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自身の一部となっているもの

「私の身体は、私が食べたものでできている」

こんな言葉、よく目にしますよね。僕自身の食生活は控えめに言ってとても自慢できるようなモノではないけれど(汗)、医学の勉強をしていると、ミクロのレベルでそれはもう、その通りだなと思います。身体に取り入れた炭水化物、タンパク質、脂質が体内にて分解・吸収され、形を変えて身体を構成する一部となる。

このような厳密な身体の成り立ちとすこし話は異なりますが、僕にはずっと思っていたことがあるんです。きっと共感は得づらいだろうなという気が大いにするのですが...それはというと。

「私のクセは、私が好きな他人のクセからできている」(?)

コホン...ご説明いたしましょう。まず、僕は人の表情や仕草、口調などあらゆる「ふるまい」を、自分の五感というフィルターに注意深く通し、吟味するタイプの人間であります。...いや、意味がわからないか(笑)。なんていえばいいのだろう?僕は、いわゆる分かりやすい「クセ」ではないけれど、その人を観察する中で彼 or 彼女のオリジナルと思われる「ふるまい」に反応し、中でも魅力的に写ったものを自身の脳内メモと共に記憶しておくという性質があるんです。...あれ?やはり意味がよくわからない上に、これ何となく気持ち悪くないですか?(汗)

しかも、自分の心に引っかかるもの = その人らしさというものは僕にとって大抵ポジティブな意味合いを持っているので、そうなると実は、僕の近くで日頃接している人それぞれに、僕にとっての密かなツボがあったりするということになります。それらを実際に口に出すと本当に気持ち悪がられそうなので、近しい人もこのことは聞き流しておいてください(たのむ)。

その中でも、特に自分の中で「いいなぁ」とツボに深く刺さるものがあるのでしょう。それらについて、僕は次に、こともあろうか自身のふるまいへと取り込むということをするんです。要するに、僕だけが好感を抱いた他人の微細なクセを、自分のクセの一部にしてしまうということ。別の角度から言えば、その人の小さな「ものまね」を始めるということです。ものまねといっても、もちろんその人自身に似せる必要はなくて(むしろ気づかれたら困ってしまう)、自分がいいなぁと感じたエッセンスを自分なりに表現する、という100%自己満足な行為となるのですが(笑)。

実際、僕は日頃誰かとやりとりをする中、「あ、今しているこの動作は〇〇のクセだ」とか「この言い方は▲▲さんのだった」ということを考えながらコミュニケーションをとっていることがしばしばあります。おもしろいのが、それら他人のクセを自分に取り込んでから長い時間を経ていても、自分が(もはや無意識的に)それを出すたびに「オリジナル」の人の名前がかならず浮かぶということです。何故だかは自分でもわからないのですが、かならず「今僕は●●さんのまねをしている」という自覚がある。...もしかすると、引用元の想起を怠らないことが、彼らへの自分なりのリスペクトなのかもしれない、なんて今ふと思った。ダメ、剽窃(ひょうせつ = パクり)、ゼッタイ。

「人はパンのみにて生くるものに非(あら)ず」と、キリストは言ったそうです。冒頭の文に絡めていうと、人は食べ物を摂取することによってのみ生かされているのではない、ということ。そのあとには「神の口から出る一つ一つの言葉によって生かされるのだ」と続くそうですが、僕個人としては、「あなたの全身から出る一つ一つのクセによって生かされている」と続けることが出来そうです。...これやっぱり、変なのかな?

というわけで、僕と日頃接している皆さん。いつのまにかご自身の言動を取り込まれていないか、どうかご注意を!でももし「それ自分のクセだ」と気づくようなことがあっても、けして悪用はしませんのでどうか温かく見守ってあげてください。(実際にそれを指摘されたらどんなことになってしまうのか、想像もつかない)

今日はひな祭りですね。ひきつづき、よい休日を。

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