ヒゲとボイン
中途社員が入社してくる。そうは聞いていたのだが。
「本日からこちらでお世話になります奥田と申します。よろしくお願いします」
「あ、どうも。こちらこそ… 」
女性だとは聞いていなかった。
何しろ仕事は不動産の営業だ。
まだまだ女性は少ない。たまに入ってくる社員は賞金稼ぎみたいなギラギラした男しかいなかった。
しかも…
僕のデスクの隣に座る奥田さんは…
痩せてるくせに…
先輩なのにこちらがドキドキしてしまった。
毎年恒例、花見の準備は新入りがするのが恒例となっている。今年は奥田さんがその役目になる。
何をどうしたらいいのかわからない奥田さんを、経験者である僕は積極的にサポートした。それが僕と奥田さんのちょうどいいコミュニケーションとなり、徐々にではあるが先輩として僕は、奥田さんの信頼を得られるようになっていった。
迎えた花見当日、社長はごきげんだった。
「いやー、今年は場所も最高だな。準備をしたのは誰だ?そうか、奥田君か。すばらしい!ナイスですね~!」
セクハラ気味に奥田さんに近寄る社長は、若い癖してヒゲなんか生やしちゃって、社長のくせに、仕事もしないで遊ぶ。
困った奥田さんが僕の隣に移動してきた。社長はその動きを目ざとく察知して僕に言った。
「砂男くん。君を見てると昔の僕を見るようだ。でもね。女にうつつを抜かすと私のようになれないよ」
「あ、そうですね。はい。がんばります」
考えてるさ。とぼけてはいるけれど。
花見が終わり、後片づけをする奥田さんを僕は手伝った。終わるともう終電ギリギリだ。
「こんな時間になっちゃったね。奥田さん、大丈夫?帰れる?」
「はい。手伝っていただいて本当にありがとうございます。助かりました。はぁ、疲れちゃいましたね。あの、よかったら、場所変えて一杯だけ付き合ってくれません?」
酔っているのもあったと思う。奥田さんのその笑顔に、会社の後輩ではなく女性を感じた。
その後、僕と奥田さんは深夜まであいている安い大衆居酒屋で少し飲んで。
帰り際、タクシーを拾う前、僕らはキスをした。
その後奥田さんはその才能を開花させグングン売上を伸ばしていった。今や奥田さんは社内トップの成績を誇る立派な営業ウーマンだ。僕はあっという間に抜かされた。
僕と奥田さんの関係に進展はなかった。成績が上がらない僕は休みを取ることままならず、花見の時にキスして以来、それから何もない。
決算が終わった翌日の朝礼。社長は突然に発表をした。
「みんな聞いてくれ。今期は過去最高益だ!」
僕の成績は相変わらず振るわず、そこに何の貢献もできていなかった。
「そこで成績優秀者に特別ボーナスとしてアメリカ旅行をプレゼントしようと思う!」
社長はアメリカ帰りで独身。アメリカ旅行には成績優秀者だけではなく、当然自分もついて行くつもりだろう。
「奥田君!今期の成績優秀者は君だ!君にアメリカ旅行をプレゼントする!」
「えー?私ですか?ありがとうございます!」
社長と奥田さんのアメリカ旅行。僕にできることは拍手を送ることだけだった。
その日の夜、僕は『話がある』と奥田さんをカフェに呼び出した。
「ごめんね、急に」
「いいですけど。話って何ですか?」
僕は焦っていた。奥田さんと社長がアメリカ旅行に行く前に、確かめておきたかった。
「あのさ、僕たちの関係なんだけど。花見の時のこと、覚えてるよね?」
「ああ、あれですか」
奥田さんは目を伏せた。
「俺はさ、奥田さんのことを女性として見ていて… あ、仕事中は後輩だと思ってるよ、そこはちゃんと切り替えてるつもりだけど」
「そうですか」
奥田さんの表情から笑顔が消えた。
「俺達って、付き合ってるのかな… それだけハッキリ聞いておきたくて」
「 … 私はそういう感じはないですけどね」
「そうなの?俺達、付き合ってないの?」
「無いって言ってるじゃないですか」
「じゃあ、なんであの時… 」
