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繰り返し、積み上がる。

朝日が薄いカーテン越しに、部屋をぼんやりと明るくしている。

iPadの前で腕を組み、何を書こうかと頭に思いを巡らす時間。この1-2週間、iPhoneにはピンときたテーマをメモに留めておくようにしている。それを眺めてみているが、どうにも今の自分に引っかからない。

たとえば「蒲田の思い出について」というテーマ(メモの一番最後にある)で何かを書きたいとは、すくなくとも今の僕に思うことは出来なかった。とても大切な思い出のある場所に変わりはないから、また別の時に書きたいと思っています。

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ここ1-2週間ほどのあいだ、同じ生活を繰り返している。

朝起きて、SNSやニュースをざっと確認した後に先ず取り組むのはこのnote。そのあと身支度をして、場所を移動し試験の準備をする。夕方に勉強を終えると、その足でジムへと向かう。筋トレとランニングを終えたあとはサウナに入り、帰宅する。しばらくリラックスした後、ピアノを触り、そして眠る。夜に早く眠れると(これが大変)朝は早く起きることができて、気分がいい。腕を組んでiPadを睨むのは大抵、自分の思うような時間に起きれなかった時だ。

こんな数行で終わってしまうようなシンプルな生活ではあるけれど、僕の精神状態は悪くない。むしろかなり良好だと感じる(朝起きれなかったときの気分はひどいが)。一見、なんの変わり映えもない時間のような気がするけれど、それでも充実感を持って繰り返しを厭わないのは、それぞれ取り組んでいることが自分のやりたいことである上、確実に積み重なっていくのを目に見える形で感じられているからだと思う。

noteは今日書き終えると、連続12日目の投稿となる。試験の準備も少しずつ慣れてきて、×のつく問題が減ってきた。トレーニングはマシンの負荷重量を増やしたし、ランニングの走行速度は少しずつ上がっている。ピアノは2つの演奏がYoutubeにアップされて、僕自身もオンラインで自分の演奏を視聴できる。次の曲のアップロードに向けて、また手を動かし始めた。

こんな日々を、あまり張り詰めた/追い込まれた状況でない精神状態の中で、ただただ繰り返していく。今の僕にはそれがとても心地いい。いくらでも続けていきたいと思える。その中で積み上がるものは着実に積み上がり、たとえ徐々にであったとしても、そこから見える風景は確実に変わっていくのではないだろうか。

“小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。”

あのイチロー選手も、こんなことを言っていたことを思い出した。

果たして僕がどこへ辿り着きたいのか、それは自身でもよくわかっていない(汗)。けど嬉しいなと思うことは、今の取り組みは誰からも強制されたことでなく、自分のやりたいことを勝手にやれているという事実。だから自分がやめようと思えばやめられるし、やめたいときにやめられる。もっと言ってしまえば、仮に今の取り組みが僕をどこかへ導いてくれなくてもかまわない。この積み上げる行為自体が楽しいから、今はそれを楽しんでいけたらと思っています。こんなことは、今までになかった気がする。

発信に対して、友人から或いはオンラインでもらえる反応はご褒美(なくても続けるけれど、あればとても嬉しいことだから)。いつも読んでくれてありがとう。

この生活、もうすこし続けてみようかなと思っています。

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