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インスタントラーメン発明の地・池田で食べ継がれる、 革命家たちの情熱しみる一杯。その驚くべき開発秘話。

IPPUDO JAPAN / November 20, 2017

大阪府池田市にある一風堂 池田店には、全国の一風堂でこの店でしか味わえない“百福元味”という醤油ラーメンがあります。実はこのラーメン、日清食品の創業者であり、チキンラーメンの生みの親である安藤百福氏とゆかりの深い一杯。池田店から徒歩圏内に、その安藤氏がチキンラーメン開発に懸けた情熱の足跡を追体験できる施設「カップヌードルミュージアム 大阪池田」があるのも、単なる偶然ではありません。 今回は、関西の老舗情報誌『Meets Regional』などの編集を担ってきた京阪神エルマガジン社の藤本和剛さんが、池田店の店主・熊本智明とともに「カップヌードルミュージアム 大阪池田」と「一風堂 池田店」を巡り、“百福元味”の開発秘話に迫ります。

“麺ロード”をめぐる旅のはじまり

大阪平野と阪神間の北部に位置する北摂エリア。その背骨をなす阪急宝塚線で梅田駅から約20分。市内中心部に座る五月山のやわらかな山容が見えれば、今回のお話の舞台・大阪府池田市です。 ベッドタウンで学生街という北摂らしい属性を備えつつ、古代から名を残す歴史の交差点であり、ものづくりの背景も持つ懐の深い街。市民自慢の名所「カップヌードルミュージアム 大阪池田」と、駅前の「一風堂 池田店」を繋ぐ350mは“麺ロード”と親しまれ、ザックを担いだ外国人観光客や、見学に来た子どもたちの笑顔に日々彩られています。そんな麺ロードのゴールテープを担う一杯があります。その名は“百福元味”。一風堂の顔である“元味”に、今や年間一千億食、世界を制したインスタントラーメンの生みの親である安藤百福の名を戴いた、池田店のスペシャリテ。あまりに濃いこの四文字がオンメニューするまでの秘話も、これまた濃密なわけで⋯。

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大阪市の中心部から電車で20分ほどのベッドタウン。古典落語の舞台にもなっており、落語の町としても知られる。駅を降りてすぐに広がる“麺ロード”。

企業ミュージアムの先駆けが伝えるもの

スリー・ミニッツ・オブ・パラダイス。’50〜60年代のアナログレコード時代の豊かなポップソングがそう呼ばれたように、3分間というのは、人間が心地良く感じる絶妙な時間なのかもしれません。土曜の学校帰りに、吉本新喜劇を見ながらカップヌードルの出来上がりを待つひとときは、筆者のような大阪人なら、誰しもが共有するシアワセ体験でしょう。そんな風にまさしく“人口に膾炙”してきたインスタントラーメンの開発までの苦闘や、進化の歴史を紐解きながら、発明・発見の大切さや楽しさを伝える施設が、「カップヌードルミュージアム 大阪池田」です。

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建物の前には、日清食品創業者の安藤百福さんの銅像がお出迎え。

ミュージアムの入口に掛かる言葉は、“食足世平”(食足りて、世は平らか)。安藤百福氏がしたためた日清食品の企業理念の向こうに、世界初のインスタントラーメン、チキンラーメンの開発小屋の復元がお目見え。歴史と変遷をグラフィカルに展示した壁の随所には、「味に国境はない」「衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開くからだ」「人生に遅すぎることはない」といったココロ揺さぶる金言がちりばめられ、いい歳の大人だって素通り不可能。ドラマシアターでおさらいをしたら、カップデザインから味付けまでをカスタムする「マイカップヌードルファクトリー」ですっかり童心に返り、これまで開発されてきた中の約800種の商品がめぐらされたタイムトンネルをくぐって終了となります。

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「食足りて、世は平らか」という言葉は、戦後の食糧難の時代を生き抜いてきた安藤氏が信念として掲げた言葉。

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安藤氏がインスタントラーメンの発明を行った小屋を再現した空間。

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展示コーナーには安藤氏が残した名言の数々も紹介されている。一言一言に力をもらえる。

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カップに自分で絵を描いて、味もお好みの具材をチョイスできるファクトリー。スタッフの皆さんの笑顔も印象的でした。

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ミュージアムの2階にあるチキンラーメンファクトリーでは、小麦の状態からチキンラーメンを作る工程を体験できる。

めくるめく約2時間のショート・麺トリップ。盤石の構成に、取材に同行した池田店を営む熊本智明さんからも感嘆の声が上がります。「小麦粉をこねるところから始まり、90分で全工程を体験する『チキンラーメンファクトリー』には、一風堂が福岡で開いている食育施設『チャイルドキッチン』の雰囲気と共通するものがあります。パイオニアの安藤さんから、一風堂創業者の河原会長がいかに多大な影響を受けているか。この取材でひとつの“線”に繋がった感覚です」。

消費社会の先端で、エバーグリーンな仕事を残す両者

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日清食品が手掛けた歴代のカップラーメンの展示コーナー。一風堂の初代カップ麺も。

ここ池田市の安藤百福氏の自宅で、チキンラーメンが発明されたのが1958年。“おいしい” “かんたん”“安い” “安全”“長期保存ができる”といった、現代的な食品の必要条件を立ち上げた金字塔として、テレビやスーパーマーケットの発展とともに育ち、家庭の台所の外部化を促しました。カップヌードルの発売は1971年で、調理労働からの解放が女性の社会進出を促したというのは有名な話。70年代を象徴するビジュアルは、今なお街角で若者がカップ片手にフォークで麺をすすり上げる映像です。宇宙食、災害の救援物資、これからの食糧危機の切り札と、次々と役割を付与されながら、世界規模の存在感を発揮。昨今のアバンギャルドな新商品やテレビCMからも、風通しのいい社風と突破力が健在なのがよくわかります。

