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個人の変容について、現場からの考察

最近とてもウマの合うブルー将軍こと社会派税理士青野英明さん。
興味関心が近いので、話をすると止まらない。

ブルーさんのnote。今日はこの中で面白く読んだ投稿からコラボって書きます。

彼はとても抽象度の高い話をする。
好奇心も志も高く、その蓄積された知性は
目を見張るものがある。

だけど、時々言ってることがわからなくなる???から
それってさ、、こういうこと?って質問をする。
(だって、聞いててなんか面白いから)

すると、『そうそうそう!そうなんですよ!』と
嬉しそうに笑う。

あ、そうだったんだ、へえ〜と
また話がいろんな場所へ進んでいく。

『個人の変容を促すこと』について
よしこさんはプロですから!と興味を持ってくださり、
一緒に話したり、発信する機会が増えた。

そう言ってもらうと、確かに私はコーチングやファシリテーションを通じて
目の前の人の話に耳をすまし、変容させようという奢りは手放し
ただニュートラルに質問を返している。
それが、結果として個々の変容のきっかけを差し出していることを自覚している。

そんな中、ブルーさんがこんな記事を書いた。

ブルーさんのこの仮説について、
そんな私の視点からも書いてみようと思う。


どうすれば人の可能性を解放できるのか?

コーチをやってきて、わかったことは
全ての人が可能性を開放したいと本気で思ってはいないということだった。

セッションで、『可能性を広げたい』と言葉にしても、
心底思ってない限り、なかなか行動に移せない。

だから、話を表面だけ聞いていると、
いつまでもうわっ滑りの話しか出てこない。
(だからコーチは、表面の話をフックに本音に迫っていくわけだ)

そのうわっ滑りの状態は、目の前に広がった可能性に自ら見ないふり(あるいは見えない)を
しているようにも思える。

だから、道が見えない。見えないものはできない。

『お作法』の呪い

それは、本人がいい加減だ、ということでは決してない。
本気ならやればいい、とかそんな根性論とも全然違う。

ただ、黒いサングラスを無自覚にかけていて、光のあふれる道の真ん中で
『暗いです』て言っているようなものなのだ。

そのサングラスがこの場で話されている『お作法』のように私には聞こえる。

それがブルー将軍的に『そうそう!そうなんです』かどうかは
わからないけど、もしそうだとしたら
それはこんな言葉で現れる『お作法』に思う

・当然____すべき
・______の話していることは正しい
・まさか、______なはずがない
・みんなきっと______と思っている

そう、世の中にはたくさんの数えきれない『お作法』が存在している。
そして、その声は文化や習慣の間、私たちの暮らしに中に巧妙に隠れている。

組織の変容と個人の変容は同軸

では、『お作法』にどう気付くのか?
確かに、その方法の一つはコミュニティの横断だろう。

転職、転居、旅行、文化の違う場所への移動をした時、
コミュニティを移動したときに感じる
『ここってそんな感じなんだ』っていう瞬間こそ、サングラスが外れているのではないだろうか?

新しい場所の『お作法』を知らない状態こそ、あなたにしか見えない本質が見えている。

だからコミュニティの横断をするだけでなく、
そこのお作法に馴染む前に、自分が見た景色を覚えておいてほしい。

もしそれが違和感だったら、きっとそのコミュニティの変容の鍵を持っているのが
あなた、ということだ。

そんな時、こんなこと言っちゃダメだよなーとか遠慮とかいろんな気持ちが起きるかもしれないけど
それこそまたとない、あなた自身の変容のチャンス。

あなたが一歩踏み出せば、同時にそのコミュニティもまた一歩踏み出す。

そういった意味では、個人の変容と組織の変容は同時に起きていると思う。




読んでくださってありがとうございます。 みなさんのお役に立てる記事を心がけていきたいと思います。