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1975年

1975年夏、ぼくたちの古いワーゲンにはカーステレオもクーラーも装備されていなかった。全開のウィンドウから真夏の湿った夜風とワーゲンの騒々しいエンジン音が一緒に流れ込んで、眠気を覚ましてくれるのだ。ルーフキャリアにぼくとコンちゃんのLightning Boltと Town & Countryのサーフボードを載せて東名高速を西へ向かって走っていた。コンちゃんはリアシートに載せたカセットデッキのテープを取っ替え引っ替えしては、缶コーヒーを何本も空けて煙草をチェーンスモークしている。彼は大量のカセットテープを積み込んで来て音楽を絶え間なく流す役割である。運転助手の最大の仕事はBGMの選曲で、このドライブには絶対かかせないものだった。ぼくの好みはジャクソンブラウンやバーズなどの西海岸ロックで、コンちゃんはモータウンやフィラデルフィアのソウルミュージックばかり掛けた。まだサーフボードは珍しかったし、ぼくたちのワーゲンビートルはまったくスピードが出ない、おまけに長髪の若者二人がヒッピー風なので、運送で走る強面の大型トラックに散々煽られ、なんとか神戸の側、芦屋のフェリー乗り場に辿り着いた時は、最大の難関を突破した気分だった。そこで仮眠を取り夜を待ち、高知県東洋町の甲浦港行きのフェリーに無事乗り込んだ。四国へ波を探しに行く旅の始まりだった。





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