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51 夢見るリアリスト

最近、太宰治の『人間失格』を読んでいる。このあいだ本棚を見るともなく見ていたら、手が勝手にその本を取り上げていた。

「恥の多い生涯を……」と冒頭の文章を思い浮かべながらページを開くと、実際の書き出しは、"私は、その男の写真を三葉、見たことがある。"だった。そうだ、そうだったと思いながら読み進めていると、これが、やっぱりというか、改めて面白い作品だなあと、どんどんページが進んだ。

『人間失格』を読むのはもう三、四回目になる。一番最初に読んだのはギリギリ十代か、社会人になってからだろうか。当時の僕は、『人間失格』に思いっきり感情移入をしていて(というか共感していて)、これが不思議なことに、さんざ欠陥だらけの男を見せられたのに、どこか自分の心が救われる気持ちを感じていた。それは、主人公を見下せることによる優越感的な救いではなくて、むしろ自分と同じ人間がそこにいることで、自分を理解してくれていると感じる救いだった。太宰治はきっと僕のような人間のことをわかってくれるんだ、と。

ある時期、僕はずっと自分のことを欠陥品だと思っていた。強くたくましく、といっていかにも普通そうに生きている人間が不思議に思えた。例えば、バイト先だけで会う人間同士が、世間話を話しているのを傍から見て、どうしてそんな風に楽しく話を滞りなく続けることができるんだろうと思ったり、自分の意見をはっきり言ったりしている人を見て、どうしてそんなに堂々としていられるのだろうと思ったり。何かを打ち明けるにしても、ちょっと照れ笑いしながら、それでも打ち明けたいことの核心はうまく言葉にして伝えたりできる人を見て、自分とは全然違う人間なのだと思っていた。

こんな風に書いていると、だんだん『人間失格』をただなぞっているような感じがしてくるけれど、要は、それくらい当時の自分の気持ちを『人間失格』が漏れなく表してくれているということだ。

基本的に人見知りで、勇気のふり絞り方を知らない。タイミングを逃すとそこでもじもじとして居心地が悪くなって、しまいには顔が引きつる。

一度、板前さんのいる回転寿司に行ったことがあって、そこでは欲しいネタを板前さんに言わなければいけないのだけど、その時はあまりにも混んでいて、板前さんはお客さんの注文を聞けているのかいないのかという感じ。僕はその様子を見て、最初の一回は注文が出来たものの、その後は、板前さんの機嫌が気になって、結局勇気が出なくて注文が出来ずに、ろくに食べれもしないうちにお店を出てしまった。

気心の知れた人の中では普通(というよりもだいぶおちゃらけ)でいられるのだけど、基本的には、僕は、そういう気の弱い人間だった。

「だった」と過去形で言えるのは、僕の人生にも転機があって(今考えるとこれは幸運なことかもしれない)、それによって自分を変えざるを得なくなったからだ。

転機のことは割愛するけれど、その前後の差を一言で言うなら、自立心があるかないかだ。

僕が生まれた時は、ちょうど日本はバブルで、家もとても裕福だったのだと思う(とてもっていうかめちゃくちゃに)。しかも僕は、長男から生まれた長男、本家の初孫。殿様のような扱いを受けてたに違いない。

甘やかされに甘やかされ、社会人になった僕は、社会の厳しさにさっそく打ちのめされた。社会は何も僕のことを考えてはくれない! 当たり前だろと思うかもしれないが、受け身の精神が基本なので、僕は自分から何かをしなければいけないということがわからなかった。

結局、僕は第一の社会生活を乗り切ることが出来なかった。仕事のことの他に、家庭の事情もあったのだけど、とにかくその落差、自分の人生を自分でどうにかしなければいけないという責任の重さ(繰り返しになるけど、普通の人からすると当たり前の責任)が、受け身で生きてきた自分にはとても重くのしかかり、耐えられなくて本格的に精神が参ってしまった。それが二十三歳くらいのこと。

