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【第5話】もやもや

自分の小さな恋の物語を小説タッチにしました。ほぼ実話なのでちょっと恥ずかしい。もともと1000文字程度で表現しようと思っていましたが、とてもとても収まらず4000文字までふくらんでしまいました。他人にとってはどうでもいい話かもしれませんが、私にとっては移住の決断を後押ししてくれた大切な思い出です。



4000文字小説

 大学生となりテニスサークルに入った。テニスサークルはテニスもするが男女の交流の場であり出会いの場としての役割もかなりあり、近隣の大学の学生も入れることもあってかなにせ1年生や2年生の数はとても多い。中高一貫の男子校だったので女の子との出会いの場をとても求めていたことは全く否定しない。

 夏休みになると夏合宿がある。1週間近くもあるので急接近する男女は1組や2組どころではないと聞いていて否が応でもテンションが上がるというものだ。合宿2日目の夕食後、星を見に行こうと誘われ数人の女の子と見に行ったが期待するほどは見えなかった帰り、自動販売機でお茶を買いエレベーターを待っていた。まだ夜10時頃だがエレベーターホールは人影がなくシーンとしている。部屋がある6階までノンストップかと思っていたのに2階でエレベーターが止まり一人の女性が乗ってきた。

 長野さんじゃないか。一気に体が熱くなるのを感じ、一瞬で酔いがさめた。たいてい女の子は2人以上で行動しているのに、一人だ。誰もが目を見張る外見ではないが、少し控えめな性格やほんわかした雰囲気、ショートカットが随分と似合っていて話すと結構楽しく笑くぼも素敵で、実はずっと気になっていた。サークル内の誰がかわいいか話で長野さんに触れたことは一度もない。それは彼女を茶化したくないと思っていたし心にひっそりと留めていたかったからだ。だからこそこの合宿で他の女の子達と同じ距離感でいる関係からもっと距離が縮まった関係になりたいと思ってはいたが、あまりにも展開が急すぎる。密室で2人きり、しかも彼女も少しこの状況に戸惑っている感じだがお互い目線を外さない。
「5階でいいのかな?」
「はい」
何かの変化を期待したこのやりとりでも緊張感は拭えない。何か話さなければと思ったのか何かに引き寄せられたのかは分からないが、一度外した目線がまた彼女を向く。扉はゆっくりと閉まりエレベーターは動きだした。2人は何も話さずお互いをただ見つめ合っているだけなのだが、まるで沈黙が鼓動しているようだ。沈黙が揺れている。揺れはドンドンと大きくなっていく。このままでは彼女の目に吸い込まれてしまいそうだ。今なら、星でも見に行く?と誘えばきっと長野さんは来てくれる、まだ10時じゃないか。今から2人だけでゆっくり話す時間は十分にある。これは願ってもない絶好の機会じゃないのか。上昇速度がゆっくりになってきた。もう5階に着いてしまう。激しさすら感じはじめた沈黙の鼓動のなかで、お互いを見続けている。彼女は今何を思っているのだろう。密室で何も話さずお互い見つめ続けるこの状況に何を感じているのだろうか。いやいや、もう2人だけの時間が終わろうとしているのだ、彼女のことまで気を回す余裕はない。このままでは絶好の機会が絶好の時間が終わってしまう。
「写真撮ろうよ」やっと口から出た言葉がそれだった。「うん」と言い長野さんは携帯を取り出し、俺たちは自然と顔を寄せ合って写真を2枚撮った。とほぼ同時に扉があいて彼女は降りて行った。
「明日もテニスがんばろうな」
「そうだね、おやすみ」
2人の目線を扉は無常にも遮った。

 疲れがどっと押し寄せたので6階につきエレベーターホールに置かれている椅子に腰掛ける。お茶を飲み一息ついたとき尋常じゃない心拍数に気づいた。耳からドクドクという音が聞こえる。これでよかったのか俺よ、と自分に問う。写真撮ろうじゃないだろうよ。撮った写真を口実に呼び出して夜風にあたりに行こうと誘わなくていいのか。顔をお互いくっつけて写真なんて普通撮らないぞ。彼女の性格上むこうから声がかかることは絶対にないから、待つという選択肢はない。しかし、ここでもただ何もできず座ってるだけの時間が過ぎていた。
「おう、武田何してんのそこで?俺の部屋に浅田も阿川もいるし飲みにこいよ」
「まじか、じゃあ着替えて行くわ」暫く自室で昂りがおさまるのを待ち仙道の部屋に向かう。仙道の誘いはまるで助け舟だった。結局その日は長野さんに連絡することはなかったし、長野さんから写真が送られてくることもなかった。


