スケアクロウ T

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最近の記事

ベトナムのフエへ

ベトナム中部地方のフエへ行った。 街の真ん中にはフォン川が流れている。広く悠々としたフォン川を境にフランス統治時代につくられた新市街と王宮のある旧市街に分かれていて、エッフェルの設計したフォンティン橋が両市街を繋いでいる。 騒々しいホーチミンに数日滞在したあと移動したフエは、素朴で静かな風情のある街だ。ベトナム最後のグエン王朝の遺跡と仏領時代の建造物、幾つかの歴史的な背景がミックスした古都。 テト攻勢で有名なベトナム戦争の激戦地でもある。 旧市街のフォン川沿いには賑やかな活気

    • 時刻表にない列車

      初夏から夏にかけて山梨の増富へラジウム温泉治療に通い、夏には二人で大阪へも旅行した。最後になるとわかっていた旅。彼女は到着した夜にホテルで高熱を出した。梅田駅前のホテルの窓から絶え間なく行き交う電車が見えて、西日の差す落ち着かない部屋だった。 夜明けに、もう東京に帰ろうと伝えると、嫌や、まだお好み焼きも食べてへんと駄駄をこねる。それから見る見る熱は下がり起き上がれるまで回復した。日頃から痛いとか辛いとか言わない人だったが、大阪の街に出たい一心で自ら回復させたのだと思った。 午

      • 年が明けて

        暮れの10日ほどは長距離走者のラストスパートに似てる。毎年、店と家の大掃除を終わらせるとゴールは目前。残るは大晦日、たどり着いた安堵感が心地よい。午後遅く煮物の出汁の準備をして娘と正月の買い物に出かける。ビールは娘に背負わせ両手にいっぱいの食材を抱え帰宅。紅白をチラ見しながら煮物を作りビールを飲む。ゆく年くる年の除夜の鐘が聴こえてくる頃に一年の任務完了。ゆずを浮かべた温かい蕎麦つゆに天ぷらを潜らせ蕎麦をすすり新年を迎える。 元旦は子どもたち一家がやって来て賑やかに過ごす。孫

        • 波を待つ

          レントゲンを撮ると、この歳にしてはとてもきれいな骨をしていますと医者が言うのだ。痛みの原因は筋肉の疲労炎症だった。 北北東の風が吹くビーチは秋の気配と夏の名残が混じりあっている。雲が幾重にも重なって、時折雲の裂けめから日が差した。 波は胸〜肩のグッドウェーブ。ウエットスーツを着る時に腰の痛みを感じたが、取り敢えず海へパドルアウトしてみることにした。 掘れた波の際でドルフィンしても痛くない。アウトに出る手前で大きなセットを数本くらったが腰は大丈夫そうだ。何とかブレイクの外へ出

          ラオスの印象

          ラオスの首都ビエンチャン、早朝や夕暮れ時に沢山の人が整備されたメコン川の遊歩道を歩いている。ビエンチャンの人にとって大きく穏やかなメコン川は憩いの場所のようだ。 ラオス旅行の一月ほど前、旅先を決めるために地図を眺めていた。比較的に近い海外で、自分に予備知識がなく新鮮で神秘的な国、地図からラオスが浮上した。 先ずベトナムエアーでハノイに飛んで、半日の長い空港トランジット後、ハノイからプロペラ飛行機に搭乗してルアンパバーンへ向かった。夜遅くに到着し空港から町へ移動するのは数人で

          夢の蛇と新しい世界

          ぼくは広い部屋の真ん中にぽつんと立っている。攻撃的な猫が飛びついて来て手に噛みつきぶら下がったが、遮二無二飛びつく子猫の様子は可愛い。他の猫たちも遠巻きにこちらを伺っているので少しこわい。一匹懐っこい猫が近寄ってきた。以前から知り合いのような気がして自然に手を伸ばし撫でてあげる。すぐ打ち解けたことがわかった。実は猫が苦手だったので安心した。ところがいつのまにか大の苦手の蛇と向き合っている。大きな緑の蛇はぼくの横を通り過ぎる瞬間向きを変え身体の上を通過して行く。蛇はぼくの夢によ

          夢の蛇と新しい世界

          遠きにありて思ふもの

          45年前、サーフボードを抱えて出かけようとすると、東京に住む明治生まれの祖母が板こ乗りかと聞いてきた。祖母も波に乗っていたというのだ。彼女の故郷は安房。南房総サーフィンのメッカ和田浦で育ったのだ。ぼくは祖母が波に乗る喜びを知っていることに、えらく感銘を受けた。最もサーフィンと縁遠いはずの祖母が最高の理解者だったのである。 和田浦の浜へ下る路地から、水平線と青い海と白い波頭が見えただろう。鄙びた漁港を挟んで白渚海岸から千歳白子辺りまで松林と広い砂浜と田舎道が続いて、きれいな形

          遠きにありて思ふもの

          メリーゴーランド

          孫たちが乗ったメリーゴーランドが廻ってくるとぼくは手を振る。日曜日の遊園地はたくさんの人で賑わっていた。音の洪水の中で遠い子ども時代のことを思い出す。動物園の片隅の小さな遊園地で、突き出したアームに固定されたボートはぼくを乗せて円周を回る。父親のいる場所を通過する度に目を合わさないように、水の流れに手を入れうつむいていた。手を振ることも声を出すこともなく。父に申し訳ないような気持ちになる遊園地の乗り物が苦手だった。 孫は嬉しそうにピースサインとニッコリのサービスをしてくれる。