あらゆることが僕には難しかった。やりたくないことを、ちょっと我慢してやるということ。自分から切り出さなければいけない話を、切り出すというたったそれだけのこと。自分の状況を誰かと共有しておくための連絡や報告。

ミスをしてしまい、それを問い詰められ、自分の不出来が発覚し、自分の欠陥を思い知らされる度に、僕は「人間、失格。」というあの台詞を思い出した。

考えてみると、太宰治も非常に裕福な家の生まれの人間だった。太宰も甘やかされて育ったのだろうか。人の心というのは、どう育つかによって変わるものなのだろうか。金属は叩けば叩くほど固くなる。叩かれずに固まってしまった金属は、やはり弱いままなのだろうか。

心の弱さというのは、今もある。僕は、人に自分の意見を真正面から伝えることが出来ない。一言で済むことなら今は出来るかもしれない。ただ、二言三言と続けて主張しなければいけなくなると、とたんに体が震え出す。大げさじゃなく、文字通り僕は震えている。ただ必死に表情を保って、なんでもないように振る舞う。気持ちを取り直している間は、相手の話が聞こえなくなるほど。これを、気が弱いと言わずなんと言おう。

第一の社会生活から逃れるように、僕は会社を辞めて東京へ来た。やりたいこと(音楽)をやるために、というのも半分。精神衛生のための逃避というのも半分。ただ、問題は社会の方にあるのではなく、自分の中にあるのだから、どこへ行ったってそれはついて回る。自分の心との闘い。克服。自立。

感受性と、夢を描くということは、どちらも現実のものではないという点で似ている。感受性というのは、自分の胸の中では確かに起こっているけれど、現実にはなんの変化もないことだ。僕が胸の中をどんなに震わせてようが、社会の方は、そんなの知ったこっちゃない。夢を描くことも同じ。

僕はここが苦しかった。どんなに辛くても、「辛い」という言葉を発しなければ伝わらない辛さ。どんなに大きな夢を描いても、行動がなければ相手に伝わらない辛さ。これを当たり前と思う人は、きっとちゃんと社会人が出来てる人なのだと思う。

辛い時に「辛い」と言うのは実際なかなか難しい。自分の希望を人にしっかり伝えるというのも難しい。やらなければいけないことをやる。これが簡単に出来たなら、人生はどんなに楽か。

僕はそれでも、自分自身の課題を一生懸命に克服してきたつもりだ。まず、自分がいかに甘ったれだったか、受け身だったかを知れたことが幸運だ。これに一生気づかない人間だっているはず。次に、夢が叶うのはいつも現実だってこと。夢は現実で叶う。もう一度、夢は現実で叶う。夢が夢の中で広がっても、それはただの夢でしかない。

夢見るリアリスト。僕は自分を守るために、現実の言葉にしていくし、行動にしていく。僕は自分の夢を叶えるために、現実の言葉にしていくし、行動にしていく。自分では何もしないのに文句や弱音を吐く、そんな子どもの自分とはおさらばしたいんだ。

久しぶりに太宰を読んで、自分が変わったんだということがわかる。あの頃とは、読んで感じる気持ちが違う。こんなありきたりな言葉を使うのは気が引けるけれども、「人間は変われるんだ」と素直に思う。

最後に、これは僕の人生の話だけど、これを最後まで読んでくれた人には、他人事だと思わずに、自分はどうだろうと思いながらもう一度読み直して欲しい。弱さや不出来、環境の悪さを、自分の運命だと諦めていないですか?

僕には幸運にも転機が訪れて、それに気付けたけども、気付かなければ一生、不都合なことを受け入れるだけの人生になっていたと思う。

ちょうど良いので、最後は太宰の言葉で締めようと思います。

幸福の便りというものは、待っている時には、決して来ないものだ。決して来ない。
太宰治『正義と微笑』より

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