そして誰もいなくなった

そして誰もいなくなった

「あなたは恵まれている」
私はよくそう言われる。

そうだと思う。恵まれてる。
実家の両親は持病はあれど健在だし、その実家は東京タワーのお膝元にあるし。
姉はエリート官僚で弟は優秀なビジネスパーソン。
私だって、背も高くて体重も重くて、脳みそが入ってるかどうか怪しいほど小顔だし。
そうだよ、私は恵まれてる。

このデイケア村では、私より「恵まれてない」人はいっぱい居て、私の苦悩なんてその人たちに比べれば笑い話みたいなもんだ。比べれば。

でもさ、比べるものなの?って思う。
私は私の苦悩があって、他の人は他の人の苦悩があって。
「みんなちがって、みんないい」って言った金子みすゞは自殺したけど、「みんなちがって、みんなツライ」んじゃないの?

わかんないけど、そんな不幸マウンティングはこの村では日常茶飯で行われていて、その度に私は口を閉ざす。
ツライ人に追い打ちをかけるようなことしたくなかったから。
「私もツライよ」なんて、車寅次郎みたいなこと言っても、じゃあ周りのさくら(倍賞千恵子扮する寅さんの妹)の立場がなくなるじゃん。
あぁそうですよ、私は恵まれていますよって、心の中で不貞腐れて、それ以上のことはしなかった。

そんな不貞腐れながら恵まれている私に、デイケア村の仲間たちはどんどん近づかなくなって行った。
そうだよね、私も逆の立場だったらそうするかもって思ったから、ますます何も言えなくなって、ただただその村に居続けた。居るのはツライよ。

私は貝になりたいなんて全然思ってなかったけど、貝になるしかなかったから口をつぐんで息を潜めて、デイケア村に引きこもった。他に行く場所なんてないんだもん。

私はなるべく自分の「困りごと」を探した。「悩み」は溢れるように湧いて出た。
10年間にも及ぶ、私の精神科と自助グループ通いは、私が私の物語を「悩み」という形で吐き出すトレーニングになっていたので、悩むことは超得意だった。
悩む必要がないことすらも悩みに変えたし、全てのベクトルは自分に向いて、私はすっかり「自分の話しかしない人」に出来上がっていたんだ。

そんな「自分の話しかしない悩み多き人」である私は、デイケア村の外では毛嫌いされた。そりゃそうだ。つまんない。
でもデイケア村ではそれでも悩みも困りごとも足りないみたいで、私はもっともっと困ろうと悩みを沢山見繕ってみるんだけれど、それでもやっぱり「恵まれている」としか思われなかった。どんづまりだ。

心優しきデイケア村の仲間たちは、挨拶以外で私と関わろうとしなくなったし、挨拶すら無視されたりした。
そんな仲間を責めるのはここではご法度で、挨拶ができないようなツライ状態にあると解釈するしかなかった。


私が超不幸で誰が見てもクソな人生だなって状態だったときに、私の携帯はよく鳴った。
この村の仲間たちは優しいから、私のことを心配してくれたり、私ならまだ自分が惨めにならなくて済むって時にはしょっちゅう連絡をくれた。
でも頑張って頑張って、その状態から少し抜け出したように見える私には、誰も連絡をくれなくなっていた。
連絡をすれば「恵まれている悩み」を聞かされるかもしれないし、もしかしたら最も禁忌である「頑張って」と言われるかもしれないからだ。

寂しいけど、仲間の気持ちはなんとなくわかるような気もする。
誰からもかかってこない携帯を握りしめて、私はデイケア村の底深く、静かに貝になった。

もうすぐ閉鎖されるであろうこの施設からは、転院が決まった仲間がまた一人また一人といなくなった。私も転院した方が良いのかなって思ったんだけれど、そういう問題では全くないと思い直して、自分の周りから消えていく仲間を見送っていた。
私の周りからは、転院が決まっていなくても、とっくの昔に仲間なんて消え失せていたことには目を瞑って。



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