見出し画像

知っているつもり、作れるつもり

人は、ただ情報を眺めているだけで、何でも知っているような錯覚に陥りがちだ。多くのレシピや料理番組の動画を見ただけで、自分は何でも料理できると勘違いしてしまうこともある。

しかし、実際に作ってみると、思ったよりも難しく、うまくいかないことに驚くことがあるのではないだろうか。

料理チャンネルで魚を捌いている様子を眺めていて、「これなら、余裕で作れるっしょ!」と思い、魚を衝動的に購入。動画では鮮やかに魚を捌いていたのに、実際にやってみると、その大変さに驚く。

魚特有のあの生臭い匂いがまな板や手に染みついてなかなか取れなかったり、後片付けの手間に気づいたり、動画では見えなかった現実が浮かび上がってくる。そのとき、初めて「作る」ことの本当の難しさを実感することができる。

日々のニュースでも、ただ見ているだけで知った気になりがちだが、実際にその場所へ行ったり、直接取材をしない限り、知り得ないことが多くある。いわゆる、「フィールドワーク」が必要だ。

料理の例えを続けると、いくらおいしそうに見える動画でも、実際に食べてみたらそうでもない、あるいは、まさかのプラスチックでできたものだった、という可能性だってある。

では、なぜ私たちは「知っているつもり」になってしまうのだろうか?
それは、「わかりやすさ」にある。

普段触れているニュースやSNSの情報は、誰もが理解できるように一口サイズに加工されている。直感的で消化しやすく、多くの人に認知されやすい形にされている。

ショート動画が主流となった今、情報はますます簡略化され、誰もが共感しやすい形で提供されている。とにかく、「わかりやすい」のだ。でないと誰も興味を持ってくれない。

さらに、その背後には、人の注意を強制的に得ることができるような性的な要素や生死に関わるシーン、音量などのちょっとした刺激が「調味料」として加えられ、多くの視聴者に消費されている。

結局のところ、知っているつもりになることは、人間の本質的な部分なのかもしれない。生き残るために大量の情報処理をするエネルギーをセーブするために手っ取り早く理解しているつもりになる必要がある。人間の脳はそういう風にできている。

しかし、それでも、実際に行動することや作ってみないことには、本当の意味での「知っている」、「作れる」と自信を持って言えない。でなければ、口だけの人間になってしまうし、真実を見分けることができず騙されてしまうリスクだってある。

だから、いろんなことに実際に挑戦することは、どれだけ価値があることなのかがよくわかる。

と、生臭い手の匂いを嗅ぐたびに思うのだった。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?