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まつげ金魚

 たけおはまるで上の空でした。担任の先生が怖い顔をして見ていることにも、まったく気が付きません。
「たけおくん」
 隣の席のようこちゃんが、心配して何度も声をかけてもむだでした。ついに先生が言いました。
「たけお!廊下で立ってなさい」
 やっと気が付いたたけおは、恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに廊下に出ました。
「あれはいったいなんだったのかな」
 たけおの頭の中はそのことでいっぱいでした。
 たけおの朝のお手伝いは、飼っている金魚にエサをあげることです。小学校二年生のたけおのクラスでは、毎日のお手伝いをノートに書いて先生に見せることになっています。今朝も、エサをあげようと玄関の下駄箱の上に置いてある水槽をのぞいた時でした。
「あれ?」
 たけおはまだ眠い目をこすりながら、もう一度よく見ました。昨日新しく買ってきた金魚は三匹のはずなのに、四匹いるのです。しかもそのうちの一匹にはまつげがあったのです。とにかくエサをあげることが先だと、たけおは「金魚のエサ」と書かれた小さい箱からエサをつまみ出し、水槽の上から振りかけました。金魚がいっせいに寄ってきます。三回振りかけたところで、お母さんの声がしました。
「たけお、朝ごはんできたわよ」
「はあい」
 たけおは金魚のまつげのことは忘れて、居間に向かいました。
 学校に着いて、いつものようにお手伝いのノートに書こうとした時、たけおは金魚のまつげのことを思い出しました。それからです、たけおの頭の中が、そのことでいっぱいになってしまったのは。
 廊下に立たされながらも、まつげ金魚のことばかり考えていたたけおは、学校が終わると、いちもくさんに家に帰りました。そしてすぐに水槽をのぞきました。
「あれ?」
 今朝は確かにいた新しい金魚は、三匹に減っていました。しかもまつげ金魚がいません。たけおはお母さんに聞きました。
「金魚、一匹減ってない?」
「ああ、三匹買ったのに、四匹だったでしょ。だから、一匹返してきたのよ」
「えー、それまつげ金魚だったんだよお」
「まつげ金魚?何それ」
「金魚屋さんに行ってくる!」
 たけおは家を飛び出しました。金魚屋さんはたけおの家の五軒先なので、一人でも行けるのです。たけおは夢中で走りました。あまりに夢中で走ったので、たった五軒分なのに、たけおはクタクタになりました。
「おじさん、金魚まだいる?」
「やあ、たけおくん、何の金魚のことかな?」
「あのね、まつげの金魚だよ」
「まつげの金魚?」
「今日、僕の母さんが持ってきたでしょ」
「ああ、あの金魚のことか。でもまつげってなんのことかな…」
 金魚屋のおじさんは、不思議そうに首をかしげながら、その金魚のところにたけおを連れていきました。
「あっ、いたいた、この金魚だよ、おじさん」
 値段は二百四十円。たけおの一ヶ月のお小遣いは二百円です。たけおは自分のお財布の中を見ました。二百十五円しか入っていませんでした。たけおはがっかりしました。小さくため息をつくと、おじさんが言いました。
「その金魚、たけおくんにあげるよ。一度たけおくんの水槽に行った金魚だ。帰りたいと思ってるよ」
「ありがとう、おじさん!」
 しょぼくれていたたけおくんは、急に元気になりました。飛ぶように家に帰り、まつげ金魚を水槽に入れました。
「まつげ金魚、おかえり!…あれっ?」
 たけおはじっと見つめました。まつげ金魚にはまつげがありませんでした。
「あれれえ~」
 たけおはまつげ金魚をさらに見つめました。まつげに見えたのは、金魚の目元にある黒い模様でした。
「まつげ金魚~」
 たけおはがっかりしました。でもまつげ金魚のことが大好きになりました。そして、明日のお手伝いノートには、まつげ金魚が帰ってきたことも書くことに決めました。