          メリーゴーランド

          今朝、冬に種をまいたアイリスが黄色い花を咲かせていた。ひょろっとした万能ネギのような茎が伸びるばっかりで、何を植えたのかも忘れていたのだが、この茎の先端に菖蒲の花が咲くとは思わなかった。 寄せ植えした睡蓮鉢には、知らぬ間に雑草が根を張り、それに混じっていつ潜り込んだのかミニ薔薇が咲きはじめた。白を出したり黄色を出したりよく咲いている。 年末に買った薄桃色のシクラメンは春になってもまだ可憐に咲いている。スーパーマーケットの店頭に出張販売の花屋があって600円と安価だったのでニ鉢

          銀座

          「銀座24の物語」文庫本が家にあったので読み始めた。古書店で買って放置してあったらしく裏表紙に鉛筆で200と値段が記されている。タウン誌「銀座百点」に掲載された短篇小説集で、24人の作家が銀座を舞台に描いた物語だ。 ページにして数枚のストーリーだがどれも味わい深く其々に銀座の香りと物語の余韻がある。向田邦子の「父の詫び状」も銀座百点に掲載されてのちベストセラーとなったそうだ。タウン誌と言えど、装丁も冊子の内容も銀座に相応しい粋と贅沢の一言。1955年の創刊以来ずっと人気で、毎

          風に飛ばされた

          砂浜は強烈な南西風でボードを抱えて歩くのも大変だった。波はジャンクでカレントが速くあっという間に数百メートルながされてしまう。上がっては風上に向かって歩きパドルして沖へ出る。風に打たれ波に揉まれ疲労困憊で早々に車へ戻る。水温が低く体が冷えていた。 砂礫が容赦なく顔にあたるので身をかがめて歩く。だだっ広い駐車場に車は7〜8台だけ。 皆んな他へ行ったのだ。 サーフボードを飛ばされないように注意して、車体の下のkeyboxに窮屈な姿勢で手を伸ばす。4桁の番号合わせは手が悴んで意外と

          風に飛ばされた

          贅沢なビールと風呂

          最近見つけた海沿いの宿の展望風呂について話したい。フロントでルームキーをもらい小さなエレベーターで8階へ上る。扉が開くと吹きさらしの通路で、集合住宅のような廊下に部屋が並んでいる。海沿いの街と低い山の連なりが見えて眺めがいい。 部屋の玄関を入るとトイレと風呂が左右に振り分けで、内扉の先にダイニングキッチン、その奥に8畳の和室、突き当たりはベランダで海と対岸の半島がみえる。数日の生活なら別荘のように必要なものは揃っていて、コンドミニアムというのだろうが、ぼくには懐かしい中百舌鳥

          贅沢なビールと風呂

          夜明けのJAF

          午前5時に布団を出て簡単な支度で家を出発。ウエットスーツを抱えて駐車場まで歩いて5〜6分。街は夜明け前の色、まだ街灯が灯っている。冬のぴーんと張った空気に負けないように歩く。始発の電車がホームに入線していて、東京の1日が動き出す感じがした。仕事をしている人たちがいるのに寒いなんて言ってられない。駐車場に到着して車のエンジンキーを回すと始動しないのだ。何度も試すがお手上げで完全にバッテリーが上がっている。JAFに電話して来てもらうことに。駐車場で凍えて救援を待つこと30分、ブル

          サーフィンへ行ってみたら

          緊急事態宣言なれど海へ行く。9時ころ花籠に到着すると満車で数台が順番待ちしている。他をあたるが付近の駐車場も満車で入れない。ここは祖母の故郷でもあるのでよく来る場所なのだが、こんなにサーファーが集中するのは珍しい光景だ。唯一、沖見屋旅館の駐車場は空いているが、旅館を利用する人の駐車スペースなので躊躇していると、サーファーが沖見屋さんに車を駐車して着替えていた。着替えのサーファー氏に尋ねるとランチを食べればOKだという。早速、交渉して500円の駐車料金を支払いランチの予約をした

          サーフィンへ行ってみたら

          ジョンレノンが撃たれた日

          1980.12.8. 僕と演出助手のHは飯倉周辺のビルの屋上をしらみつぶしにロケハンしていた。時計のプロダクトショットの背景となる街の風景を探して。ビルのオーナーや管理人に交渉しては、屋上からの景色を眺めて廻るのだ。時には無断でビルの階段を上がり非常扉を開けてそっと忍びこんだ。 薄曇りの空がずっと僕たちを眺めていた。無人の屋上は其々魅力的で、空と街の間に思い思いの殺風景さで佇んでいる。最後のビルで僕は一枚東京タワーを撮った。Hはそれをいい写真だと言ってポケットにしまった。

          ジョンレノンが撃たれた日

          summer knows

          30年以上前に読んだ懐かしい文庫本が出てきて、 その短編小説集をめくっていると小さな紙片が挟まっていた。それは妻の書いた短い手紙で、ぼくの越したばかりの茅ヶ崎の部屋にヒーターを買ってくれたこと、134号線沿いの古いマンションから見えた湘南の海のこと、早く逢いたいことが書かれていた。 彼女はもう側にいない。 今年は七回忌だ。 あの頃は茅ヶ崎の10feetと言うサーフショップで買ったYUに乗っていた。 ボードは友人の息子にあげてしまった。 大事にしていたオートバイも愛車マークII