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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」番外編 春を待つ(前編)

番外編 春を待つ(前編)

 一世一代のおれの告白は失敗に終わった。
 文化祭を終えた日の夜、打ち上げというていで晴花をうちに呼んで、十八年間募らせてきた想いをついに吐露したわけだけど――結局、晴花は首を縦に振らなかった。
 
 教師と生徒である以上、残念ながらおれたちは特別な関係にはなれないらしい。一応、晴花もおれを好いてくれてはいるようだけど、おれが高校に通うあいだはでいようと言われた。 
 正直、幼なじみという立場には辟易してる。今まで散々それをやってきたのに、まだこれからもやらなきゃいけないだなんて、どうかしてると思う。お互い愛し合ってるのなら付き合ったっていいのに、そのへん融通が利かない。本当に呆れる。晴花はばかみたいに真面目なんだ。むかしからずっと。


 放課後になり、そろそろ帰ろうと教室を出る。ひとりで廊下を歩いていると、先のほうに晴花を見つけた。ずいぶんと重たそうな分厚い本を数冊、腕いっぱいに抱えて歩いている。
 ……まさかと思うけど、そんなものを持ちながら階段を上り下りするつもりじゃないだろうな? あきらかに足もとが見えてない。そんな状態じゃ足を踏み外して階段を転げ落ちるぞ。晴花はおっちょこちょいだからやりかねない。
 
 心配になったおれは、早歩きで晴花のもとへと向かう。晴花は一直線に下りの階段を目指していた。ああ、ほら、案の定それで降りるつもりだ。危ないったらない。
 手伝うつもりで晴花を止めようと、遠くからその名前を呼ぶ。
 
「はる――」
「水嶋先生!」
 
 思わず足がぴたりと止まる。
 廊下の角から勢いよく飛び出したのは、担任の勝馬だった。
 そろそろ冬が始まるというのに、えりを立てた半袖のポロシャツを着て、季節外れに日焼けした筋肉隆々の腕を見せつけるように現れる。

「水嶋先生、お疲れ様です!」 
「あ、勝馬先生。お疲れ様です」
 
 ふわりと笑顔を見せる晴花に、おれはむっと顔をしかめた。
 晴花、それはよくない。誰彼構わずそんな表情を見せたらだめだ。晴花の笑顔は最高にかわいいから、それを向けられた相手は勘違いしてしまう。勝馬みたいな人間には、とくにだ。ことさらよくない。本当に。

「その本、今日の授業で使った資料ですね。いやあ重そうだ、私が持ちましょう!」
「いえ、そんな、悪いです」
「いやいや、いいんですよ。そんな華奢で細くてかよわい腕でこんな重いものを持ってはいけません。そういう仕事は、このわたくしに! ぜひ! お任せください!」
 
 勝馬は、ほとんどひったくるように晴花から資料を奪う。白い歯を見せてニカッと笑顔を見せる勝馬に、晴花は目をまたたかせた。
 
 正直言うと、おれは勝馬あいつをあんまり好きじゃない。他の先生みたく放っておいてくれたらいいのに、あいつだけはなぜかしつこくおれに絡んでくるんだ。他の誰もやってないのに、おれだけ二者面談をしたことが何度もある。声をかけてくるたびに背中を叩いてくるのも嫌だ。むだに筋肉ムキムキだから、ちょっとした力でも結構痛い。力加減がわかってない。声がでかいのもうざい。話がくどいのもだるい。悪いやつだとは思わないけど、ああいう熱苦しい人間はおれのいちばん苦手なタイプだった。

 そんなふうに勝馬を好きになれない理由は山ほどあるけれど。
 なにがいちばん嫌かって、やたらと晴花にかまうところだ。
 
 今みたいに、姿を見かければすかさず声をかけるし、話しているときなんて完全に目もと口もとが緩みきってる。距離感が近いのも気になる。晴花を狙っているのは誰の目にもあきらかだ。……気づいてないのは、当の本人である晴花だけで。
 あんなに好意を前面に出してるのに、なんにもわかってない晴花もどうかとは思う。晴花はびっくりするくらい鈍感だ。そのあたりは勝馬に同情する。

「これ、どこに持っていくんですか?」
「あ、ええと、一階の資料室に……」
「資料室ですね、了解です! ところで水嶋先生、前にした約束、覚えてますか!」

 晴花は目をぱちくりとまたたく。
 約束? とつぶやきながら、小動物のように首をこてんと横に倒した。
 
「ほら、前に言ってたラーメン屋めぐり! だんだん寒くなってきましたし、熱いラーメンをすするのにちょうどいい季節なんじゃないかと思いましてね!」

 ラーメン屋めぐり。なんだそれ。
 たぶんデートのお誘いなんだろうけど、あまりにセンスがなさすぎる。そんなものに晴花がついていくわけないだろ。ラーメンなんて一杯食べれば満腹なのに、めぐってどうする。なにを考えてるんだ、勝馬のやつ。ほら、晴花もぽかんとしてるし。
 
「ラーメン……? そんな話、しましたっけ……?」
「はは、またまたぁ。水嶋先生はジョークがうまいなぁ! しましたよ! 水嶋先生もノリノリだったじゃないですか」

 それはない。絶対ない。
 おいしいケーキのあるカフェめぐりならまだしも、晴花はラーメン屋めぐりなんかにノリノリにならない。なにをどうやったらそんな勘違いをするんだ。これだから脳筋野郎はだめなんだ。

