マイケル・スロート「行為者基底的な徳倫理学」

現在倫理学基本論文集Ⅲ 第四章 行為者基底的な徳倫理学[マイケル・スロート](相松慎也訳)

1 行為者基底的な徳倫理学と行為者中心的な徳倫理学

行為者規定的な徳倫理学理論において、行為の道徳的ないし倫理的な身分は、動機・性格特性・個人に対する独立的かつ根本的で(義務論的でなく)徳論的な倫理的評価から単に発生するものと見なされる。(183)

2 行為者を基底とすることに対する二つの反論

反論1:正しいことをすることと、正しい理由で正しいことをすることの区別が消滅する
応答:消滅しない。また、行為を不正にする類の動機を帰属できる行為者には義務を負わせることができる。
留意:検察官の例。

反論2:人は正しい種類の人間であったり、正しい種類の内面的な状態を有しているなら、その人が実際に何をするか問題とならず、結果として、その人物には、あるいは少なくともその人物の行為には、新生の道徳的な要求・制約が課されない。
応答:行為は、単に立派な者や立派な動機を持ってされている、なされるだろうという理由だけでは、立派ないし有徳であると認められない。行為が立派ないし有徳であると認められるためには、行為は、そういった動機を示し表現し反映するものであるか、あるいはもしその行為が生じれば、そういった動機を示し表現し反映するであろうものでなければならない。行為者基底的な理論においても、行為者には内側から自分の行為を律する道徳的な要求・制約・基準が課される。
留意1:自由意志の両立説を前提とすると、慈愛の心を持った行為者であっても、ふつうは自分の試合を表現しない・示さない多くの行為を選択することができる。
留意2:内側からというのは、外部化が独立にということではない。

反論には応答したので、以下では、行為者基底的な徳倫理が見られている。冷たい行為者基底的な徳倫理(3)と温かい行為者基底的な徳倫理(4)に分けられる。

3 内面的な強さとしての道徳

・事実と向き合い、または危険と向き合う勇気
・自立(self-sufficiency)として理解される自足(self-reliance)他者から自立を達成すること、またはしようと努力すること。寄生に対立。他者が自分してくれたことと釣り合いをとるために、社会に対して貢献するという欲求に繋がる。この欲求は自分の利益を前提にも目的にもするものではない。
・物への自足(self-reliance)自分の所有物に依存しないことで、他者への気前の良さに繋がる。
・決意の強さ長期にわたり目的や意図を堅持すること。

4 普遍的な慈愛(benevolance)としての道徳

慈愛は、配慮の対象となる人々全体にとってよいこと・最善のことをしたいという欲求だけでなく、その人々のうち誰一人として苦しませないようにしたいという欲求をも含んでいる。(207-8)

普遍的な慈愛(benevolance)としての道徳は、動機の道徳的評価を、慈愛という動機自体の特徴に基づかせる。帰結主義とは明らかに対比される。一般に帰結主義は、動機をその結果だけに基づいて道徳的に評価するため、生じることが望ましい動機と、道徳的に良いものとして純粋に賞賛される動機はふつう区別されるが、この説得力ある区別を否定し、崩壊させるに至る。一方普遍的な慈愛としての道徳は、この区別を認められるし、ある動機が道徳的善悪を評価される理由についても直観的理解に近い。

しかし、普遍的な慈愛としての道徳は、行為帰結主義に似る。そこで、功利主義と同様に過剰要求の批判や、狭い幸福観や、個人の尊重というような義務論的な直感を説明できないというような批判に晒される。しかしこれには応答できる。(個人的には、過剰要求の批判に応答できているかがよく分からない。他はわかった。)

5 ケアとしての道徳

行為者規定的な倫理学理論は、非一律的ないし個別的な慈愛と言う理念、言い換えれば、あるものを他のものよりもいっそうケアすると言う理念に基礎づけることができる。(209)

人が一層ケアをする理由は、互いの福利(well-being)をケアするよう努めるほうが、少なくとも間接的により多くの人を助けられること。それゆえに、ケアに努めることは、ケアを促進することに繋がる。完成主義や結果のよさ自体がこの問題に持ち込まれる必要はない(ここがちょっとわかってない気がする。)

最善なのは自己への配慮と釣り合う程度に他者への配慮によって動機づけられることであり、そうした釣り合いと合致し、そうした釣り合いを示すすべての行為が、そしてその行為のみが道徳的に容認される(212)
ケアの立派さは、ある間柄の望ましさに基づいているわけではなく、やはりそれ以上の正当化を必要せずに成立すると思える。(213)

最後に、たとえ非一律的ないし個別的な慈愛に基づいても見知らぬ他人に無関心でいることは非難できるという。そのレベルをうまく設定できたら、ケアも人権や正義の問題をうまく議論できるのではと期待が述べられる。

6 行為者基底的な理論は応用可能か

行為者基底的な理論は行為指導性がないのではないか、何をなすべきか分からない人にとって、行為のよさは動機によって決まると言っても「そんな助言がなんの役に立つのか!」という批判に応答する。親の治療法の選択という例が挙げられる。一体どうしたらいいか分からないとき、その人は親の状況と見通しについてより多くを知ることに導かれる。それで応答になっているのかと思われるかもしれないが、その親について具体的な情報が分からないときは他のどのような道徳理論もひとつの答えを与えない。指導性について差がないのである。一方でわれわれの知識や推論能力が及ばない事例における答えを知っていると図にのらないのは強みであるとアピールされる。





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