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【連載小説】「好きが言えない 2」#1 宣戦布告

 1 試合開始 一回表

 まるで、春の大会で未練を残した球児たちの涙のような雨が、しとしとと降っている。まとわりつくような蒸し暑さに思わず下敷きをうちわ代わりにするが、すぐさま先生に注意される。仰ぐのを辞めたとたん、余計に暑さを感じ、いやになる。週間天気予報によれば、週明けには真夏の暑さになるという。
 このごろはたるんでいるなぁと自分でも思う。けど仕方ない。恋煩いってのはそんなものだ、きっと。
 詩乃と初めてキスをした春休み以降、触れ合えば触れ合うほど、あいつをもっと知りたい気持ちでいっぱいになる。だから部活が終わってマンションに帰った後も、電話で毎晩のように話す。内容なんてもはや無いけれど、声を聞くだけでおれは満足だった。
 ずっと一緒に過ごしてきたはずなのに、我ながらおかしなもんだと思う。少なくともおれの中に「飽きる」という言葉はないらしい。
 多分、原因は詩乃の態度にある。あいつは、おれがまた事故に遭っては大変だからと言う理由で、いつでもそばにいるようになった。見張られていると言えばそうなのだが、時々、半歩後ろからおれの腕を抱きかかえるように掴むしぐさがかわいすぎて、おれの頭は狂わされてしまうのだ。それも、二人きりの時に、遠慮がちにしてくるところがいい。
「本郷。おい、本郷!」
 そんなことを考えていたから、中間テストの答案返却で名前を呼ばれていることに気が付かなかった。隣の席のやつに小突かれてようやく我に返り、席を立つ。
「本郷。風の噂には聞いているけど、恋愛にお熱になりすぎて勉強がおろそかになるのは困るなぁ。今日の放課後、再試験だからそのつもりでいるように」
 英語の先生は点数のところを指さしておれに手渡した。
「うっ。なんだこの点数……」
 思わずつぶやいた。ある程度予想はしていたが、あまりのひどさに「これは夢じゃないか?」と疑うほどに動揺している。
 英語五十点は過去最低だ。どんなに部活にいそしんでいるときでもここまでひどかったことはない。先生が嫌な顔をするのも無理はない。
 ほかの教科も同様で、現代文四十八点、古典三十点、日本史四十五点……。どれもこれも平均点か、それ以下の点数。今回は全滅だった。