一方、1985年の創業で九州のとんこつシーンに新風を吹き込み、90年代に全国区へ広がった一風堂は、“ブーム”から“文化”へ、日本の国民食として、ラーメンのステージを一気に引き上げ定着させた存在。うまみの強い豚骨スープを引っ提げた海外への出店は、今や60店舗超。ラーメン店では空前絶後の数と言えます。さらに、立ち呑みスタイルやヘルシー志向の新業態と並行して、豊かなローカリティー(地域性)を引き出した好企画が、このところ各地の店舗で連発されているのも、この「IPPUDO OUTSIDE」で既報の通りです。

革命家同士の邂逅が生んだ、情熱しみる一杯

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一風堂 池田店。2003年に「麺翁 百福亭」としてオープンし、2008年から一風堂 池田店へリニューアル。その後も「百福元味」だけはメニューとして残っている。

そんな両者の足跡に思いを馳せながら、向かうは「一風堂 池田店」。全国の一風堂で唯一ここでしか味わえない“百福元味”へと、ついにたどり着きます。インスタントと実店舗、立場は違えども、両者の“麺ロード”が交わり生まれた一杯に高まる期待。協業がスタートした2003年の物語は、はたして筆者の想像をはるかに超えるものでした。安藤百福氏と河原成美氏、ふたりの革命家が、なんと膝を突き合わせて語り合い始まったと言うのです。

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2003年、安藤百福氏に一風堂創業者の河原成美が「百福元味」を提供するその場面。今でも河原の人生において重要な瞬間だったと語る。

「河原のチャレンジスピリッツを表す言葉に、『心から憧れている人に会うチャンスをつかむ』があります。勇気を出してドアノブを回した先には、確実に新たなステージが待っている、というもの。河原が安藤会長と会う機会を得たのは2003年のバレンタインデーでした。その千載一遇の機会に、河原は『安藤会長がラーメン店を開いたら、どんな店をつくられるだろう』というコンセプトの出店提案を繰り出したのです」。

立志伝中のひとに、その名前を冠した新事業の構想をぶつける大胆さ! 「安藤会長の表情が曇ったことを感じとった河原は、食文化や未来の若者へ思いを語りあげ、出店への応援を勝ち得たといいます」。まさに“対峙”という言葉がふさわしいひととき。現場の緊張感は察せられて余りありますが、一気に進み始めたプロジェクトは、同年11月に「麺翁 百福亭」のオープンという形で結実します。そして、現在の池田店の前身となる百福亭の看板メニューとして開発されたのが、“百福元味”なのでした。「上手やけど、ただの腕自慢のラーメン屋になったらあかん」。試作品に対する安藤氏の厳しい提言も盛り込みながら、7カ月以上の歳月を費やして完成した一杯だったのです。

池田店の待合室には、[麺翁 百福亭]創業当時の思いをしたためたメニューが現在も貼られています。鶏・豚・和風ダシの配合や、すべての具材、隠し味であるはずの香油までを明示。会社の反対を受けながらも、すべて店内で自家製していた効率度外視の熱意がありありと伝わってきます。手もみの中太麺やクラシックなルックスはチキンラーメンへの憧憬と敬意の現れ。14年が経ち、何度も改良が重ねられた現在はナルトが丼の中央に鎮座、その薫風は確実に受け継がれていました。いざ実食のとき。着丼するや、スープから立ち上る鶏油の香ばしさに自然と顔がほころびます。鶏のアタックを、洗練されたとんこつスープが懐深く支える味わいは、「懐かしいのに新しい味」という開発時のコンセプトが、いよいよ成熟したことを感じさせます。それは、安藤百福氏と河原成美氏、ふたりが仲良く語り合いながら食べている姿が思い浮かぶような、シアワセな味覚体験なのでした。

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チキンラーメンの風味をほのかに感じさせる「百福元味」。この味を求めてわざわざ県外から訪れる方もいる。

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池田店の待合室には、「麺翁 百福亭」当時の看板やメニューが展示されている。

屋号が変わってからも、改良を重ねながら提供され続けている“百福元味”。カップヌードルミュージアム帰りのお客が7割を占める池田店の昼営業で、その多くが食べていくという実に健全な動線が、この麺ロードに生まれています。

そこでやる意味、今やる意義。それでいてお客フレンドリー。世に話題づくりのためだけのコラボものが氾濫する昨今、一過性で終わらず続いているのは、こうした確かなバックストーリーがある何よりの証左でしょう。「スープの取り方を改良して、現代の味覚に応える味にしていこうと考えているんです」と、あくなき向上心を見せる熊本さんと、スタッフの山本祥太郎さん。情熱のバトンは、ふたりの創業者の意志そのままに、次世代にパスされています。

WORDS by KAZUTAKA FUJIMOTO
藤本和剛
1980年大阪・阿倍野生まれ。大阪大学在学中より、(株)京阪神エルマガジン社が発行する月刊誌『Meets Regional』当時の編集長・江弘毅氏に師事し、副編集長として長年特集・ファッションページ・広告制作に携わる。現MOOK・書籍編集室員。各種イベントの企画・出演・司会のほか、カジカジ誌での連載『大阪じまん』はじめ寄稿も多数。大阪を拠点に、街のダイナミズムを伝えるべく活動中。


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