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雨降り

ひとりの空間がほしい。ほしいです。そこのあなた、わたしにひとりの空間をくれませんか。そうですか難しいですか。

こうやって2行書く間に、おかあちゃんって4回呼ばれるんですよ。机の隣でひとりがおもちゃを持って振り回して何事かを叫び、もうひとりが「せんせい、きょうのおきゅうしょくはなんですか?」って真剣に話しかけてくるんですよ。保育園ごっこをしてるらしいです。保育園たのしいもんね。

喉から手足が飛び出るほどほしい孤独。そういえば家の中に小屋を作るみたいなコンセプトの商品あったよなと真面目に検索すると、そこには、もちろん家を建てるよりは安いものの、ぽーんと出せるほどじゃない金額の小屋が売っていました。わたしに!財力さえ!あれば!

と思ったけど、こんな日々だから業者さんも納品できませんね。今はお金を出してでもほしい孤独だけど、納品される頃には孤独の価値は下がっていて、ただでさえ狭いリビングに謎の箱が置かれてこども部屋になっちゃうんだろうな。いや、それも悪くないけど。

昨日ね、友人と会いました。高速に乗って25分の距離に住む友人。車でマンションの敷地内に入ったとこにマスクした友人が現れて、慌ててわたしも車のダッシュボードからマスクを出した。

マスクつけて距離をとって、20時半のマンション敷地内の小さな遊具の周りになんとなく立って、1時間半だけ話した。家族以外と会話なんてしないからか、なんかどきどきして唾液が変なとこに入ったりした。

2ヶ月前に会ったときとはもう価値観が少し変わっているんだよね。友人が「そういえばティーが飲めるようになったよ」とバッグから紅茶のペットボトルを出して飲もうとしてマスクを一瞬ずらしてね、くちには出さなかったけど「顔じゃん!」ってなんか嬉しくなっちゃったな。そして、2ヶ月ぶりに会うって言ってもさ、珈琲しか飲めなかったけど紅茶が飲めるようになったんよ、みたいなそんな内容なんだよね話すのって。31歳で紅茶が飲めるようになるもんなのね。

人生のときどきでそうやって変化していく小さなことを、話したり聞いたりする相手がいると思うと、いつ死んでも大丈夫な気がする。実際のところ、急に死に際が訪れたら意地でも死を回避しようとするタイプだと思うんだけど、なんだろう、もう大事なものは得ている心持ちなのかな。

最近の自分の変化といえば、食事量が減ったこと。もともと大食らいで、定食屋さんで山盛りの白ごはんが出てもたいらげていたし、いつでもなにか食べたりないと思ってたんだけど、3月からつい先日まで週に一度断食をしていた影響で、ずいぶん胃が小さくなったみたい。

食べたいのに食べられないのは妊娠中のつわり以来で、たくさん食べられないからこそ今日はどんな美味しいものを食べてやろうかと日々考えている。スーパーでは目を光らせてうまそうなものを探し、割とたくさん食べられる野菜をどうやって食べてやろうかと思案する。浅漬けのもとと塩昆布買ったから、なにかが充実するはず。

最近は22時を過ぎてからスーパーに行ってる。深夜のスーパーは人が少なくて買い物が楽だ。ちょうど品出しのタイミングだったのか、ずらりと並ぶホットケーキミックスには「おお!」と声が出た。久しぶりに見たよあなたたち。ずいぶん小さなホットケーキミックスで、おひとりさま一つだけだったけれど、食事作りのハードルが少し下がった。気力がなくとも、ホットケーキミックスとヨーグルトとチョコチップを混ぜてオーブンに入れるだけで、うんまいチョコチップスコーンができることをわたしは知っている。朝に弱い自分にとって、子どもの朝食作りが楽になるのは大きな安心だ。

で、今さピンポーンってヤマトさんが来てね、夫宛の冷凍の荷物が届いたんですよ。夫にたずねたら「母の日のケーキ、の代わり」だそうで、なんていいやつ〜〜〜〜!!神戸のお菓子屋さんのプリンだった。最高じゃんプリン。誰かが作ったものに飢えているからね、手作りプリンが食べれるなんて最高ですよ。母の日の夜に「ケーキ食べたかったなぁ」ってしょんぼりしてたからだそうだ。ケーキ屋さんには行ってみたけど、店内が激混みだったから購入を諦めたの。しょんぼりしてよかった!

父の日にはなにか奮発しよう。

父とか母とか関係なく、何かにこじ付けて贈り物をするのは楽しい。

窓の外はしゃばしゃば雨が降っていて、ずんずんと頭が重い。あの顔なじみの野良猫はどこにいるんだろう。雨はしのげているんだろうか。きっとつい昨日や今日に産まれた野良猫もいるんだろう。4月5月は野良猫が産まれるから、雨少なめでお願いしたいです、神様。


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