、選択なき責任はダメだと思う…
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