メモ:ラズ『自由と権利』,I権利を基底におく道徳

ジョセフ・ラズ『自由と道徳』の新装版が出たということで、ちまちまと読んでいます。各論文ごとに、メモをば。

なお、ラズの文章はどれも最初にその論文でやることを明示し、射程を明確にしながら進むので構造としては読みやすい。用語が独特ではあるが、その意味さえ掴めれば特に突飛なことは言わないという印象がある。

A、内容のメモ

I 権利を基底におく道徳

やることとしては、権利のみを基底におく道徳は貧弱なものであるということを主張する。道徳の基底には価値も権利も義務もおかれるという多元的な論を主張する。

議論の前提として人間主義的原理が是認される。

人間主義的原理:どのようなものの善悪の説明および正当化も究極的には、そのものが人間の人生とその質に寄与する、あるいは寄与する可能性があるということから引き出されると主張する原理

これは権利の利益説的な見方に通じるⅡの権利と個人の福利でも共通する視座のように思われる。

1、前置きとして述べておきたい疑問点

まずは「Xが権利を持つ」とは、「他の事柄が等しいとするならば、xの福利(well-being)(xの利益)の一側面が、他の人(たち)を義務の下においておくための十分な理由だということ」と定義する。

しかし、権利基底的道徳は以下が考慮できない。
1、べしと義務が互換的ではないという事実。
2、責務以上の行為の持つ道徳的重要性。
3、徳や卓越性の追求の本来的な道徳的価値。

権利と義務が、それらが要求する手段に対して移行的でないことの結果として、義務の存在を考慮するどのような道徳理論も、義務でない行為の理由の存在を考慮しなければならないとされる。

2、権利と個人主義

公共財が偶然の公共財と固有の公共財に分けられる。前者は水道や車が右側を走っているなどで、当のそれが集団的に実現されていることに必然性はない。一方で固有の公共財は、まさにその集団に固有の価値である。これは、集合財と呼ばれる。本書解説にもあるが、経済学的な非排除的な財ということではなく、その共同体が有するコードやカルチャーのようなものをも含む概念である。

このような集合財の本来的な価値を認めることは、人間主義とは矛盾しない。人間主義は、人生とその質以外の価値を排除はしないからである。加えて、私の利益だけでは集合財の維持を他者に義務付けることはできないが、政府は「その固有な機能と権力とが限界づけられている特別な制度だという事実」と「私の利益と他のあらゆる人の利益に基づいて」政府に集合財を尊重させることができると考えられる。

3、自律と権利

「自律的な人の人生は、それがどのようなものであるかだけでなく、それがどのようなものでありえたか、またはそれがどのようにして現在のようになったかと言う事についても特徴づけられている」。そして、どのような人生が選び得るかという点は、極めて集合財にも依存している。集合財は受容可能な代替的選択肢を規定するからである。

法律の専門職になる機会や同性愛者間で結婚をする機会が存在し、それらの機会のゆえに個人が自律的人生を送ることが可能であるような社会では、それらの機会の存在には本来的に価値がある。したがって、人の自律という理想は、集合財には少なくともときには本来的に価値があるということを必然的に伴う。さらに、人の自律という理想はそれ以上に多くのことを必然的に伴うと考える。人間を本質的に社会的な動物だと捉える、広く受容された見解や、(利用できる選択肢が値打のある機会の十分な範囲にわたっていることが、人生が自律的であるための条件であるがゆえに、)どの選択肢が人生のなかで選ぶに値するかについての、同様に広く知られた見解からは多くの集合財は本来的によいという結論がもたらされる。(21)

4、権利と義務

権利の反射であったり、義務だから義務だではなく、対象への配慮や尊重から由来する本来的義務が存在すると論じられる。

自己所有のゴッホの絵を大切にする義務が例として挙げられていた。『レンブラントでダーツ遊びとは』を思わせる例ですね。

5、権利と狭義の道徳

ここまでで示された権利基底的な道徳への異議とはどのようなものだろうか。以下のように書かれる。

行為の原理を、それらの原理が相互に独立しているというような仕方で、自分自身の個人的目標に関わる原理と、他者に関わる原理とに分割することができるという観念に対する異議なのである。言ってみれば、どのような価値が人生を意味あるものや満足のゆくものにするかについて、また人生のなかでどのような個人的目標をもっているかについて完全に無知でありながら、他者の権利を同定することができるのだと考えることが、誤りなのである。逆に、他者に対する義務について無知なままでありながら、人生に意味を与えうる価値を理解し、また個人的目標や個人的理想をもつことができるのだと考えることも、誤りである。(31)

ここで、個人の権利と義務は、集合財が持つ本来的な価値に帰されることになる。そして、ラズは道徳的個人主義を拒否することを表明する。

B、簡単な感想

独特な用語法だが、集合財という概念については説得的だと思う。それが個人の選択にとって構成的な役割を果たすという点も同意できる。しかし、言い古された批判なのであろうが、悪しきナショナリズムとでもいうようなものに陥らないということがどう担保されるのかというのは気になる。しかし、これは本稿の射程ではないだろう。個人主義を否定したからと言って、即座に悪しき集団主義に陥るというわけではなく、そして本稿で行っているのはあくまで前者だからだ。また、自律に内在的な価値を認めているので、個人の選択を外在的にのっとるような構想が正当化されることはないだろう。





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