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74 試食させて買わせる

今日、駅近の喫茶店に行こうと思って駅まで歩いていたら途中でキムチを売るお店を見つけてつい立ち止まった。そこは時期ごとにいろんなお店が入れ替わり入るテナントで、この間は確かマスクとか服とかを売っていた気がする。

キムチは僕の人生に欠かせない食べ物なので(ルーツが韓国なので)、できれば食卓にいつも置いておきたいのだけど、日本のスーパーとかに売っているキムチは僕の求めているものと違っているので(日本のは甘辛い"お新香"って感じ)、どうしても本場の味の物を探す必要がある。

たまに個人経営の焼き肉屋さんでキムチを頼むとすごく美味しいのに当たったりして、気になって店員さんに聞くと「うちで漬けてます」との答えが返ってくる。やっぱり美味しいやつはちゃんと本場の(独自の)やり方で漬けているんだ。そういう時はたいてい店員さんも本場韓国の人だ。

それで、今日出会ったキムチ屋さんにはどうして立ち止まる気になったかというと、そもそもキムチ専門のお店というのもあるんだけど、お店の前に立っている女の人がどうみても韓国人っぽかったからだ。韓国ではお店のおばさんを「アジュンマ」って言うんだけど、「あれはまさしくアジュンマだ、信用できる」となったわけだ。

お店に近づくとさっそくアジュンマが「どうぞ〜」と声をかけてくる(発音がすでに韓国人)。冷蔵ケースの中にたくさんの種類のキムチがパック詰めされて置かれていて、その上に試食用のキムチがお皿に小盛りになってこちらもたくさん置かれている。

僕が何も言わないうちに、アジュンマは試食用のイカキムチに爪楊枝を刺して僕に差し出す。「はい、これはイカキムチ」。食べ終わって爪楊枝をどうしようかと考えてるうちに次が来る。「これはニンニク、体に良い。私たちは毎日3粒食べます」。それも頂いて、次のが用意される前に僕が「ふつうの(白菜)キムチはありますか?」と聞くと、「ありますよ」と、器用にも爪楊枝二つを箸のようにして白菜キムチを取って渡してくれた。どれどれと味を確かめていたら、間髪入れずに今度はシシトウのキムチを、これまた爪楊枝に刺して渡してくれた。おかげで僕の右手は既に4,5本の爪楊枝を持っているわけだけど、そんなことは気にせずまた次のを用意しだした。最後にゴマの葉を試食して、結局白菜とゴマの葉を買うことにした。買うと宣言してやっとティッシュが出てきた。「ゴミはそちら」とゴミ袋を指差すアジュンマ。

爪楊枝を捨てて、お支払いをしようとしたのだけど、僕はそれまで値段を全然見ていなくて、お会計を言われてビックリした。高い。というのも、韓国って食べ物は安いイメージだからその感覚でいてしまい、自分のキムチのためだから多少高くてもとも思っていたのだけど、それにしても高い。仕方なくゴマの葉はやめてキムチだけを買うことにした。正直キムチだけでも高いんだけど、こんなに試食したら買わないで帰るのは申し訳ないと思ってしまうのが人の情。

まあ、高くても美味しいキムチを探して食べられるなら本望である。味がどうだったかはまた食べた時に書こうかな。

アジュンマとのやりとりをしていると、やっぱり思い出す。思い出すというのは、自分が買い物をしていた記憶ではなく、母親についていって買い物に行った時の母親の姿だ。韓国の母親はどこもそうなのかもしれないけど、母親はよくアジュンマにいろいろ聞いたり値切ったりして物を買ってた。

「オ(ル)マエヨ?(いくらですか?)」
「ピッサネー(高いねー)」

韓国はスーパーもあるけど、市場とか、町中の個人店とかが近くにいくつもあったからそういうやりとりも多かったんだろうなあ。僕はついその時の記憶が蘇って、今回のアジュンマにも「高いねー」と言っちゃったんだけど、そのやりとりがなんだか母親の真似をしているようで内心面白かった。

ちなみに先程「たくさん試食したから買わなきゃというのが人の情」と書いたけれど、これは正確に言うなら日本人の情で、韓国の場合は違う。いくら試食させてもらっても高いと思えば買わない。少なくとも僕の母親なら買わないで立ち去る。「そんなの当たり前でしょ」と、もし母親がこの記事を読んでいたら言っているはずだ。

まあ、とにかく、キムチが美味しいことを願うばかりだ。頼むぞ、アジュンマ。

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