 二年生になり、詩乃とはクラスが別れた。学校でまともに会えるのは昼休みと放課後くらい。四六時中ぼんやりしてしまうのはおそらくそのせいだ。 
 昼休みになり、おれは詩乃と弁当を食いながらテストを見せあうことになった。
「あれ? いつもみたいに自慢げに見せないんだ?」
「んー、今回はなぁ……」
 情けない点数を堂々と見せる気概はない。しぶしぶ見せる。返却されたテストの点をすべて見た詩乃は一言、「ああ……」と言ってそっとテストを折りたたみ、おれに戻した。
「得意の英語で赤点取るなんて、祐輔、大丈夫?」
 大丈夫な訳はないが「あー、その日はたまたま調子が悪かったんだ」と、適当にごまかす。しかし、詩乃は納得できない様子だ。
「そりゃあ、夏の大会に向けてハードな練習してるから疲れがたまってるのかもしれないけど、それにしたって……」
「まぁ、次があるよ、次が。期末テストは百点取ってやる」
「それならいいんだけど」
 熱でもあるんじゃない? と詩乃はその手をおれの額に当てる。顔も近い。
「やめろよ、熱なんかあるわけねぇだろ」
 うー、やめてくれ。ここでそれは。教室には昼飯を食ってる連中が大勢いるんだからさぁ……。
「よぉ! 今の話、聞こえたぜ? 祐輔が赤点取ったんだって? あんな簡単な問題でよく赤点が取れるな。ちなみにおれは満点だったぜ?」
 そこへ野上路教(みちたか)がおれたちの邪魔をしにやってきた。路教は詩乃と同じ、二年B組である。テストの点を覗き見ようとするから、すべての答案用紙をボールみたいに小さく丸め、自分のスポーツバッグに突っ込んだ。してやったり、と思ったのに、
「ふうーん。見せられないほど悪かったのか」
 と言われ、思わず舌打ちをする。完全に上から目線の発言に腹が立った。そしてすぐに空しくなった。
 今回、点を取れなかった原因はおれが一番よく分かってる。多分、だれの目にも明らかに違いない。だから路教だってこんなふうに言うのだ。
 ちょっと前までのおれなら、野球も勉強も全力でやることができた。路教に言われっぱなしになるなんてことは絶対になかった。でも、恋をするようになってからはそれができない。
 テストだけじゃない。野球も、二年になってからは調子が落ちている。気持ちが野球に向いていないって、詩乃に向いてるって自分でもわかる。
 そう。おれは、ここにいる女一人に目も心も奪われっぱなし。それでいてこの状況はまずい、何とかしなきゃ、って焦りの気持ちも湧かない。まさに「アウト」だ。
 そんなおれの心を見透かすかのように路教が言う。
「そうそう。夏の大会に向けて、おれ、ピッチャーに転向しようと思ってる。部長にはもう、相談してあるんだ」
 ドキッとした。路教が、ピッチャーに、転向……? 突然のことに頭がついて行かない。
「……はぁ? ライトは誰がやる?」
「んなもん、新入りの一年生の中に腕のいいのがいただろう? そいつがやればいい。まぁ、祐輔が代わりにやってくれてもいいけど」
 その目がおれを睨みつける。
 宣戦布告、と受け取った。奴はおれがこんな状態なのをチャンスと捉え、ピッチャーの座を奪おうとしているのだ。
 前言撤回。おれはにわかに焦燥感を覚え、闘志を燃やした。恋にうつつを抜かしている場合じゃない。このままじゃ、レギュラーの座を奪われてしまう。それだけは絶対に嫌だ。
 おれも路教をきっと睨み返す。
「おれがK高野球部のエースピッチャーだと知ってて言ってるんだろうな?」
「ったり前だ。悪いけど、おれが次期エースだ」
「口では何とでも言える。それに、誰に投げさせるかは部長が決めることだ」
「腑抜けた野郎がよく言うぜ。部長だって、おれの提案には首を縦に振った。つまり、お前がレギュラーから外れる日も近いってことだ」
 どこまでがハッタリか、おれには読めない。しかし、いくらおれの調子が悪いとはいえ、今まで外野だったやつをいきなりピッチャーに据えるはずもない。適性を見極める期間は必ずいる。その間に信用を取り戻さなければならない。
「よし、これを食い終わったらさっそく部長を捕まえて真相を確かめてやる。嘘だったら承知しねぇぞ!」
「嘘なもんか。そっちこそ、自分の耳を疑うことになるだろうぜ」
 路教はそう言い放つと、勝ち誇ったように笑いながら自分の席に戻っていった。
「……今の話、本当かな? 私も初めて聞いたけど」
 マネージャーの詩乃さえ初耳なら、嘘って可能性もある。しかし詩乃は続けて、
「まぁ、野上のいうように祐輔の調子が悪いのは確かだし、夏の大会でいいとこまで行くならメンバー構成を変えようって、部長は言うかもしれないね」
 と言った。
「おい、おれの味方はしてくれないのか?」
「そりゃあしてあげたいけど、私も野球部のマネージャーとしてチームの勝利には貢献したいもん。調子のいいピッチャーがほかにいれば、祐輔には外れてもらうしかないって思う」
「つめてぇなぁ。それでもおれの……」
「冷たいんじゃなくて……」
 詩乃は箸を持つおれの手に、自身の手を重ねた。
「私はピッチャーの祐輔が好き。野球に一生懸命な祐輔が好き。だから、ちゃんと野球して」
「な、何言ってんだよ……」
 ちゃんと、野球して? それって、どういう意味だ? おれはいつだって「ちゃんと野球して」るつもりだ。好きだと言われたのに、この胸のざわつきはなんだ……?
 戸惑っていると、詩乃はため息交じりに言う。
「エース降格なんて、格好悪いって言ってるの。自分でも分かってるでしょう? ちゃんと投げれてないって」
 詩乃はおれのことをよく観察している。恋人だからじゃない。マネージャーという立場からおれの、ピッチャーとしての状態を把握している。
 おれは恐る恐るうなずき、詩乃の言葉を受け入れた。
 こんなことではいけない。本能に支配され、現実をないがしろにしていては、おれがこれまで築き上げてきた諸々のことが崩れ去ってしまう。
 手を抜けばあっという間に努力は無に帰す。そしてそれを取り戻すにはさらなる努力と時間を要する。本当に落ちぶれてしまう前に、ここで踏みとどまらなければおそらくあとはない。
「部長のところに行こう。話はそれからだ。おれだって、言われっぱなしはごめんだ」
「私も行く。マネージャーだもん」
 おれたちは残った弁当を腹に押し込むと、急いで三年D組に向かった。


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