「で、いつにします? 今月中はどうですか? 私は今週末でも、なんなら今日でも! 全然! いいんですが!」
「すみません、今日はちょっと予定が――あ、夏野くん」

 気づいたら、勝馬と晴花の前にいた。
 いてもたってもいられなくなって、体が勝手に動いてた。
 晴花がおれの名前を呼ぶ。勝馬もおれに目をやった。

「お、夏野。まだ残ってたのか。もう日が落ちるぞ、危ないからそろそろ帰れ」

 そんなことはわかってる。晴花の前で子ども扱いするな。格好つかないだろ。
 むっと顔をしかめたおれは、ずいっと割り込むようにふたりのあいだに立つ。それから、じっと勝馬の顔を見た。
 
「ん? なんだ、夏野、どうした?」
「…………」
「……なんか俺の顔についてるか?」
「…………いえ」

 たっぷりと間を含んでから、ふるふると首を横に振る。
 おれの晴花に勝手に話しかけるな、という気持ちを込めて、渾身の力でにらみつけてやったけど、全然効いてない。たぶん、あの鉄壁の筋肉で全部弾き返されてる。そんな気がする。

 おれは勝馬からふいと視線をそらし、晴花に向き直った。
 
「水嶋先生」
「え? な、なに?」

 いきなり話しかけられて、しゃんと姿勢を正す晴花。
 かわいい。目線がおれより下にある。小さい。かわいい。全然先生に見えない。これで教師だなんて誰が信じられるだろう。制服を着てれば高校生でも通る。それなのに背伸びしてスーツやジャケットを着るもんだから、もう本当にかわいい。
 心の中で繰り返し愛でるけれど、気持ちは一ミリも顔に出さない。おれはそのへんをきちんとわきまえてる。愛でるなら、帰ってから誰も見てないところでやる。

「合唱コンクールについて相談したいことがあるので、ちょっといいですか」

 問うと、晴花は目をまたたいた。
 
「合唱コンクール……って、再来月ある、あの? うん、いいけど……」
「じゃあ行きましょう。勝馬先生、あとはよろしくお願いします」

 頭を下げ、背を向けて歩き出す。
 うしろで晴花も勝馬に礼を言う。

「勝馬先生、資料ありがとうございます。助かります。それではよろしくお願いします」
「あ、いえ、どういたしまして……」

 肩越しに振り返り勝馬を見やると、重たそうな資料を抱えたまま呆然と立ち尽くしていた。
 おれはふんと鼻を鳴らし、ずんずんと歩みを進める。

 教室とは真反対にある、特別棟の最深部。薄暗い廊下の突き当たり。
 とっくに放課後を迎えているこの時間帯には、生徒の姿は誰一人として見当たらない。校内とは思えないほどにとても静かだ。後ろからおれについてくる足音もはっきり聞こえる。

「それにしても驚いたな。雨月が合唱コンクールについて質問したいだなんて、めずらしいこともあるんだね。季節外れの雪が降るかも」

 おかしそうにくすくすと笑う晴花。
 おれは背中を向けたまま、ぴたりと立ち止まる。
 足音も真後ろで止まった。

「それで、なにが知りたいの?」
「知りたいことなんてない」
「……え? だって、さっき、相談したいことがあるって」
「なにもない」
「ええ……?」
 
 晴花は小さく困惑の声をあげる。
 聞きたいことなんて微塵もなかった。おれがあんなことを言ったのは、あいつから晴花を離すためだ。実際は合唱コンクールなんかまったくもって興味ない。出る気すらない。
 
 おれは、ふっと息を吐く。
 嫉妬なんてダサいとは思う。だけど晴花が他の男と話してるのを見るのは嫌だ。例えその相手が生徒や先生でもだ。おれ以外の男と話してほしくない。笑いかけてほしくない。……胸の奥がもやもやして、体の中が真っ黒になるから。

 振り返り、晴花を見る。
 目が合うと、なにも知らない晴花は丸い目をさらに丸くさせておれを見る。……おれを、見つめている。

「晴花、……勝馬とデートに行くの?」
「へ? デート?」

 突然の質問に目をみはる晴花。
 それから、かぶりを振る。

「行かないよ、そんな話はしてないし」
「してたよ、さっき。……ラーメン屋めぐりするって、あいつ言ってた」
「言ってたけど、デートじゃないよ」
「デートだろ、あんなの」
「違うよ」
「デートじゃなけりゃ、なんなの」

 頑なに違うと言い張る晴花。
 むっとして問うと、晴花はうーんと考えてから一言。

「……お腹がすいてたんじゃないかな?」

 は? と思わず声が出る。
 数秒の間を置いて、気の抜けたおれはがっくりとうなだれた。
 勝馬に対して腹が立つのはもちろんだけど、察しの悪い晴花も晴花だ。この人はどうしてこんなに鈍感なんだろう。恋愛感情に疎すぎる。相手の気持ちを汲み取る力が皆無だ。だからおれの恋心にだって気づかない。……ちっとも気づいてくれやしない。


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