教えることは学ぶこと

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紹介したい本がある。高橋尚幸さんの「流動型『学び合い』の授業づくり」という本。ネタバレはよくないので、読んだ感想を書きます。


私も勤務校に来てから、校長の強いリーダーシップもあり、『学び合い』の考え方による授業をしている。これで3年間がたった。1〜3年生まで通して指導させてもらった。贅沢なことだ。当初、指導教員からは「やめたほうがいい」と言われ、校長からは「やれ」と言われ、「どうすればいいんだーーーー!」と思った覚えがある。「ああじゃない、こうじゃない」と悩みながらやってきた。保護者からもいろいろな意見があったようだが、生徒のほうが充実した顔をして授業に取り組んでいた。結果的には、生徒はよくのびたと思っている。

よくのびたとはいえ、まだまだ改善すべきことはある。この休校期間中にひとつでも学びたい・・・と思っていたところ、Twitterでこの本と出会った。


本の書名を一目みたときに魅力に感じたのは「流動的」ということばだった。私の授業では1時間完結で考えている。先輩の先生方は単元まるごと任せる授業にも取り組んだり、外部の方との関わりのなかで地域のことを本気で考える授業をつくったり、わりと全校規模で『学び合い』の考え方が浸透している学校だと思う。数年前まではどこにいるのかわからなくなる生徒もいたし、寝ている生徒はたくさんいた。『学び合い』の考え方をほぼすべての先生が語るようになってから、学校の様子が変わったと実感しているらしい。(私はその一部しか体験していない世代なので噂でしか知らされていない・・・)ひとりのこらず起きていて、課題達成のために奮闘していることが、何年か前から働いている先生方にとっては「当たり前」の光景ではなく「大きな変化」だと捉えられている。

今、私が『学び合い』の考え方に出会ってから3〜4年がたち、日々の実践を共有しながら、少しずつ心にすとんと落ちてきた。もう一歩踏み出すべきときだと思う。この本の通りにやろうとは思っていない。なぜなら、目の前にいる生徒は一人一人違う人間で、どのクラスをとっても同じ集団はない。多様性があるほうが学びが深まるから、いろいろな生徒がいたほうがいいという意見には賛成だ。32人学級だったころより、学級に40人いたときのほうが学びの質がいい。異学年でのほうがもっとお互いに学びとることができる。中学校には残念なことに小学校低学年の漢字があやふやな子たちがいる。外国からやってきたばかりで日常会話さえできない子も混ざっている。それと同じ空間に、文章を一読して筆者の考えをサッとまとめ上げてしまう子もいる。だけどそれがいい。ひとりでは気づけない世界に出会えることは、生徒たちにとって人生の財産だと思う。3年間の中学校生活で生徒たちは自分がいかに頼りなく、人とかかわらなければ生きていけない存在なのかを思い知らされる。その体験があれば、彼らは卒業しても強く生きていけると信じている。


本を一通り読んでみて、「こうしたらうまくいく」なんてものは当然だけどないと改めて思った。ここに書かれていたのは、ひとりの教師の試行錯誤とこれからも挑戦し続けるという強い意思だった。筆者は私には見えていなかったところが見えている先達だ。人それぞれ信念があるから、「やり方」は違っていい。でも深く深くたどっていくとほとんど同じところに行き着く。共感できる感覚だった。

新年度まで時間がある。自分を見つめ直す時間にしたい。生徒は私たちのことをよくみているから、心からのことばかどうかなんてすぐに見破る。自分の心で、自分のことばで語るほうが伝わる。

授業で悩んでいる人は必読だ。先生が変われば生徒も本当にがらりと変わる。劇薬ではないけど、じわりじわりと変わっていく。停滞したら、生徒の成長はないと思う。「教えることは学ぶこと」。尊敬する先輩から教えてもらった。

新年度、また違う挑戦をしたい。



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