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2020年8月7日 シアターコクーンに思いを馳せる

「ピサロ」が初日を延期しながらもなんとか幕が上がって、明日はどうなるんだろうという不安をみんなが抱えながら過ごしていた3月25日。
自分が取ったチケットの日にピサロを観に行けるのかずっと心の中に不安が居座り続ける中、また舞台に立つ氷魚くんを楽しみに出来るんだと歓喜した「アンナ・カレーニナ」への出演の発表。その頃は、さすがに8月だもの、もう安心して見に行けるに決まってるよと思っていた。シアターコクーンで初日の幕が開くはずだった8月7日。

3月下旬からいろんなことが変わって中止になって停滞して。「今できるそれなりの」嬉しいことも楽しいこともあった、こんなことってある?と未だ受け止め切れていない悲しいこともあった。


8月7日、春馬くん主演の舞台「罪と罰」が放映された。
奇しくも、同じシアターコクーンでの、ロシア文学の舞台。3時間20分真正面から向かい合いことができるだろうかと不安だった。春馬くん演じるラスコリニコフの重たさ鋭さを苦しく受け止めることにならないか。けれど、なぜかせめて録画でなく放映されるその時間に受け止めたい気持ちが勝り、20時から(インタビューも含めて)3時間45分、時間が過ぎるのを忘れ引き込まれることになった。


その世界が終わり、幕が下りることなく壇上の出演者が舞台袖に捌けていく。その時の春馬くんは、出し尽くして抜け殻となってしまったように力なく表情も消えていた。1度目のカーテンコールでもそうだった。深いお辞儀の時背骨が浮き出て見えるほど絞った身体(頬も随分こけていた)、きっと役を生きるためにラスコリニコフの全てを一心に感じ受け止めて随分苦しんだのだろうな。
2度目のカーテンコールではやっとその身体に「三浦春馬」が戻ってきて笑顔を見せてくれていた。

役を生きることの壮絶さ、みたいなものを見せてもらったように思う。

上演後に収録したというインタビューでは、準備の時間が足りなく焦っていた様子が伝わってきて苦しかった。他の数人の出演者とオフィシャルではない場で練習を積んだエピソードや稽古風景の映像の中でも休憩なのか合間の時間なのか横になりながら柔軟体操をしながら台本を離さず読み込む姿、他のことなんて考える隙間なんて少しもないような様子。本番3日前までセリフが頭に入らなくて、それでも幕が上がれば淀みなくセリフが出てくるものなんだとどこか他人のことのように言っていた。自分はラスコリニコフを演じるのにふさわしい人間なのか心配だったと、言っていた。

どこに目標を据えるか。そこを目指すことに過度の苦しさを伴うなら、その場所を変えてもよかったのに。そんなことはきっと選択肢になかったんだ。


この「罪と罰」のあとわずか2ヶ月で、「キンキーブーツ」、連ドラ2クール、主題歌で歌手デビュー、「コンフィデンスマンJP  プリンセス編」「太陽の子」「天外者」「ブレイブ群青戦記」の撮影もあったのかな。
あんなに身も心も削って、その姿も思考も染め替えて役を生きて、わずかなインターバルでそれが終わりなく繰り返されることの壮絶さ。春馬くんがこんなことにならなければ、こうは感じなかったのかな。もしそうであれば、そんな壮絶を当たり前のこととして、それを経て出来上がったものだけを感じていたなら。苦しさがまた満ちてしまう。


土曜の午後、なんだかまだ身構えてしまう。こんなこと誰も望んでいないと言い聞かせているのに、仕方ない、少しずつ。


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