 俺も長野さんも他のメンバーと同じように3年生になるとサークルに行くことはめっきり減り、唯一だった長野さんと話せる場がなくなっていった。

 顔を合わせることもなくなって数年程たっただろうか。社会人人生に希望を持ち駆け出しのサラリーマンを頑張っていた時、ばったり再開することになる。ターミナル駅で乗り換えるため5番線ホームに向かって歩いていた時に「あっ!武田くん」と名前を呼ばれふりむくとそこに長野さんが笑顔で立っていた。彼女も社会人になったのだろうスーツ姿で少し垢抜けた感じだ。
「おー長野さんだ、久しぶり。元気にしてる?」
そこから10分くらいだろうか近況含めて話しているうちにあの夏合宿のことがムクムクと鮮明によみがえってきてしまった。彼女は結婚しているのかもしれないし交際しているのかもしれないが、あのエレベーターの時のことをどう思っていたのか、今も思い出の一つとして心にあるのかすっかり忘れてしまったのか無性に知りたくなっていた。しかしあの時と違いさすがに公衆の面前でただ見つめ合うということはないが、サークルでたくさんメンバーがいる中で話していたときのような当たり障りのない話をただ続け、なかなか世間話から抜け出せずにいた。
「そういえばあれだけ欲しがっていた彼女はできたの?」これも若い世代なら日常会話でしかない。
「今はフリーだわ」
「そうなんだ、お互い頑張らないとね」
俺の中でカタンと何かが動いた音がした。バカな俺にでも分かる。彼女はいまフリーだ。そして今からの時間は毎日何度となく繰り返す雑談や社交辞令だらけの会話ではダメなのだ。見せ場に向けて舞台転換が今起こった。あの時と違うのは回りにはたくさんの行き交う知らない人がいてやかましいということだが、しかし、耳から喧騒は離れていき彼女以外の人は視界から消えていく。これは、なるべくしてなっている。この再開は偶然やタマタマではない。夏合宿のエレベーターもそうだったのだ。俺自身が望んでいたのか彼女が望んでいたのか、はたまた違う何かによるものなのかは分からないが、人智を超えた力により誰かの望みが叶っているのだ。何年も心の奥底深くでもう一度ふとした瞬間に彼女と2人になる時を願っていたのかもしれない。この数年何度か考えることはあった。あの時、長野さんを誘っていたらどうなったのだろうかと。今こそ当時の分の思いも込めて誘う時なのだ。図らずもあの時のやり直しをする機会が与えられている。これほど鮮明に彼女の姿がありありと目に写っていたことが今まであっただろうか。愛想笑いを続け笑顔を絶やしてはいないが彼女の心は俺からの言葉を不安な面持ちで待っている、異常に研ぎ澄んでいた私の感覚はそう感じていた。舞台は今この場に整えられている。改めて2人で会いたいとちゃんと伝えるんだ、彼女が首を縦にふったなら、今晩でもいい、明日以降でもいい次に会う日取りを、具体的にいつ会うのか今ここで決めるのだ。社交辞令の定番である今度飲みにいこうね、に逃げては絶対にダメだ。舞台を台無しにしてはならない。

 取り止めのない会話で場をつなぎながら一方でフル回転でどう切り出すか考え続けている。しかしもうかれこれ30分近く経ってしまい、いいかげん移動しないと次の打ち合わせが大変なことになる現実も目の前にあった。時間がない。時間がないのだ。
「なんかあっという間に30分近くたってるね」
「ほんとだ、ごめんね忙しいのに武田くんを足止めさせてしまったね」
「とんでもない。声かけてくれてありがとう。嬉しかったよ」
「仕事、がんばってね」
「頑張るわ。またゆっくり時間つくって飲みにでもいこう」
「うん、行こう。忘れるなよ」
そして俺たちは別れた。別れてしまった。最後まで雑談と社交辞令だけの会話だった。何やってんだよ俺。未練がましく後ろを振り返ったが彼女はもう雑踏にまぎれ見えなくなっていた。次のアポイントは確実に遅刻する上にまた長野さんを誘えなかった。奇跡的に生まれこれ以上ないお膳立てがされていた30分をなぜ活かさなかったんだ。5番線のホームで電車を待ちながら自分を責め続けた。もちろん彼女は俺の事なんてなんとも思っていないかもしれない、十二分にありうることだ。しかしもし少しでも気にかけていてくれていたら俺の接し方ではまったく脈なしと感じているに違いない。彼女を食事に誘ってもやんわり断られるかもしれない。サークル仲間ということもあって一度は一緒に食事ができるかもしれないが何の進展もみせずただ馬鹿話を何時間もして終わるだけかもしれない。仮に彼女との距離が急接近しても俺はあんな素敵な子を幸せにできる器量のある男だとはとても思えない。だけどもっと彼女と一緒に過ごしたい。彼女と話していた30分の後半はこんなことが頭の中をグルグルかけめぐっていた。結果、数年前と同じように後悔にも似た気持ちを抱き、後味の悪さしかない。あとはひとつまみの勇気だけだったはずだ。舞台上で頭に浮かんでいただろうセリフを声にするだけ、ただそれだけのことだったろ。そんな勇気すら持ち合わせていなかったのか。俺は携帯を手にとっていた。今から長野さんにメールを打つか。いやいや、この状況で文字で誘うのか、きっとそれは違う。時刻通り到着した電車の窓に映る姿は、これほどにかと思うほど、肩を落とし萎んでいた。

 それから何年かして長野さんが結婚したと風のうわさで耳にした。時をほぼ同じくして俺も結婚したことはもしかしたら彼女の耳に届いたかもしれない。彼女との2回もあった奇跡的な時間のなかで俺の選択はやはり間違っていたかもしれないが、教訓が2つあった。それはもっと勇気をもつこと、そして理屈では説明できなくともなるべくしてなることはある、ということだ。妻の希望もあり子どもができたことを機に俺は仕事のキャリアや人様よりもらっていた年収も捨て勇気をもって都心から地方に移住した。長年勤めた会社を辞め移住したという選択が正解だったのかどうか今はまだ分からないが正解にしていく努力はしている。

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