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カリスマ美容師の密かな憂鬱

高校を出てすぐに、僕は美容室に勤めました。美容師になって世の中の女性を美しくしたい!とかそんな高尚な目標があったわけではなく、なんとなく飽きない仕事がいいだろうなと思って選んだのが美容室でした。

そこで出会ったのが長谷川さんです。
その美容室は5店舗を展開する繁盛店で、経営者の長谷川さんは28歳で起業、そこから右肩上がりでお客様は増えていき、僕が入社した当時もトップスタイリストとしてお客様にその類まれなテクニックを提供していました。

そんな動機で入店した僕ですから、やる気があったわけでもありません。
でも、長谷川さんは社会人として0点だった僕にいろんな事を教えてくれました。掃除に始まり、あいさつの仕方、電話の取り方、など。
今思えば何の役にも立たない僕がいろいろ教えてもらってさらにお金をもらえるなんて、とても有難い経験をさせてもらってたんだなと感謝しています。


掃除をサボった僕に
「俺はな、お前ができない事には怒らないよ。でもな、できる事をやらなかった時には徹底的に怒るから。サボるのだけはダメだ。サボるのはクセになる。絶対にそんな習慣だけは身につけさせないぞ」
と叱ってくれました。
長谷川さんは怖い人でした。

いくら練習をしても全然上手にならない僕に
「いいか。この俺の手を見ろ。お前と同じだ。俺にはできる。だからお前にも絶対できるんだ。よし、もう一回やろう」
と励ましてくれました。
長谷川さんは優しい人でした。

お客様が連れてきた犬に「ワンちゃんに水をやってくれ」と長谷川さんに言われてふてくされた僕に、後でこう話してくれました。
「お前さ、さっき犬に水やるためにここにいるんじゃねぇとか思ったろ。そういう気持ちはな、顔に出るんだよ。いいか、お客様に気持ち良くなってもらう事が美容師の仕事なんだよ。髪触るだけでお金をもらってるんじゃない。この仕事をもっと大きく見ろ」
と。
長谷川さんは正しい人でした。

お客様がこの後映画に行きたいなとつぶやくと、長谷川さんは僕に
「この映画の時間、この辺りの映画館の全部調べて。あ、今やってる仕事いいから最優先でお願い」
と言いました。
長谷川さんは気遣いができる人でした。


長谷川さんがある女性のお客様のカットをしていたときのことです。
「お客様、笑顔があの人に似てますよね~。あの人、あー、思い出せない、ここまで出てきてるんだけどなー」
と長谷川さん。横でアシスタントをしていた僕は当時人気のあった女優さんの名前をあげました。
「いや、違う。ほら笑顔がそっくりじゃん、なんだったけ、ほら」
お客様も悪い気はしなかったようで「ヤダー、誰~?笑」と楽しそうでした。

ハッとした顔をした次の瞬間、長谷川さんは大きな声で言いました

「思い出した!桑田真澄!巨人の!」

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長谷川さんは、怖くて、優しくて、正しくて、気遣いができて、そしてモテない人でした。

群を抜いた才能を持っている人は、群を抜いてダメな所も同じくらい持ち合わせてるんだな、とその時知りました。

長谷川さん、ありがとうございます。
教えていただいたこと、今でも忘れてません。

あ、それと。
僕美容師辞めました。サーセン。


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