7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに

 エネルギーのクリーン化はすでに行動済みである。今日は太陽が出ていないので温水製造は休みだが、その柔らかい暖かさは冬の陽だまりのようで、最高のできであった。7番、”みんなに”に薪でも配って歩こうか。

 ここのところレジ横の赤い表示が目立つ。キャッシュレスの返金、国の施策らしい。直感的に愚策と理解できるものの、山暮らしが続くと政治への不満はなくなる。日本の政治の矛先は経済であり、経済とわたしの生活の接点はせいぜいがレジ横で目にする赤い表示であり、返ってくる額は十円を越えることはない。わたしは職を失ってから、小銭生活を続けていた。以前、出かけるときには小銭を持っていかなかった。そして帰ってくると釣銭は甕に入れた。わたしの小屋には山のように小銭があり、わたしの買うものはほとんど小銭で買えた。銀行口座とクレジットカードは持っているが、アンチ・キャッスレスである。
 噂でもう一つ、愚策を聞いた。太陽光発電支援である。この町でも山の木を伐採して太陽光発電のパネルを並べていた。ところが先の台風でパネルが飛ばされ、さらにその一帯には地崩れがあったらしい。投資が回収できないままの廃業、整地した土地すらも消えた。太陽光発電、環境のためのと言いつつ、人が動かされたのは金によってである。そもそも黙っていて金が入ってくるのであれば、そもそも金という概念が成り立たなくなる。自然に生まれてくるものには、価値を見出しようがない。この辺はAIがする仕事にも関わってくるので、議論は避ける。利便性を捨てて体を動かして生きることを選んだ男が言っても重みがない。とにかく、世の中のクリーンエネルギーってのは今ひとつ信用ならない、それがわたしの見解だ。
 朝晩の冷え込みが深くなった。隙間だらけでも、薪を暖炉に放り込めば小屋の中は暖かい。そんな小屋の中でハンモックに揺られて思考を巡らせた結果、上に書いたような面倒なことに悩まされてしまった。体を動かすことにした。ここは伊豆半島の付け根のマイナーな町、有名トレーナーのいるフィットネスクラブや爽快なジョギングコースなどない。冬に体を動かすと言えば、薪割りである。一汗かくころ握力がなくなった。昨年に覚えた薪割りのコツはすっかり忘れてしまっていた。今年はまた振り出しに戻り、体の使い方や力の入れどころを模索している。厄年男は覚えが悪く、すぐ忘れる。それでも薪は積み上がり、行動の成果が見えると達成感があった。

 ここで大きな問題が発生した。薪エネルギー反SDGs疑惑。7番には、”手頃で信頼でき持続可能で近代的なエネルギー”と書いてあったのだ。”近代的なエネルギー”、古いエネルギーは認めないということか。言うまでもなく、薪には近代的な要素は皆無である。暖炉の中、パチパチと鳴り、赤色く黄色く光り、キャンプ生活の象徴のような臭いがしている。インフラのいらないエネルギー源、この山奥には欠かせない。
 会社を辞めて東京を離れたときと同じだった。世間の正義がわたしに合わなかった。SDGsは、洗練されたスーツに付けられたピンバッチ的なセンスなのだ。行き止まりで立ち止まった。そんなときには運動か酒、すでに運動は済ませていたので、次は酒である。焼酎のグアバ茶割り。グアバ茶は自家製、焼酎は甲類である。一人酒は思考をマイナスに向かわせた。ダークサイドのはけ口を探し出す。”手頃”という表現、どうも安っぽい日本語だった。洗練されたスーツに合った言葉を使って欲しい。日本国は大丈夫だろうかと、電気もwifiもない小屋で憂う。ふと、大きすぎるピンバッチと同程度の美的センスだと思い至った。
 英語の文章を見るとaffordableとあった。誰でも手が届くという感じの意味だろうか。特に何も感じなかった。

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