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手洗いで思う

 会社の建物から外に出る時に、カードをかざすと扉が開くようになっているのだが、たまに開かないことがある。私の背が低いから、扉が反応しないのだろうか。カードをかざしているのに…とも思うが、その可能性は否定できない。なぜならば、いわゆる自動ドアがなかなか反応せずに、その前で立ち往生してしまうことが、何度かあったからだ。

 さすがにここ最近はそういうことも無くなってきた。自動ドアの性能がアップしてきたに違いない。そうでなければ、私のように小柄だったり、それこそ小さな子どもは、扉の外に出られずもしくは入れずに命を落としてしまうこともあるかも知れない。

 それは少し大げさかも知れないが、そういうこともあるかも…ということである。今の世の中は本当に便利で、水道の水ですら手をかざすだけで出てきたりする。特にトイレの水に多い。これはとても画期的である。

 日本人は妙に潔癖症なところがあり、少し前まで、トイレで手を洗ってから水を止める前に、蛇口に水をかけたりする人達もいた。水周りがビチャビチャになったりするのだか、それはお構いなしである。本当はそんなことぐらいで、バイ菌はいなくならないと思うのだが、要するに気持ちの問題である。

 そんなことを気にするのなら、例えば、トイレの個室で事が済んだあとに持ったバッグの持ち手などは、不潔極まりない。それを洗った手でまた持つのである。トイレの鍵だってそうだ。不特定多数の人が汚れた手で触れるのだから。

 若い人(大人でも結構いるが)が、手を洗う時に、ほんの指先だけ、しかもさっと濡らすだけ、更にその手を自分の髪で拭いているのをよく見かけるが、その人の髪はバイ菌天国なのだろうな…といつも思う。バイ菌のことだから、どんどん増殖しているのではと思うと、気持ちが悪いのを通り越し、不気味になってくる。しかもその手で、あちこち触れるのだから、もうどうにもバイ菌から逃れようがない。
 そんなことばかり考えていると、生活困難になってしまうし、バイ菌だって役に立つこともあるらしいので、いろいろと目をつぶっていくしかないな…と思うようにしている。

 と思っていたのは、昨年までのことで…、今年はもうそんなことも言っていられない。とにかく手洗い、消毒、バイ菌(というよりウィルス)は、役に立つことなんて全くない。命にかかわる。そういう目で見ていると、さすがに指先だけ濡らす…みたいな人も減ってきたような気もする。

 自分の身を守ることは、周りの人の命も守ることだという意識が、今は一番大切だと思っている。