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金が金だからではなく、イギリスがイギリスだから ゴールド92

1848年、カリフォルニアのサッターズ・ミルで金が発見されてからゴールドラッシュが始まった。

このゴールドラッシュにより大量の金が発見された。

それなのに、なぜ金が市場で供給過剰にならなかったのか?

その第一の要因は銀にあった。


銀はインドへ流出した

ゴールドラッシュにより、金の供給量は増え、金の市場価格は下落した。

そうなると、銀の価格は相対的に上昇した。

そして、人々は銀を退蔵し、銀は市場に出回らなくなった。

1850年には金貨の3倍の銀貨が流通していたが、1860年には金貨、銀貨の流通量はほぼ同じになった。


しかし、金は市場で供給過剰にはならなかった。

1850年代、銀はインドへ大量に流出したのだった。

大量の銀のインドへの輸出により、金価格の下落と貨幣供給の増大は緩和され、激しいインフレが先延ばしされることとなった。

そして、1861年に開戦した南北戦争のために、アメリカによる綿の輸出が止まり、インドの綿への需要が急増した。これにより、インドはさらに多くの銀を受け入れた。

金の市場での供給過剰を止める役割を銀が果たしていたのだ。


事態は急変した

しかし、1865年に南北戦争が終了すると事態は急変した。

金への需要が減少することは無かったが、インドにおける銀の需要は急減した。

供給過剰な金属は金から銀へと明らかに変わってしまった。


金が金だからではない

当時、外国貿易に於いてイギリスが経済的な主導権を握っていた。

そのため、他の国々もイギリスのような純然たる金本位制に移行することを真剣に検討し始めることとなった。

特にドイツが金本位制への転換に熱心だった。

ドイツ人は世界に強国として認めてもらいたかったからだ。

ドイツの政治家、ルートヴィヒ・バムバーガーは次のように宣言した。

「我が国が金を選んだのは、金が金だからではなく、イギリスがイギリスだからである」


フランスの抵抗

市場では銀が供給過剰となっていた。

ドイツの金本位制への転換に於いての大きな問題は、この供給過剰となっている市場で銀の備蓄を処分することだった。

しかし、1871年に普仏戦争で勝利をおさめたことで金本位制への転換のチャンスをドイツはつかんだ。

ドイツはフランスからの賠償により、備蓄している銀を売り払って金の購入資金を作ることができるようになった。


しかし、敗戦国フランスはこれに抵抗した。

フランスはドイツへの賠償を終えた翌日、銀貨の鋳造を大幅に削減した。その結果、銀に対する需要はさらに落ち込むこととなった。

フランス人は最後までひたむきに抵抗し、銀の価格は着実に下落していった。


銀が滅び去る

銀は供給過剰となり、金本位制は土台から揺さぶられ制度全体が崩壊する恐れも生じた。

しかし、これらの出来事によって、多くの国々がドイツの後を追い、金本位制へと移行していった。

そして、1893年までにインドの造幣局でさえも銀貨の鋳造を中止し、伝説的な国際的金本位制が築き上げられた。


金本位制は誰も予期しておらず、そして多くの人が受け入れたがらなかった体制であった。

しかし、いったん確立されると、金本位制は驚くほど長持ちし、その後半世紀にわたって続くこととなった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン


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