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ペットを殺してしまったことはありますか?

こんばんは、おもちです。

突然ですが、初めて深く「死ぬこと」について考えたのはいつだったか覚えていますか?

そのきっかけは、身内の死や、ペットの死、はたまた、小説や歴史的事実かもしれませんね。

僕ははっきりと覚えています。今日はそのことについて書いていこうかと思いますので、良ければ最後まで読んでいってください☺︎

当時、小学3年生だった僕は、動物が大好きでした。特にネコが好きで、ずっと飼いたいと思っていましたが、ネコ、イヌのアレルギーを持っているのに加え、母の反対もあり、猫を飼うという可能性は限りなく低い状況でした。そんなある日、突然父がハムスターを2匹、かってきました。とても可愛らしく、僕と2つ下の妹はとても喜びました。あまりの嬉しさに、一緒に買ってきた「ハムスターの飼い方」という本を何度も何度も読み、しっかりお世話しよう、と心躍らせていました。

その本によると、父がかってきたそのハムスターは、ジャンガリアンハムスターといって、とても安価で可愛らしく、世話をしやすい種類だということがわかりました。ケージやエサ、寝床、そして一番大事(だと思ってた)あのカラカラを用意し、ずっと観察していたのを覚えています。

名前は、オスがガーリック、メスはバターとつけました。

その日から、学校が終わって家に帰るのがとても楽しみになり、帰って、ケージから出して撫でたり、ひまわりの種を一生懸命食べるのをずっと見ていました。


彼らがうちに来て半年ほど経ったある日、ハムスターの扱いにかなり慣れた僕は、餌を保管しているタッパーにガーリックを入れ、餌を食べる様子を見ていました。

そのとき、母と妹に買い物に行こうと言われ、僕はいつものように、ついていきました。

約三時間後に帰宅し、これもいつものようにハムスターの様子を見るため、ケージの前に行きました。

あれ?

ガーリックがいません。


あ。


エサを入れていたタッパー容器に入れたままだと思い出し、すぐに蓋を開け、確認しました。


ガーリックは、容器の隅で丸くなっていました。


触ると硬く、冷たかったのを鮮明に覚えています。


蓋には、彼が最後まで抜け出そうと抗ったのであろう、かじった跡が無数に残されていました。


後悔の波が一気に押し寄せたのを覚えています。


ガーリックは、餌用の密閉容器の中で窒息死したのだと悟りました。

自分ではどうすることもできず、すぐに母に報告しました。

驚き、呆れられ、とても怒られましたが、母にしては珍しく、すぐに許し、妹と2人で土に埋めてあげなさいと言いました。

妹は泣きじゃくり、僕を責め立てました。

僕はただ泣きながら、「ごめんなさい、ごめんなさい、ガーリックごめん」

と繰り返すしかありませんでした。

その後、何ヶ月か経ち、父はジャンガリアンハムスターのオスをかって帰り、彼はガッツ(ガーリックのガを受け継いだらしい)と名づけられ、バターは赤ちゃんを3匹産みました。

彼らはジャム、レーズン、マーガリンと名づけられ、1匹は前脚が一本欠けた状態で生まれましたが、最後まで元気に育ちました。

新しいハムスターと、その子供達が育つ中で、僕はどこか彼らと距離を置いてしまっていました。

それは、ガーリックに対する罪悪感なのか、母や妹に対するうしろめたさなのかは当時の僕にはわかりませんでした。

母はその件に関してその後一切触れずにいてくれたし、妹もその日以降僕を責めることをやめてくれました。

僕だけが自分を許せず、残された5匹を心から愛することができずにいました。そして数年後には、彼らは全員生を全うし、僕とハムスターの関係は終わりました。

当時の僕は幼く、考えが浅はかで、この行いはとても許されるものではありません。

今でも、ハムスターを見かけるたびに、容器の隅で硬くなっている彼を思い出します。

忘れないことが僕にできる、せめてもの償いになっていればと思いますが、彼は許してくれるでしょうか。

あの日以来、口に出したり文章にすることを躊躇ってきましたが、改めて彼に謝りたいです。

ガーリック、ごめんなさい。僕のせいで最後まで生きられなくて、本当にごめんなさい。今でも君のことを思い出し、そのたびに深く後悔します。何度も泣きましたが、許してはくれませんよね。でも僕は君のことが本当に大好きでした。許してくれとは言いません。ただ、改めて、本当にごめんなさい。



以上になります。

連続の重いテーマで、ごめんなさい、、

ただ、これは僕の中で大きな出来事だったので、自分への戒めのためにも、今回書かせて頂きました。

この事は、生や命の重さについて考えるきっかけになりました。

最後に僕の、ペットや、人間以外の生き物に対する考えを述べて終わりにしたいと思います。主観的な意見が多く含まれます、ご了承下さい。

ペットの多くは、人間より寿命が短く、自分より先に死ぬことが殆どです。これは当然のことですが、それを「短い命」と憐むのは決して良いことだとは思えません。それは生物的に人間が優れていると心のどこかで思っており、彼らを見下していることになります。つまり、「お世話してあげている」と思い込んでいるということです。あくまで彼らとは対等で、お世話させてもらってるという気持ちを持てない人に命を預かる権利や資格はありません。実際、当時の僕にかけていたものはこれだと感じています。

すこし論理的に考えると、「ほぼすべての生物は一生で同回数心臓が動く」という研究結果があります。その数は、文献によって違いますが、約8億回だそうです。人間も、犬も猫も、ましてやハムスターや鯨だって、同じ8億回を生きています。そこに時間の概念はなく、皆等しく8億回心臓を動かし、死んでいくのです。

これを考えたとき、生物によって違うのは、生きるペースであって、その異なるペース(時間軸と言ってもいいかもしれません)で生きる別の生物が共生する。つまり、一生の一部もしくは全てを共有するというのはとても素敵なことだと思いました。

彼らは人間より短い寿命に何の疑問も持っていません。ただ、自分の一生が幸せかどうかはわかります。

もし、他の生物の一生を共有させてもらう機会があるとしたら、それがあなたの人生にとってどれだけ短い時間だとしても、全力で彼らに向き合うべきだと、僕は思います。

かなり長くなってしまいました。

極論、考え方は人それぞれでいいと思います。

1番いけないのは、生半可な気持ちで命を預かることです。

それはペットでも、自分の子供でも同じことです。

彼らと真剣に向き合い、責任を持てる人だけが彼らと命を共有できるのだと僕は思います。

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大学3年生、はたちです。完全な自己満。Twitterのフォローもよろしくです☺︎