見出し画像

 人は生まれながらにして、様々な不平等を背負って生きなければならない運命の中にあり、しばしば、私たちが幸せに生きていく「学び」を阻害してきます。

 『医者が「二浪」してわかった、「努力できる人」と「努力できない人」の間にある”残酷すぎる現実”…!』

 という記事の中では、二年間の浪人生活の末、国立大学の医学部に合格し、今では「泣くな研修医」シリーズでベストセラー作家になった中山祐次郎氏は、自身の浪人体験をこのように振り返ります。

 不合格通知が来た3月、予備校で来年のために勉強をしていると、医学部進学クラスだったがやはり僕と同じで医学部には落ちた、ある男友達に廊下で会った。そして、「中山はいいよな、二浪できて。うちは金がないから一浪で終わりだ。医学部は諦めるよ。お前は頑張って医者になれよ」と言われた。(中略)この世界には、どうしても努力するチャンスのない人がいる。もっと言えば、生まれながらにして苦労をすることを決定づけられた人がいる。君が今元気で、やりたいことに向かって努力をしているとしたら、それだけでだいぶ幸運だと思ったほうがいい。

 「機会が与えられること」それ自体が非常に価値が高いことであって、努力する機会を与えられることそのものが当たり前ではないと、同氏は語っています。

 私はコラムの中で公教育の目的は「学びの機会を担保すること」であると述べてきました。その機会が保障されることで、私たちを分断をしてくる差別・怒り・偏見がなくなるであろうと思っています。

 先日行われたアメリカ大統領選。共和党のドナルド・トランプ氏が勝利しました。各国メディアは、同氏の勝利が何を意味するのかを分析しつつ、これから始まるかもしれない混沌に強い警戒感を示しています。

 『なぜハリス氏はトランプ氏に敗れたのか…「唯一無二」に打ち勝てず、多様性に忌避感も』という記事の中では、読売新聞社のアメリカ総局長である今井隆氏が、今回の大統領選挙を分析。その中でハリス氏が敗北した原因の1つとして、「リベラル的機会平等」への嫌悪感を挙げています。

 有権者の関心が高い経済政策も浸透しなかった。誰もが成功のチャンスを得られる「機会の経済」を掲げ、新規事業の設立への税額控除拡充などをうたった。近年の高学歴なリベラル派が好む「機会の平等があれば、努力をする人は成功できる」というメッセージのこもったものだった。だが、誰もがハリス氏のように努力の才能があるわけではない。自らが勝てば「米国を裕福にする」というトランプ氏の単純なメッセージの方が訴求力は高かった。インフレ(物価上昇)にあえぐ黒人やヒスパニックらの支持が伸び悩んだ要因と言える。

  「努力」というのは、本来、自分自身をより高めるための「学び」のことを示していると個人的には解釈している。「学び」は私たちの暮らしを豊かにする唯一の方法であると言っても過言ではない。

 しかし、学びのためのバックグラウンドがない人たちは、いつしか自分が「学ぶことができる」こと、そのものを否定するようになる。学びを失った人たちは、日々の生活の中に経済的・社会的な生きづらさを感じ、その実を求めるようになる。機会の平等という抽象的で理想論的なものなどは、逆に彼らの存在を否定する言葉になってしまうのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!