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応援の仕方について改めて考えてみた。

まいど!

大阪市平野区で小さな町の銭湯「入船温泉」、東大阪でウマイヤサイを扱う小さな八百屋「MiKAN屋」を経営しております、オオツボです(^^)

2021年は「希望の1年」にすると決めております。

今日は「応援の仕方」について改めて考えてみようと思います。

僕自身今もちょっと前も結構前も挑戦を繰り返していまして、

その度に応援してくださる方々がいらっしゃってホンマに背中を押してもらえています。

毎回応援してくださる方もいれば、その時々で応援してくださる方もいらっしゃいます。

応援ってシンプルにめちゃくちゃありがたいんです。

特にクラウドファンディングなんかは如実に応援が「数字」に出ちゃったりするので、

ある意味自分の今までの「信用」であったり、挑戦に対する「期待」が「結果」になります。

クラウドファンディングに関しては一応結果は全勝ですが、

内容全部が全部うまくいったわけではないんです。

「リターンを返せなくなってしまった」等、途中で不義理になってしまったこともあって、

二度とそういうことは繰り返したくないなと心から思います。

事情はどうであれ事実は事実です。応援を仇にしてしまった。

僕にとってあんなにしんどい失敗はなかったです。

めちゃくちゃ反省しています。

それなりに経験してきて、改めて「応援とは何なのか」について。

これについては僕は何度も考えが変わっていますし、

これを書いていても、何カ月後かには意見は変わっているかもしれません。

ですが、現状僕が思う「応援」を書いてみます。

1周2周回って感じたことですが、そもそも人には「役割」があると思うんですね。

仕事でも同じですよね。

いろんな役割があって、いろんな役割をしてくれる人がいて初めて仕事は成立します。

応援にも役割があると思っていて、

例えば「こんな応援してほしい!」って言われた通りに応援する役割、

「こんな形で応援するのはどうだろう?」と提案型で応援する役割、

その他掘り起こせばいくらでも役割が出てくると思いますが、

「いろんな応援の形」があると思うんです。

多数派であろうと少数派であろうと、自分がホンマにしたい役回りで応援するっていうのがやっぱりいいなって思います。

その時に大事だと思うのが、「人の応援の仕方に対してヤイヤイ言わないこと」

これある意味「応援とかいいながら結局自分の願望ありきやん」とか

「相手の気持ちを汲み取れよ!」っていうツッコミがあると思うんですが、

そもそも応援は強制ではないし、自分がやりたい応援・できる範囲の応援をするのが自分にとっても負担がないんですよ。

だって周りに合わせて本来なら自分がしたい応援の仕方をできずにいる方がストレスじゃないですか?

実際に好きなアイドルにどんなけ貢いでるかでマウントとってくる人もいるみたいですが、

こういう行為は論外です。

応援が破たんしています。

応援してストレス溜めるって絶対にやってはいけないこと。

自分の応援の仕方を相手に押し付けることって絶対にやってはいけないこと。

挑戦者は「お前ら、しんどい思いしながら応援してくれよ!」なんて絶対に思わない。

もちろん先ほど挙げた通り、応援の大小はあるかもしれません。

クラウドファンディングでいう「10万円のリターン」と「1000円のリターン」

そりゃあ「10万円のリターン」を選んでくれた方がありがたいのかもしれません。

でも借金してまでそのリターンを選んでほしいなんて絶対に思わない。

自分のできる範囲でしてもらえる応援が何よりうれしいもんです。

仕事を一生懸命やって社会に貢献し儲けた100万円の募金、幼い子が親のお手伝いを一生懸命して貯めた500円の募金。

どちらもとても価値があるし、優劣なんてない。

相手が「やめてくれ!」と言うような応援の仕方はさすがに良くないかもしれませんが、

それ以外ならどんなことでも確実に嬉しいもんです。

周りの人がどうこう関係なく、シンプルに応援したいかしたくないか。

そしてどんな応援をしたくて、どんな応援ならできそうなのか。

そこに改めて向き合うことで見えてくる「応援の仕方」があるんじゃないかなと。

「応援」とは「自分の尺度」に合わせてするもんだと思います。

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