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ゴールド 70 健全な通貨はイングランド人の宗教

大幅な貨幣改鋳 -大改鋳- は1695年12月に国王の布告から始まり、3年という長い移行期間を経て1697年7月にようやく完了した。「ギザギザの付いた新しい銀貨」が680万ポンドも発行され、その大半は「削り取られた古い銀貨」と交換されていた。

「大改鋳」の全てが終わった時に、イングランド貨幣の重量は150年前の「大悪改鋳」以前の水準まで戻ることができた。


長い移行期間のあいだには暴動も起こった。「ギザギザの付いた新しい銀貨」の供給が不足し、市場に銀貨が出回らなかったので小売業は崩壊した。

「ギザギザの付いた新しい銀貨」と「削り取られた古い銀貨」との交換に於いて、その損失分は納税者が負担することとなっていた。その負担方法は消費税だった。しかし、その損失額は見積もりよりも大きかったため消費税では賄うことが出来ず、政府は結局借金に頼らざるを得なかった。

このような失敗や欠点は多々あったが、フランス王ルイ14世との大戦争 -貨幣の尊厳を守るということが後回しにされてもおかしくない状況- のさなかに、イングランド人はこの大改鋳を成し遂げた。


エドワードⅢ世からヘンリーⅧ世までの時代は、通貨とは国王が好き勝手に扱えるものだとほとんどの人が思っていた。しかし、それ以前は健全な通貨はイングランド人の宗教と言ってもいいくらいだった。

ロックは貨幣の重量をおかさざるべきものとして、かつての伝統を復活させようとしたのだ。ロックの主張は美徳、慎重さ、安定、伝統といった耳に心地よい要素で武装されていた。しかし、大改鋳は納税者に多額の負担を強いり、デフレも生じさせた。

ロックとラウンズの論争は純粋な経済論を超え、社会や政治など幅広い問題を含んだ基本的な考え方の相違だった。1821年に金本位制を確立した時、1920年代のウインストン・チャーチル、そして、それ以後も拡大経済政策を推進する者と緊縮財政を唱える者のあいだにこの論争を起こし続けた。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン




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