8月5日(水) ~シュンのひみつ日記
今日は、めっちゃムカついた。
フェリー乗り場の近くでタケちゃんと小道具を作っていた。今度やる西部劇のために。両手で持つ電動の水鉄砲を、ペンキで黒く塗ってカッコよくしていた。
タケちゃんが「便所行ってくる」と言っていなくなった。一人で作業していたら、後ろから声をかけられた。
「ぼうずがウワサの巨匠や?」
雷が落ちたみたいな声だった。どこかで聞いたことがある。振り向いたら、サングラスにスーツのおじさんが立っていた。
あの時のひげのおじさんだ! 中洲でザコ兄をボコボコにしてたやつ。ひげの子分でプロレスラーみたいな、あの兄ちゃんもいた。ひげはぼくの前にうんこ座りをした。
「姫はどこか?」
「は?」
ひげがタバコのけむりを吐き出した。くさくてたまらなかった。
「姫たい。教えてくれんか、クロサワかんとく」
ぼくはクロサワじゃない、ミナセだ。バカなのかなと思った。でも、姫が誰のことかはすぐに分かった。ユイしかいない。ぼくは思わず「あっ!」と言ってしまった。あのとき、ユイがひげを見て「あのおじさんって……」と言ったのを思い出したからだ。
「言わんか。画家の家におるのは分かっとうと。家はどこか?」
じゃあユイがきのう言ってた、ユイの父ちゃんをだました悪い人ってこいつらのことか? ヤバい。ぜったいにしゃべったらダメだ。
ぼくは怖かったけど、「誰や。知るか」と言ってやった。ひげは、ぼくのかぶっていた西部劇用の帽子を取って、海に投げた。
あっ、と思ったとき、おなかに何かがめりこんだ。ひげがぼくをなぐった。なぐったというよりか、指でズボッと突かれた感じ。何でか息ができなくなって、ぼくはうずくまってしまった。
ひげは笑いながら、ぼくの頭を片手でつかんできた。アイアンクローだ。思い切り力を入れてくるので、頭が割れそうだった。
「おいちゃん、子どもにはやさしかけん、強くしきらーん」
プロレスラーも冷たい目で見てるだけで、何もしてくれない。何度も「やめろ!」と言ったら、ひげはやっとはなしてくれた。街で悪そうなやつと何度かケンカしたことはあるけど、大人はレベルがちがいすぎる。怖くてキンタマがキュッてちぢんで、かわりにこう門がゆるゆるになって、うんこがもれそうになった。
「はよう言わんか」
ひげがゆっくり近づいてきた。ころされる、と思った。そのとき、
「西の浜の、坂の上です!」
タケちゃんが向こうからさけんだ。いつのまにいたんだ。いや、タケちゃんのことだからずっとかくれて見てたのかも。
「よし、行くか」
ひげはプロレスラーと西の浜のほうに歩いていった。タケちゃんが心配そうにぼくのところに来て、「シュン、だいじょうぶ?」と言った。
「何でしゃべったとや!」
「お前ば助けるためやろうが!」
助けろなんて頼んでない。タケちゃんが呼び止める声が聞こえたけど、ぼくは走った。ユイを助けなきゃ。
坂をのぼると、ひげとプロレスラーが歩いていた。先回りしてユイに伝えたいけど、道いっぱいに歩いてるからそれもできない。そのままアトリエまで尾行する感じになった。
アトリエの門の向こうに、ユイが見えた。ジジイと食うのか、大きなスイカを抱えている。早く逃げろと言いたかったけど、ここからじゃ聞こえない。
ひげとプロレスラーが笑いながらユイに近づいていった。
「おう、こらウワサどおりのべっぴんばい。むかしはこげん小ちゃかったとに」
ユイは、ひげの顔を見て動きが止まった。やっぱり知ってたみたいだ。
「おいちゃんのこと、覚えとう? お父さんのね、古ーいお友達よ。お父さんも気の毒かことになったねえ。おいちゃんも困っとうとよ」
何のことか分からんけど、ブラジル人の父ちゃんが関係あるらしい。
「お父さんが国に帰るまで、おいちゃんが、ユイちゃんば預かることになっとうと」
ひげがユイの腕をむりやりつかんだ。
「さ、行こうか」
ユイが抱えていたスイカが地面に落ちた。割れたところが赤いイナズマみたいだった。
「そげん怖がらんでもよかっちゃ。おいちゃん、子どもにはやさしかけーん」
ウソつけ。お前さっきぼくに何をした。
「やめて! 助けて!」
助けなきゃ。何か武器になるものはないかと見回した。
そのとき、奥の方からジジイが駆けつけてきた。庭いじりしてたのか、両手に枝を切る長いハサミを持っている。テレビショッピングのあれだ。
「何やお前らは! 帰れ!」
ジジイがハサミをひげとプロレスラーに向けた。
「父親のことか? 父親がなに人やろうが、この子には関係なかろうが!」
ひげはぜんぜんびびったりもしないで、
「野中さん。それこそあんたに関係ない問題ですよ」
とか言っている。
「はようその手ばはなせ! 警察ば呼ぶばい! 帰れ!」
いつも怒ってるジジイが、今は一番怖い顔をしていた。そのすきにユイがひげの手をほどいて、ジジイの後ろにかくれた。
ここからのひげの行動が今でも分からない。自分に向けられたハサミを、なぜか自分で手に持って、自分の手を切りつけたのだ。
「あー、いたース」
ウソかと思ったらホントに切っていた。血がボトボト落ちていた。
「あーあー、こらもうおおごとー。今の見た?」
「はい。一方的にやられました」
プロレスラーがそう答えた。どっちもなんかわざとらしい。どう見てもひげは自分で切りつけたくせに。そして、ひげはユイをちらっと見てから、
「警察には、だまっときますけん」
と言った。そしたらあのジジイ、急に小さくなってしまった。まだケンカしてないのに、ケンカに負けた顔だった。何で?
「また来ます」
ハンカチを手に巻きながら、ひげとプロレスラーは帰っていった。ユイはずっとおびえた顔をしていた。
けっきょく、ぼくはただ見てるだけで何もできなかった。女の子を守るのが九州男児なのに。情けなくて、悔しかった。
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