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両手にすくったさびしさを

お礼参りというと物騒だけど、職場でお世話になった人に退職を伝えて回っている。お世話になったというのは、仕事を一緒にしたというよりも、精神を支えられたという意味で。

わたしがいなくなっても会社は何も変わらず回り続けるし、大人だから別れを惜しんで泣くような人もいないだろう。そう思っていたけれど、一番に退職を伝えた上司は「…さびしい。」と泣いた。お互いの産休育休中に一緒に遊びに行くほどの仲だったけれど、普段クールな上司の涙に、わたしもまた涙しか出てこなかった。

採用のときからお世話になって、すれ違えば下ネタばかり話してふざけていた先輩は「いなくなったら、おれの心に確実に穴が空く」と言ってくれて思わずハグでもしようかと迷うほどに、心がぎゅっとした。

悲しんでほしいわけではないのだけれど。さびしくなるね、と言ってくれてホッとするのが本心だ。この関係は仕事のうちではなかったのだと。金銭がなくとも成り立ったのではないかと、彼らの表情や声がそう思わせてくれる。

「なんでそんな遠くに行っちゃうの」と、くちをへの字にした先輩から言われたときには、わたしも同じ表情になって笑ってしまった。そう遠くもないから会いに来ますね、と言える距離でよかった。

九州の大学を卒業して就職で関東に来るときもそうだった。距離が離れると決まってからの、この親しい人たちへの思いが、少しずつコップから溢れて止まらない。

こういうことを言うと軽薄なのかもしれないけれど、みんな大好きだ。
本当に。大好きな人だけに言うんだけれど、みんな大好きだ。

わたしと心を通わせてくれた人がちゃんといた。新卒で入ったこの会社で、SEとして働くことは必ずしもわたしの喜びには繋がらなかったけれど、人間関係には本当に恵まれた。なぜかマンガの編集までさせてもらえて、最後の一年は自分の思うことを素直に言葉にして仕事ができた。

ハッピーエンドというと、きらきらして美しい表情の主人公を想像するけれど。
わたしの、この会社でのハッピーエンドは1カ月後まで待とう。きっと、きらきらでは終われない。これからの"お礼参り"でもまた泣いて、たくさんの人に心からお別れとお礼を伝えて、くちには出せない「さびしい」という言葉を何度も飲み込むだろう。

大好きな人たちに大好きと伝えてから別れたい。コップから溢れた気持ちを、全部すくって手渡したい。

このさびしさを、愛を忘れたくない。

#エッセイ


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