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絵を上から見た話

『ブルーピリオド』という個人的に今推してる芸術系熱血マンガがあります。
あらすじとしては、成績優秀世渡り上手されど夢無しな不良高校生主人公が、全く無関係無関心だった絵の道に目覚める。
そして藝大への受験勉強を通して、旧来の友人や新しく出来た友人、先生といった周りの人たちと交流を深めながら、芸術、表現、自分の本質を模索するという感じになってます。
絵心なくてもバシバシ熱量が伝わってきて、特にジャンル問わずちょっとでも『作る』ことに興味ある人なら響くものがあると思うので、ぜひ読んでみてね!!!
(kindle版なら現在1巻0円のようです)(2019/03/04時点)

というわけで、ここまで宣伝兼本文でした。
一応前振りのつもりが、書いててもうこのまま宣伝だけでいいんじゃないかという気持ちになっちゃいましたが、予定していた本文に入ります。ちゃんと。


そもそもこのマンガに興味を持ったきっかけとして、僕の年下のいとこの存在があります。
彼は美大で日本画を専攻していて、ちょいちょい展覧会などで作品を鑑賞する機会があり、身内バイアスこそあれど絵心皆無の自分から見たらめちゃくちゃ上手です。その遺伝子ちょっと分けて欲しい。いやもう分配済みなのかもしれんけど。
(それでも彼の口から「この作品は審査員の人からはこれこれこういう理由でここが良くないとか講評を受けて~」とかそういう話を聞く度に、言われてみれば確かにと納得するところもあるので、まだまだ道半ばということなんでしょうが)

で、ある時彼のお家で作品十数点を見せてもらっていました。
自宅である以上、美術館みたいに何でもかんでも壁掛けにして飾ることが出来るわけではないので、背の低いイーゼルに立て掛けてあるのが殆どだったのですが、そこで初めて絵を上から見たんですね。絵の面に対して視線が平行になるように、要するにキャンバスの側面を見たということです。

絵の側面を見ると、貼り付けてあった箔が少し剥がれてたり、塗り重ねた岩絵具による断層が出来てたり、水分量か膠の影響か何かで紙が毛羽立ってたりしてて。
「こうして見ると絵も薄い立体なんやね」と素人丸出しの感想を呟くと、彼は「そうやでー」と頷きながら、枯山水みたいな砂紋の作り方や照明による光沢の差をどのように絵に落とし込んで引き出すかとか色々教えてくれました。ついでに、色々見られ方を想定して工夫しないと長時間の鑑賞には耐えられないから大変だという苦労話もセットで。

そういう話を聞いてると、絵を『描く』という言葉の中には、塗り付けたり、まぶしたり、削ったり、切り裂いたり、貼り付けたり、随分沢山の意味が込められているというか、むしろざっくり一言に纏め過ぎじゃないかという気すらしてきましたね。
考え方によっては、鉛筆で線を描くことだって摩擦で黒鉛をまぶしてると言えそうだし。まぁそれはそれで見方がミクロすぎるかもしれないけど。

今までに美術館で絵画を見たときも、絵の具の塗り重ねが凄いなあとか額装並みに分厚いなあとか、そういう感想はありましたが、それらはあくまで平面的なものとしての見方で、絵を立体として捉えたのは彼の家で絵を見た時が初めてで。
それがきっかけで絵の見方と楽しみ方が変わって、興味が深くなり、関連するものとしてブルーピリオド読み始めて「これめっちゃ面白いやん」ってなったという話でした。
特にオチはないです。はい。みんなブルーピリオド読んで(結局それ)。


ここからは完全に余談なんですが、似たような感覚を得た時のこととして、小学生の時、担任の先生の影響で鳥類図鑑片手に近所の鳥を調べた時のことを思い出しました。

見つけたのはメジロとかセグロセキレイとか、まあ田舎的にはよくその辺にいる鳥ばかりだったんですが、『鳥』というひとつの大きな種別しか知らなかった自分の周りには、今まで気づいていなかっただけでこんなにいっぱい名前を持つものがいるんだと子供心に感動した覚えがあります。

些細なきっかけではあるけれど、今確かに自分の世界が広がったと気づいた瞬間って脳汁ドバドバ出てる感じありますよね。
これが楽しくて癖になっちゃってるから、色々探しながら生きてるんだろうなあ。

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