「あの時は… 私だって入社したばっかりで右も左もわからなかった状態で。隙をつかれたっていうか」
「え、じゃあ、特に俺を好きとかそういうのは」
「あの時はそういう気持ちもありました。でも… 砂男さんっていつも忙しそうだし。なんだか冷めちゃって」
「忙しそうって。たしかに最近は成績も上がらなかったし、休みも全然取れなかったけど」
「あなたはいつも仕事でしょ?なんだかつまらない人だなって」
「つ、つまらないって… 」
「もういいですか?こんな話なら、私帰ります」
フラれた。
たしかに、こんな僕なんて。相手にされるわけもないか。
悔しいが、現実を認めるしかない。
落ち込む気持ちを引きずりながら翌日出社すると僕は社長に呼び出された。
それも『会社ではなんだから』と近くのカフェを指定された。
普通じゃない。一体なんだろう。
カフェに着くと。
驚いた。
社長の横には、奥田さんが座っていた。
「砂男、まあこっちに座れ。あのな、奥田さんに聞いたんだけど。お前、奥田さんにセクハラしたそうじゃないか」
「え?僕がですか?」
「そうだ、昨日の晩『俺と付き合え』と迫ったんだってな」
「いや、ぼ、僕は… 」
奥田さんは下を向いたまま、僕の方を見ようともしない。
「セクハラと認定されれば、懲戒解雇、慰謝料の請求ということになる。でもな、誰だって間違いはある。きちんと謝罪してくれれば、奥田さんも事を荒立てたいとは思ってないようだ」
「僕が… 謝罪?… 」
「うん。ただな、謝ればそれでいいってわけじゃない。けじめは大切だからな。そこで社長としての提案なんだが。お前、奥田君の抱えてる物件、買ってくれないか?」
「僕が?自分で物件を買う?」
社長はテーブルの上に『3,800万円』と書いてある資料を差し出した。それはある郊外の一軒家の販売資料だった。僕もこの物件のことは知っている。誰も買手がつかないほどのヒドイ物件だ。
奥田さんが『私が売ってみせます』とこの物件の担当になったが、さすがの彼女も売れずに苦労していた。それほどの物件だ。
「なあ、砂男。お前がこれを買って、それでお互いに全部なかったことにしようじゃないか。民代、それでいいよな?」
民代?なぜ社長は彼女の下の名前を? 奥田さんはコクリと頷いた。
どういうことだ。
俺は… この二人にはめられたのか・・・
俺がこの物件を買えば、奥田さんの成績になり、社長は会社の利益になる。
この二人は、裏でデキていて・・・
それで俺を・・・
「砂男、これは投資物件にはなる。もちろんお前も儲かる可能性もある。悪い話じゃないんだぞ。わかるだろ?な? さあ、ここにサインして、ハンコ押してくれるか」
「あ、いえ。ハンコは会社に置いてきたので・・・」
「そっか、まあ、じゃあ指でいいや。こういうのは、口約束じゃなくて書面で意思確認するのが大切だからな」
なんてことだ。
俺はとっくに、奥田さんにも社長にも、見限られていたんだ。
そうだろうな、俺はつまらない男だ。
仕事だってデキるわけじゃない。
イケメンでもない。
お金もなく将来性もない、なんの魅力もない男だ。
「さあ、拇印押せよ」
僕は親指を差し出した。
もうダメだ・・・
俺みたいな男なんて・・・
もう頭の中には自分を卑下する言葉しか浮かばなかった。
ああ、男にはつらくて長い二つの道が
ああ、永遠の深いテーマさ
卑下 と 拇印
が手招きする。
ユニコーン『ヒゲとボイン』(奥田民生若い)
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今回は奥田民代さんのリクエストにお応えいたしました。
転職されるということで、転職先でのご活躍をお祈りして書いてたらいつもの2倍くらいの文字数になっちゃいましたw
民代さん、がんばってくださーい!
これまでのリクエストシリーズはこちら。
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