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52 アートは健康に良い。

めちゃくちゃ真面目にやりたい時と、意味わからないくらいふざけたい時と、両方あるけど、やっぱりふざけている時の方が気持ちがいい。なぜだろう。

社会人になってから、なんとなく自分の中に出来た指標のひとつに「仕事中はA型って言われるようにする」っていうのがあるんだけど、つまり、僕自身本当はO型なんだけど、仕事は丁寧にする人と思われたいからそんな言葉が指標になった(A型の人は几帳面というから)。で、たまに血液型の話になった時に「isaoはA型でしょ?」って仕事している人に言わると、内心「よし!」と思う。

それとは打って変わって、なんの責任もなく自由にやりたい時があって、世界中の誰にも理解されなくても、自分がやってみたいと思うことはやってみたい、と思う。普段のほとんどを、社会の歯車として生きている自分が、こっそりそこを抜け出して、回りたいように回る意味不明なダンスのような。

僕にとって、大人になる上で一番の壁だったのは、「社会人であることを覚悟すること」だった(現在進行形かも)。「なんで税金払わなきゃいけないんだろう」「なんでやりたくもない仕事をしなきゃいけないんだろう」「深い森にこもって自給自足で生きちゃダメかな」とか。結局、なんとなく敷かれたレールを大きく外すことも出来ず、足りないのは「社会人であることの覚悟」だということに、ある時気付いた。社会の一員であることを自覚すると、責任感の意味や、その上で自分が出来ることの範囲がわかるようになる。いや、わかってないんだけど、少なくとも人に迷惑をかけないようにはなる。

めちゃくちゃ真面目な時と、意味わからないくらいふざけている時の自分は、もうほとんど二重人格に近いんだけど、でも「そう生きよう」と思っている節もあって、結局大きく揺れながら今も生きている。仕事のルールを徹底的に守って、踏み外さないよう踏み外さないようしていると、だんだん抑圧されてくる感覚になって、自分を解放したくなる。そしてその解放された気持ちに「アート」というラベルをつけて作品化すると、たまに人に褒めてもらえる。

「意味がわからない」とか「外す」とか、そういう風に表現するとネガティブに聞こえるんだけど、「気持ちを解放している」と捉えると、とても健康的に響く。そういう健康の維持の仕方を、アーティストやアートを心から楽しむ人は、きっと潜在的に知っているんだと思う。

真面目過ぎても死ぬし、ふざけ過ぎても死ぬ。でも、どちらの方が多いかと考えると、きっと真面目過ぎて死ぬ方が多いんじゃないかなと思う。

ふざけられる場所探し。僕はそれをやってなきゃ生きていけない。

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