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スポーツ好きの スポーツマンシップへの無関心

たいへん分かりやすく、よい記事なのでクリップしておきます。
大差で「勝った」高校アメフトチームの校長が謝罪したというニュースが発端です。
それは、フェアプレーではなかった、スポーツマンシップに欠けていた、ということです。

日本人はスポーツ好きだけど、スポーツを娯楽として見ているから、こういうよいテーマを受け入れない傾向があります。

イングルウッド高校がモーニングサイド高校に106-0という大差で勝利。しかしイングルウッド高校のデビー・テート校長は「スポーツマンシップ、もしくは高潔さを持った振る舞いをしなかった」と謝罪した。

とくに、スコアが104-0になってから、記録を更新するためにヘッドコーチが「2ポイントコンバージョン」を選択したことが問題視された。

ワンサイドゲームになるのがわかっていても手を抜かずに相手を圧倒する日本は、国際社会では評判が悪い。

『スポーツは真剣に楽しむものだ』の『真剣に』の部分だけを重視することが原因かもしれません。対戦相手に対するリスペクトの表し方が違うということなんですね」

序盤で大差がついて“これはさすがに”となったときに、控え選手を出場させて、試合展開をうまく流していくほうがいいときもある。難しいことかもしれませんが、実はそのことがスポーツそのものを尊重することでもあるんですね。

かつての英英辞典には『sportsman=good fellow(よき仲間)』と書かれています。スポーツを通じていろんな友達、仲間ができていく。そして視野が広がっていく。そこが重要です。

トーナメント大会が基本の高校野球で、名将と言われる人は、必ず勝つ人、甲子園に連れていく人です。よき教育者が名将ではなく、多く勝つ人が名将として評価される。そういう仕組みになってしまうんですね

教育的な意味合いを求められている学生スポーツで、必勝を求められるトーナメント大会しかないというのは問題でしょう。

日本では一般に、とにかく結果を少しでもよくするために、常にフルパワーを出すことが「スポーツマンシップ」と解されているように思えます。

問題なのは、体育学科の学生まで、深い「スポーツマンシップ」に興味を持たず、勝つために、結果をよくするためにプレーしていることではないでしょうか。

たとえば将来コーチを職業にするとして、職業コーチの職業倫理は、第一にユニバーサルなスポーツマンシップでしょう。

スポーツは社会教育だから、視野を広げて、ゆたかな人生にする、自他のまなびの機会を尊重する → ゆたかな人生をおくるよい人になる = スポーツマンシップのある人。

発端の記事はこちら

以前書いた、関連記事です。
勝敗に何ら影響を与えないと分かっている攻撃の「居心地の悪さ」について4点にまとめています。

スポーツマンシップとフェアプレーの大切な点に「ゲームを私物化しない」ということがあります。

大勝しているチームは、えてしてそのゲームを「効率的」なものにするため、練習の一環にしたり、日頃出来ないことを試したりするものですが、それらの行為は常に、ゲームの本来の目的からそれるという道徳的問題をはらみます。

ゆえに、スポーツマンシップやフェアプレーについて深くまなび、自分で判断できる選手がふえるといいなと思っています。■

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