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コンピュータは人間を自由にする

茂木

茂木健一郎
脳科学者

 人工知能や情報技術が発展することは,人の個性を育み活かす上で大きなチャンスだと思う.

 脳科学を研究している立場から感じるのは,コンピュータ文明が個性や多様性の包摂を実現してきたということである.

 ビル・ゲイツさんは会議などで何度かお見かけしてことがあるけれども,とても素敵な人柄である.いわゆる非典型的な方だが,ゲイツさんのような人が活躍できるようになったのはコンピュータのおかげだと思う.

 すぐれたプログラマはコミュニケーションにおいてはしばしば非典型的であるけれども,だからこそそのような個性を活かすことができるのだろうと思う.日本語で言う「オタク」がスターになる道が開かれたのは,コンピュータ文明の偉大な功績の一つで,その雰囲気は,カリフォルニア工科大学がモデルとされる米国のコメディ『ビッグバン・セオリー』でも見事に描かれている.

 振り返れば,コンピュータ関連技術の発展は,その歴史の始まりから個性や少数派と深い関係があった.19世紀にチャールズ・バベッジがつくった「階差機関」に関連して「人類初のプログラマ」になったのはエイダ・ラブレスだが,エイダは,女性は数理関係は苦手だという世間の思い込みに対する反証である.今日のコンピュータの理論的基礎をつくったアラン・チューリングは同性愛者だった.コンピュータが人間と同等の知性を持つかどうかを検証する「チューリング・テスト」の論文では,男性が女性の振りをして,「本物の」女性と区別がつかないということがあるかという設定が議論されている.もしチューリングがジェンダーの問題で悩みを抱えていなかったら,「チューリング・テスト」の発想は生まれなかったかもしれない.

 コンピュータは,人を自由にする.ご自身視覚が不自由でありながら,長年にわたってすべての方に使いやすい情報技術の研究を続け,このほど日本科学未来館館長に就任される浅川智恵子さんは,人はハンディがあっても能力を発揮できるという素晴らしいロールモデルである.年齢も関係ない.80歳になってもスマートフォンのアプリの開発をして,国際的に注目された若宮正子さんは多くの人に勇気とインスピレーションを与えた.

 人工知能が人間の仕事を奪うというような論調もしばしば目にする.しかし,実際には,人工知能や情報技術のおかげで仕事ができるようになったり,活動の幅が広がるということもあるように思う.人を自由にするコンピュータ文明の側面に,もっと注目したい.

 ブロックチェーンに関する論文を発表し,ビットコインを実装した「サトシナカモト」が誰なのかは分からない.ネット上では,「サトシは女性だ」というミームも生まれている.実際,そうなのかもしれない.文明を変えるような大発明が匿名で行われ,それが女性なのかもしれないと本気で考えられるところに,コンピュータを基盤にした技術,文明の素晴らしさがある.

 コンピュータは人間を自由にするのだ.

(「情報処理」2021年6月号掲載)

茂木健一郎
ソニーコンピュータサイエンス研究所上席研究員.東京大学非常勤講師.1962年東京生まれ.東京大学理学部,法学部卒業後,東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了.理学博士.理化学研究所,ケンブリッジ大学を経て現職.

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